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神秘的な出会い

 「これからも年齢に関係なく信頼できる相手を増やしていってほしいし、素敵な大人たちにもこれからたくさん出会ってほしいし、何より自分自身がすでに信頼できる素敵な大人なんだということに気づいて、そんな自分の存在をますます大事にしていってほしいと思っています。」
 大学を卒業するとき、先生がこんなメッセージを送ってくれた。私が、卒業式の日に渡した手紙に「自分のことを、本当に思っていることを聞いてほしいと思える大人は先生が初めてです。」と書いたからだと思う。

 昔から大人と話すときはいつも少し緊張した。大人は私よりも大きくて私の外側から私の全体像を把握し、心配したり少し期待をしてくれたりする。大人に気にかけてもらったり、可愛がられたり、私のすることで喜んでもらえたりするのは嬉しかったけど、求められているものがだんだんと分かるようになって、いつからか私は大人と話すときは鎧をつけるようになっていた。
 いつも鎧をつけていたということに気がついたのは、先生と話しているときに鎧を脱いでいたことを自覚したからだ。先生と話すときは本質的な気持ちを言葉にしようと意識することが出来た。何を話しても受け入れてもらえる安心感と大学のゼミで取り扱っていた哲学対話を通して私の考えをある程度理解してもらえている信頼感があったからだと思う。

 卒業してからずっと、先生の言う「信頼できる相手」とはどういうことかを考えていた。もっと話してみたいと思える人はいたけれど、鎧を脱ぐのはいつもこわかった。鎧を脱いで、私の宝箱を開けて見せてみたら、中身を取り出されて並べられて評価されてしまい、悲しくなったこともあった。脱いでみた鎧の下を傷つけられてしまうと次のときにはますます硬い鎧を身につけるようになってしまう。
 大人は能力としてのコミュニケーション方法を知っているから、鎧を脱がなくても楽しく会話をすることが出来る(人が多い)。武装をしたまま、お互いの目に見えて混ざり合う部分だけで話すのも充実するけれど、そのうち自分が鎧をつけていることすら忘れてしまいそうな気がした。

 話していると、時間や世界が一時停止しているかのような、自分の外側にある目に見えるものや概念全てが虚構に思えてくるような、そんな気分にさせてくれる人との出会いがごくたまにある。問いを投げてもすぐに結論を出さずに一緒に思考の渦に飲み込まれてくれる人、素直な感情を素直に話すことを許してくれる人、宝箱の中身を一つ一つ大切に見せ合える人、いそがない人、社会だけではなく世界を見ようとする人。鎧を脱ぐどころか、私という実体の輪郭が溶かされていくような感覚を持つ。
 最近また、そんな人との出会いがあり、「信頼できる相手」という言葉を思い出した。信頼できる相手というのは、ただ単に頼れるとか助けてくれるとかということではなくて、鎧を脱いだ状態の自分でいられる相手なのではないかと2年近く経ってはじめて腑に落ちた。
 私は先生のいう信頼できる相手を私なりに解釈し、それを私にとって分かりやすいように「神秘的な出会い」と名づけることにした。積極的には求めないけれど、失いたくないなと思う。

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