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「時間と何かの交換は可能か」

今日の記事はタイトルの通りだ。

大人でも子供でも、時間を費やして何かをする。仕事でも勉強でも、遊びでも。

大人の場合多くの人は時間と労力を使って仕事をし、お金を得る(お金に変える)。またはそのお金を使って移動時間を短縮したり何かを買ったり出かけたりする。子供の場合の多くは時間とお金を費やして勉強をしたり友達と遊んだりする。

この場合「時間と何かの交換」は成り立ってる。「働く」ことができる人は「時間+労働」を「お金」に変えることができるし、遊びに行くことができる人は「お金+時間」を「遊び」と交換できる。

前文であえて強調したが、上記が成り立つのはあくまで「〜ができる人」だ。時間がある人、お金がある人、体が元気な人、多くの条件が揃った人だけがその交換をすることができる。

ただ、その条件が揃った人があまりにも一般化しすぎていて、それらが揃っていない人は除外される。いろんな場面で。メディアに登場する人の映し方が最たる例だ。実際には大変な苦労を強いられていると思うが、テレビ画面に映っている時はそういったことは欠片も感じられない。そういう映し方をしているから。

また、どれかが無いという人はそのバランスや交換の条件が厳しい。別にそれは悪いことではない。仕事が最優先で何より重きをおいているならそれでいいし、お金が大事でたくさん欲しいというのも悪くはない。健康体が一番で毎日ジムでトレーニングに勤しむのも結構なことだ。

しかしどう頑張ってもそれらが揃わない人がいる。不運にも事故に遭った人、原因不明の病に罹った人、どれだけ働いても生活が困難なほどに低賃金の人。そういった人たちのことを論ずると必ず「自己責任だろ」「努力が足りないのでは」といった意見が出てくる。

そうではない。道路の右端を散歩していてはねられた人やもともと家庭事情で進学できなかった人など、自分の力ではどうしようもない状況の人にはタイトルの「交換」というものが難しい。非常に。

僕の話になるが、僕はちょうど3年前の8月31日に入院治療を始めた。前出の「原因不明の病」というやつだ。病名は多発性硬化症というものでいわゆる「難病」。全ての可能性を排除して病名を確定させる「除外診断」をするため、3日間の間に10本以上の採血と髄液を採った。MRIなどの画像診断も必須で右腕から採血、左腕から造影剤の注射だった。

症状は左手(肘から先)の感覚がなくなり、首から肩・背中になんとも言えない強い痛みを感じた。今となってはかなり回復したが、それでも左手の痺れや背部の痛みは残っている。再発予防の薬のおかげで3年間再発していないが、とても仕事にならない日が多く、またその薬のおかげで免疫が若干下がっている。その状況でコロナの流行だ。

僕の勤務先は医療機関だったが、そもそも免疫異常のある人間が働き続けるべき場所なのか等いろいろ考え、仕事を辞めることにした。だから今僕は仕事をしていない。でも何もしていないわけではない。他でもない、収入が無いからだ。このままでは生きていけない。

僕の二つ目の記事(https://note.com/ykkmasa/n/n202930c1e94a)に書いたかと思うが、何か次の行動に活かせる勉強をしようと思い、統計学を学ぶことにした。完全に独学になるが、僕はもう普通の労働ができそうに無い。それは「僕の気力が」とかそういった理由ではなく、僕の身体的事情を理解して雇用しようと思う経営者がどれだけいるだろうか。いたとしても現場での理解はどの程度得られるだろうか。僕の状況を説明するには同業の薬局薬剤師にすらも理解させるのに夜が明けてしまう。何回夜が明ければ理解してもらえるか検討もつかない。それほどまでに複雑なのだ。

はっきりいって一番わかっているのは主治医だが、それもどこまでわかってくれているのかは不明だ。それに大病院の神経内科部長ですら、はたまた世界の医学研究者たちですら「治癒(もう薬や手術などの治療がいらない状態)」させることができないのだから、それに関しては僕はほとんど諦めている。

しかしいろんな柵(しがらみ)や思いから生きなくてはならない。安楽死も認められていない国だ。死という選択は無い。

そこで僕は前出の統計学を学ぶことにしたわけだが、現段階でそれを何に活かすかは決まっていない。基礎学問ゆえ利用が多岐にわたり定まらない状況だ。それと微分積分などの数学的なことが頭から全て消え去っているので、それも併せて多少の復習が必要になりそうだ。簡単ではない。

そして、仕事をしていない現在の僕が「暇だ」と思っている人が少なからずいるようだが暇では無い。今後の生活のための「やること」が意外と多いしそれは「やったことがない事」だから簡単には進まない。それと今までと全く違う働き方をせざるを得ない状況は「考えなければいけない事」や「心配事」が今までと全く違う。自分だってこんな想像をするようになるとは思っていなかった。

そういったことを誰かに理解させることははっきりいって不可能だ。それが大人数となれば尚更。だから僕はもう一般企業での勤務はしなくても済むようにできる範囲最大限に何かを身に着ける努力をすると決めた。

タイトルの「時間と何かの交換は可能か」は可能だと思う。僕は今働けないが時間がある人で学ぶことはできる人。今は「時間と知識の交換」でそしていずれその「知識は時間とお金に変える」。

もしかしたらまたどこかの医療機関で働くかもしれないが、その時は以前のような現場薬剤師ではない。

今勉強している統計学の利用方法を8月31までに出す。そして11月(僕の誕生月)に統計検定3級を受ける。その3級を持っているから何かに有利かとかではなく、ただの一時的な目標でただの通過点。

具体的利用方法を見出すことにも検定を受けることにも今のうちに座学で可能な限り学んでおく必要がある。そしてあまりのんびりしているわけにもいかない。

8月31日の夜に、ある程度まとまった道筋を記載できるよう頑張る。

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