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医療従事者と生命倫理

今日はタイトルのまんま「医療機関の従業員と人が持つ生命倫理」についてです。若干重ためな話ですが、多くの人はどこかの瞬間で「生きるとは」「死ぬとは」みたいなことを考えたことがあると思います。本記事は「出生/死亡」などに直面することが多い医師とほぼ直面の機会がない薬局薬剤師の教育段階の話からです。


1.医療教育の差

僕は薬剤師になるべく薬学部という進路をとったわけですが、実は高校生の時は医師になりたくて一応医学部受験もしました。それなりの勉強はして入試に臨んだつもりでしたが現役の時に試験会場で目にした難問の数々(ほとんど全部)に打ちのめされて浪人時は医学部受験はしませんでした。おつむが足りなかったか努力が足りなかったか、おそらく両方ですがとりあえず医学部は入れませんでした。医学部受験のときに予備校で小論文の勉強をするのですが、だいたい「生命倫理について」の事でした。推薦図書的なものも色々読んで、僕なりの倫理観をその時育てました。その後徐々に大きく歪んでいってしまったのですが...(記事末参照)w薬学部には小論文はありません。不思議でした。みんな化学者になって研究職に就くわけでもないのに。同じ医療機関で働く人間の倫理教育の差があっていいのか?とその時から思っていました。

2.産まれる時、死ぬ時

ところで、産まれる時って自分の希望で産まれてくるわけじゃないですよね。「僕、産まれたいんで10ヶ月後に産まれまーす、お父さん出生届出してきてね!お母さん授乳よろしくね!」って受精の時言わないですよね。
けど死ぬ時って、自分で死を選ぶこと(自殺)はなぜかものすごく批判的に捉えられていて、ほぼタブーじゃないですか。僕はこれ疑問です。未だに自分の中ですら明確な答えは出てないです。そして誰かを殺してもいけない。殺人を正当化はできません(なんでもかんでも殺し合いは疲れます)が、自分の命を自分で断つことはそんなにいけないことなのでしょうか。また、親の都合だけで「産むだけ産んだ」という事件が後をたちません。
これら全部生きるとか死ぬとかのことですが、どれも良いこととは言えない部分があるはずです。

3.倫理観って

で、その生命倫理というやつですが、上記の「生きる/死ぬ」とは、みたいなところから安楽死の是非や尊厳死だとかの話に繋がっていくのです(難しくなった...)。また、現場では「おそらく後何ヶ月の命だから〜」みたいな話まで様々ですが、そもそも「お前の命とかいらんくね?」って人が執刀してたら、薬渡してたら、ダメですよね。皮膚を通して吸収されるカプセル剤が劇薬だったり、健康な皮膚についてはいけない軟膏薬もあります。でも実際、18年前の僕らの薬剤師教育はそういった時間がかなり少なかったです。だから未だに対物業務って言われるんです。
目の前の患者の瞳の先の考えや感情はやっぱり見えてないです。
医学部のような倫理観というものは実は薬剤師ってあまり持っていません。

薬局の場合、目の前の患者が30秒後に心肺停止ということは非常に起こりにくいことで、薬剤師が「何かをした/しなかった」ことが秒や分単位で誰かの命に直結することってそんなに無いです。そして「薬学的観点から患者に必要な情報を選び伝え理解してもらうこと」さえしていれば、基本的に業務手順に大きく違反しなければ、罪に問われることも少ないでしょう。
「だから」薬剤師の生命倫理観はほとんど育っていない感じを受けます。逆に医師の倫理観が患者と乖離して(かけ離れて)いて、よくわからないという話もなくは無いでしょう。それでも僕ら薬剤師よりも現場の医師の方がよっぽど命とは生活とは生きるとは、みたいなことを考えているようです。


4.生命の権利者

話が前後しますが、2.で産まれる時と死ぬ時の権利者はそれぞれ違うということを書きました。産まれる時は「親(自分以外の人)」、死ぬ時は「社会(他者の決め事)」がその権利の大部分を持っているように思います。
始まりと終わりの権利者が勝手に変わっているのっていいんですか?
そしてその命は紛れもなくまずは自分自身のものですよね。そこから他者に関連していくわけで、優先順位がいきなり外部っておかしいですよね。生命の権利者が誰かにあることってすごく怖くないですか?それこそ殺されても文句言えないってやつになっちゃいますよね…


5.生きたい?生きたくない??

ちなみに皆さんはまだ生きたいですか?もう生きたくないですか?
生きるとしたら後何年生きたいですか?
現在の医療技術では僕ら30代ですら平均で100歳を超えると言われています。さすがにそんな長いこと「生きたいと思わない」人ってけっこういるのではないでしょうか。僕は正直あと3年くらいでいいです。
それでも何かの力(それこそ司法や他者の倫理観など)によって「100歳まで生かされる」時代になりかねません。それは医療技術がだいぶ進歩したということとその生命や生活への考え(それこそ倫理的な)が伴っていないからです。そしてだからこそ皆長生きはしなくていいと、長生きしすぎると思うと不安ばっかりになる、と言うです。生きるだけ生きて「それって何?」みたいなことの教育がさっぱり追いついてないんです。


6.無責任な未来への希望

未来は不安です。長生きは遠い未来まで生きることです。だから長生きは不安なのです。
未来が不安なのは全てが不確定要素だからです。
たまに「生きていればいいことあるよ」みたいな事を言う人がいますが、その人には全てにおいて信頼できません。不確定要素に勝手に希望を付け足すんです。でもそれは不確定なんです。1000年生きてたら何かしらいいことはあるかもしれません。でもそれ自体が絶望になったらいいこともクソもないです。これは無責任すぎます。だから僕は不確定な未来の約束はしませんし、わざと希望を持たせるようなこともいいません。責任の所在も不確定になってしまう可能性がありますので。


7.医療と経済

ただ、生命倫理のもとに医療が成り立っているとして、倫理だけで医療従事者が食べていけるかと言うとそうではありません。病院や薬局、製薬メーカーや介護施設まで経済経営とともにあるのは当たり前です。完全なる慈善事業では仕事になりませんから。
つまり、ナイチンゲールのような心は部分的に持っていても仕事としてやっている以上収入を得る体制は維持しなくてはいけない。
難しいことですが、最近利益追求に走らざるを得ない人口比率の変動や診療/調剤報酬改定の動きがあります。部分的に重なって相反する部分もあったりするので個々の会社ではどうにもできない部分もけっこうあります。厚労省の人間が全員医療職の現場出身ということはないでしょう。医事薬事関係を扱う者は皆医療現場の実務経験を要件に入れてはどうでしょうか。


8.医療は、人は、どうあるべきか(僕個人の考え)

それぞれの機関がそれぞれどうあるべきかは断定できませんが、ずっと前から言われている「インフォームドコンセント(説明と同意)」という概念、今一度見直すべきかもしれません。治療を受ける受けないの選択権、受けなかった結果は自己責任、またこの先生きる生きないの選択権、どんな結果になったとしても全て自己責任...(随分極端w)

日本人て自己責任とか連帯責任とか、責任を自分以外の人にとらせるのは大好きじゃん??

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