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失敗の無い成功が欲しい!手に入るという保証が欲しい!しかし不安の方が先に来てしまう。


今回は、これまでにあった実際のお話の中からのひとつになります。
時折ですが、結構よく聞くことがあるセリフがありました。

「これを達成するには、こうしてからこうするといいでしょうか?」
「それを起こすには、どの部分をこうしてからがいいでしょうか?」

そういう発言が出ることがありました。
これはいったい何を知りたくて聞いている質問なのでしょうか?

そのいずれもがどうも前もって「準備」したいということのようです。

とある「理想」のそれをどうにか現実に起こしたいから、それが上手く現実に起こせるような具体的な選択と状態を教えて欲しい、ということのようです。別の言い方にすると、現実化したい願いがあるのだけど、外側から見て一番いい状態を最短距離で起こしたいので教えてください、ということらしいのです。けれど、こういったことにご本人が無自覚なままということも、よくあることで普通です。
これは一体何を求めている、ということなのでしょうか?
さて、そこにある「感情」とはどういったものなのでしょうか? 
その部分を見ていくことにしましょう。

まず、それを欲しがる理由としてそこにあるのは、例えば
「失敗したくない」
「上手くいきたい」
ということだったりすることも多いようです。お話をひとつずつ聞いていると「決めたゴール」に到着するために「途中経過よりもゴールに到着すること」ばかりが頭の中に浮かんでしまって、そして心の中を占めてしまっているということが起きているようなのです。

さらにもう一つは例えば、○○さんだったらどうしますか? どれを選びますか? あるいはこういう場面の場合にはどれを動かしますか? というような感じで、○○さんだったら迷っている自分よりも詳しいだろうから何かは知っているだろうという仮定の上で、どうするかを聞きたいという場合もあります。けれど、それは全く使えないよ、ということをここで確認しておきましょう。

それは何か具体性を聞いて手にしたとしても、手に入れたような気がするだけで、それはふわっとすぐに消えて実感の無いものになるでしょう。さらに消えた後には、すぐに葛藤が生まれることになるでしょう。葛藤が生まれれば、より迷い、自己不信に陥ることになるかもしれません。
自分で気が付いて、思い付いて行動を起こすという自分の責任の部分を他者から借りてこよう、というやり方には無理があるのです。困っているのだからヒントを知りたいのだという正論のような場合がありますから、そこに起きている事実に気が付いていないという場合が多いでしょう。ご本人にも全く悪気はありません。
手に入らないということになりますから、結果的には、はしょって最短距離、というやり方でのゴール地点への到着は無いでしょう。

ここで重要なのは、ひとつ大きなことに本人が気が付いていないのだ、ということです。
願いを持って達成へと向いたい人の多くが、わりと気が付いていないこととは何でしょうか?

「願いを持ったなら、それはその後からすぐに、自分の願いがまさに実現していく最中にあるのだ」ということを認識していないということです。どうもそこは見ていないようなのです。

言動を見ていると、今まさにそれが叶う道の途中に自分が居て、願いが叶っていくことを刻々と体験中なのだ、という風には思えていないのだな、ということがわかります。
「上手くいったという結果」である何かしらの出来事を今日手に入れていないから
「私はまだ手に入れていない」
「私は不安だ」
「私は手に入れられるのだろうか」
「手に入るという証が欲しい」
「私はそれをもって安心したいのだ」
ということを言っているのだな、ということがわかってきます。

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このまだ手に入れていない瞬間さえもが自分の「願い」を叶えている最中だ、その真っ只中に自分がいるのだ、という自覚が無い状態だという事です。それが明らかになります。

そして、それこそがヒントであり、もはや「答え」でもあります。


願いが生まれたなら、その後の日常では、願いが叶い続けている状態の中を自分は生きているのだ、ということなのです。そういう認識を持ったことが無いという方は、考えてみましょう。この認識がある場合には、毎日がその願いに関連した言葉や行動で溢れていくでしょう。それが積み重なっていきます。それはたくさんの物語を体験することに繋がり、やがての現実を生み出すことになっていくでしょう。

これを途中で力業で否定して「願い」が実現することを邪魔していることがあるのが時々の私たちなのだと考えてみてください。

自分で望んでいる「願い」だというのに、自分でその「願い」の邪魔をしてしまっているなんて、信じられない! と思うでしょうか?

実際これはよくあることです。

自分を疑ってしまうとか、願いを否定するかのような言葉を使い始めたり、実際の関連した行動をすることをやめてしまったりします。そんな簡単なことで私たちは願ったことから瞬間遠ざかっていくのです。

「不安」というのは時々自分の中に登場するものです。湧いてこなくなるという日は誰にもやってきません。この「不安」という存在とも上手に出会っていくことが出来るほどに、先回りした準備をすることも上達していくことになるでしょう。あってはならないものというのではなくて、そんなこと思ったり感じたりしちゃダメなのでは無くて「不安」という存在も自分の中にあっていい、居ていいのです。

ここに今あるなぁ、って「不安」という感情の存在を「ある」って認めていくことは、不安を無視しないでいることですし、不安と向き合っている自分が発生しているということです。

不安からくる「達成したいのに…」という感情は、どうにか達成するための方法を探し回るということになりやすいでしょう。


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願いが生まれたなら、その後の日常では、願いが叶い続けている状態の中を自分は生きているのだ、ということと、それを認識出来たなら、毎日がその願いに関連した言葉や行動で溢れていくよ、ということを思い出しましょう。

外側に様々なる理由を感じたり、生み出すことも可能ではありますが、ぜひこの夏も、刻々と願いが叶い続けていく日々をお過ごしください。


写真と文 sanae mizuno
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