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『BOYS』を読む(8)

この記事は昨日の記事の続きであり、レイチェル・ギーザの『BOYS』という本の第七章について述べるものです。続く第八章は短いのですが、自分の総じた感想なども入れることを考えて、次回に回します。

昨日の記事がこちら。



この第七章のタイトルは「男らしさの仮面を脱いで 男の子とセックスについて話すには」である。

以下、あらすじ。

近年の北米では飲酒、レイプ、ネットなどでの拡散などを一連の特徴とする未成年の事件が続いていた。それは社会にある有害な男性性に基づく性暴力が未成年にも学習されていることを示す。

未成年と性に関する問題でいえば、カルガリーにある性と健康センターが行う啓発プログラムには異性愛者の若い男性向けのものがなかったらしい。そこで、性について、そして男性性について考える少年向けのプログラムを作ったそうだ。

性教育は、各国によって状況が異なっているが、評判が良いものは多くない。多くの場所では、道徳的で、禁欲的ですらあるようなものが教えられている。その結果、生徒が得たい情報は入らず、男子生徒は限られた知識、すなわち従来の男性性に追従するようになる。しかし、だからといって進歩的な性教育を教えられる人材も十分に揃ってはいない。

子どもたちがポルノに触れる機会は増えている。割合としては男の子の方がポルノを見ることが多い。ポルノを見る子どもたちは、性教育では十分に学べない性の知識を求めているという。


オランダは総合的な性教育がなされ、その効果が発揮されている好例の国である。ジェンダーにおいても、男女が等しく性について学び考えることで男女が分断されず、男の子も感情や愛情の表現をうまくやっていけているらしい。

カルガリーで行われた男の子向けプログラムで大きく成果が出たのは、ホモフォビア的な発言への反省と、情緒的に他人も繋がることに関してだった。後者はプログラムの活動の中で男の子同士での交流、それもマッチョな「男らしさの仮面を脱いで」の交流ができることも影響している。プログラムは従来の男性性を否定するわけではないが、その在り方以外の可能性を教えることができる。


以下、感想。

私もこんなプログラムに参加してみたかったなあ。

「敗者男性」みたいな概念に共鳴している男性には、従来の男性性しか見えずに、これに従おうとして上手くいっていない人も多いのではないかと思っているのですが(少なくとも私はそう)、そんな自分が育っていくなかで、こんなプログラムに参加できていたら、もう少し自分にあった男性性をインストールできたような。

男らしさの仮面、私も自覚があります。というかここの中でも何回か出てきてますが、周りの男がどれほど従来的な男性性に生きているのかが分からないってのはありますよね。そういう話をしていいものか、という。

日本の性教育の現状は言及せずともという感じですが、オランダとかカルガリーのような性教育が成果を挙げているわけですから、そっちのがいいなーなんて思っちゃいますよ。性教育は人権教育ですから。

セックスについて話すことは自分は怖いです。ある程度ジェンダー的な会話ができる相手じゃないと笑い話として消化されちゃいますし、そういう相手だとしても、自分が男性であり、従来の男性性をインストールしてきたことに意識を向けながら、というのはしんどそうじゃないですか。まだまだ他にも理由はありそうだけど、そういうことで私はセックスについて話す相手がほとんどいません。

もしジェンダーについて悩む男性がいれば是非この章だけでも読んでほしいくらい。そんな章でした。


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