過去の再構成 受験
あまりいないでしょうが、受験生は見ないことを推奨します。
掘り起こしたくない過去を書いてみて、意識の再構成をしてみたいのです。
小学校高学年の頃のどっかで、親に「受験するの?」って一度だけ言われた。私はそこそこ成績優秀だったし、両親は受ける気があったら検討するつもりだったらしい。
私はそんなことする必要性を感じなかった。何のために大変なことをわざわざしなきゃいけないのだ。確かにこの同級生たちとずっと居たいなんて微塵も思わないけど、だからってどこ行ったって子供は苦手なんだから関係ない。だったら頑張って勉強しなきゃいけない状況はとことん避けてやる。そう思って公立中学に進んだ。
中学2年後半か3年になってからか、進学先を考えることとなった。勉強は相変わらず嫌いで徐々に成績が下がってきたわけだけど、それでも程よい目標となりそうな高校が2つあったから取りあえずそこを目指すこととなった。
一つは公立校で偏差値がちょっとだけ高いほう。一つは私立校で偏差値がちょっとだけ低いほう。前者はすごく頑張って行けるかなってところで、後者はまあ何とかなるかなというくらい。
結果からいえば、私には前者に向かって頑張ることはできなかった。学校の勉強とは別に受験のための勉強、例えば過去問を調べる、解き方のテクニックを学ぶみたいなことをしなきゃいけないことが納得できなかった。
まあ、そんな理由は後付かもしれないけど。
私立の受験のほうが先に行われた。そっちに行けることが決まった私はもう公立のためには頑張れなかった。どっちでも満足できたから。「これは受からないだろうなあ」と思いつつ公立の受験を終えた。
高校1年からなんとなく志望大学を決めた。国立にした。とりあえずは学校の勉強を一通り学んでから大学の過去問などを解こうと思った。
結果から言えばそれでは遅かったのだろう。私の頭では最初から可能性がなかった可能性もあるが、私よりも頭の良い人が私よりも早く対策しているならそりゃそうなる。
私なりに、学校の中の誰よりも早くから頑張って勉強していたつもりだった。塾には行かずにやれることはやったと思う。それでも、大学の過去問を本格的に取り組み始めてから、何となく「これは無理かもなあ」と思い始めた。
多くの受験生は高3にかけて勉強時間が一気に伸びていくんだろうけど、高1からそこそこ勉強時間を取っていた私はそれほど伸ばせなかった。力尽きた。
私立の一番手には奇跡的に合格した。国立大の受験のときには、もはや頑張れない自分になっていた。「これは受からないだろうなあ」と思いつつ国立の受験を終えた。
全く同じことを繰り返した。2度も私立に行くことになった。親に負担をかけてばっかりだ。私は恵まれている。
この2度の経験は私にとって、「挫折」とは言わないまでも自分の壁のような何かを感じるところのものとなった。
その一方で、今の自分をすごくよく表し、作り上げてきたところの経験でもあったと思う。必ずしも大成功ではなかったからこそ、この経験が「美しい」ものではなかったからこそ、自分の世をすねた在り方に筋金が入った。
もし大成功を収めていたら自分はどうなっていたのだろうか。想像すると、何となく良い方向に展開したとは思えない自分がいる。だからといって今を肯定しに行く気概もない。
私は運命を信じる傾向にある。流されて全てがあると思っている。私はこうなるものだったのだと思っても、少しも抵抗しない。
この私にしか繋がり得なかったのだと思う。ひょっとしたらそう思えていることそのものが、私の恵まれたところのものだったのだろう。
果たして再構成できたかは分からないが、蓋を開いたことだけは価値あることだったと思いたい。
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