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【プリズンライターズ】生活リズム Vol.1

お元気ですか、いつもお世話になっております。
受刑生活も長期になり、ある時期までくると受刑環境における生活、教育の許可範囲での限界と矛盾を如実に実感させられるまでに至ります。 これは、所内教育指導等から社会で生活していた頃の考え方、生活態度の所為、そして、犯罪思考から暴力団的思考に至った生活リズムの経緯などを自分から進んで内観し、受刑生活、書籍、TVなどである程度の一般常識、モラル、ルール等を知るうちにつれて、自ずと観えてくるものがありました。その辺のことは初回の投稿文でも少し書いてありますが、それを踏まえまして“プリズンライタース”に投稿させて頂き、社会でリアルタイムに生活して生きておられる方々との出会いを生じさせていただけるかも知れないチャンスの場をつくってくれているスタッフさんに心から感謝の念が素直に込み上げます。

社会復帰後は、正業に就いて生活してゆく生き方の生活リズム構築が、とても大切であることははっきり自覚してきますが、受刑生活中でも、その生活リズム構築をどの様にすべきかと考えることは可能です。だけど、それらはあくまでも思考実験と憶測の域をでないものばかりであり、そこに冒頭の限界の1つがあります。思考実験が、時に空想から妄想、そして現実逃避的なものになったりもします。まして、僕が社会で生活していたのが平成2年11月頃までなので、当時と現在では価値観、生活様式、言葉などの変化があり、プリズンライターズで社会生活している方々との出会いから、それらの教示を頂けるかも知れないチャンスの場はやっぱり嬉しく思います。“チャンス”、いい言葉だよネ!

余談になりますが、ある事情から飛行機や新幹線に乗ることになり、その移動中に前方通路から男か女性なのか判断できない(多分女性だったと思うけど)方が歩いて来たのですが、その方の顔を見てとんでもなくドキッとさせられたことを今でも鮮明に記憶しています。その方の顔の至る個所にこれでもかとピンの様なモノが突き刺さったり、訳も分からないモノがブラ下がっていたりして、極めつけは耳から鼻にかけて鎖で繋がっていました。このような奇抜なファッション?は外国人か映画の中でのイメージが強く、リアルタイムで見てそれも日本人ということもあってハッとさせられ、つい見てはいけないモノを見てしまったと瞬時にうつむいてしましたが、その目線の先にはなんとまぁ、これこそ人には見せてはいけない銀のブレスレット鎖月をさせられた自分の両手首があり、そこで自分とその方との相対関係、変化、発展、ウム------進化?というか、自分でも訳の分からない意味合いを考えておかしくなりついプヒッと笑ってしまったほどです。このように、わずかな瞬間にでも、現在の価値観の相違を強く実感させられたので、あれから更に20年以上が過ぎた現代に至っては想像もできません。又、受刑生活でもその変化を自覚させられたり、TVでもこの人たちは何をペチャ食っていつのだろう???と感じること、しば×2です。そして、感覚的というかニュアンス的なズレで何度恥しい思いをしたことか・・・・・。
年齢年的なものもあるのでしょうが(悔しいのぉ)この様な変化、発展などは多くあり、フとして時に気付かされています。その僕が社会復帰後の生活リズムの構築を今まで考えて来ても果たして、それが社会生活上で通用するものなのか、と常に杞憂があります。

そしてその中でも最も気になるのが就職に関することなのです。 以前、PJスタッフさんに、コンビニに置いてある無料求人情報誌を送って頂き、それを今でも何度となく眺めたりしますが、どの度に思うことが求人の職場がこんなにもあるのに、なぜニュース、新聞等では就職難で失業率が高く、仕事がないなどの報道がされているのであろう。それはのしかして大学卒だけの統計で、その他底辺で生きている人たちのことは除外されているものなのであろうか?
それとも就職を望む人たちが職種を選び過ぎているのであろうか、など色々悩み考えさせられますが、どうでしょう、このような??は感覚がズレているのでしょうか?社会ではあたり前なのでしょうか。この様な時、社会で生活している方々からの教示があれば嬉しく思います。


又、「ほんにかえる2020年4月 20号」を読んで、ある方が出所後就職先を紹介して頂き、日給1万2千円(多分見習いだと思うけど)も頂けるのにその職場にどの様な不満があるからアッパ⤴と思える職場をやめたのかがよくわからないです。文中から見習いで1万2千円だと思うけど、それなら相応の労働力を提供し、ガンバレばいずれ昇給もあるはずなのに、なぜやめたのか今でも時々考えさせられて、今だ理由がイメージできないでいます。
そして、申し訳ないけどその方が1万2千円以上のスキルを持っているようにはどうしても読み取れなかったのですが、他人事ながらチャンスを手離してホントもったいないと今でも思う活字でした。僕が、そのチャンスを手にすることができたら更に時間をやりくりして居酒屋などの副業で5時間程度を考えます。どうでしょう?今のご時世で正業と副業の両立はムリがあるでしょうか。誰か教えて頂けないでしょうか?


社会復帰後、6カ月間で正業に就いて生活リズムを構築し、その後3年間で正業と副業を両立させることを決心しています。それなりに大変だと思うけど、僕の場合は職種が限られてくると思っているので、それらに備えて受刑生活中から自分にできることは「正業について生活してゆく生き方を心から望み、マクロ的な決心を強固にする」と、それに伴って「職業意識、意欲と体力の向上と維持」に励み、たとえ刑務作業でも作業をするのは自分であり、そこに社会の職場で通用するメンタル面での向上は可能だと確信し努めてきました。


これまた余談で、自分で言うのもなんですが、自分の作業の励み方がハンパないので一部の人たちから疎まれ様々な低次イヤガラセから始まって、職員や他の受刑者を巻き込んで最終的に調査事犯となる状況を生じさせられ、更に輩、よごれ(受刑者だけとは限らない)に対する僕の信念も相まって、工場を変わることの繰り返しでした。 ちょっとしたプチ自慢もひとつ!エヘン×2。この様な僕でもマグロ漁船に乗っていた事があり、それから比べると地上の仕事は楽に思えました。

受刑生活は時間との戦いと云っても決して過言ではないと思います。
その為、刑務作業が時に暇潰し的なものとなったりする場合もあります。長期刑になるとそれがメンタル的な習慣になってしまう杞憂がどうしてもあって、社会復帰後の職場で仕事という意識についてゆけず、その時に苦労するのは自分だと目に観えています。僕はそれがとても嫌で、たとえ刑務作業でも職業意識、意欲等の向上と維持に励むことを常に心して務めて来ました。
大分前の事ですが、完全靴をつくる作業に従事していた事がありまして、その工場で自他共に認める1等工、マックス割増しのベテランが出所後、運良く同じ職種に就職できる事ができ、その職場の仕事で刑務作業でのベテランスキルがまったく通用せず、とんでもない恥をかいたと聞かされました。受刑中に従事した作業を社会復帰後に同じ職種で働ける人が何人いるでしょう?又、その職種を望んでいる人が果たしているのでしょうか?僕的には、この様な観点は、初犯と前刑での受刑生活で体験値として、そして出所後の情けない生き方で充分過ぎるほど理解でき、受刑生活の刑務作業で自分でもできること!すべきこと!を学ぶことができました。
繰り返しになりますが、職業意識等と労働体力の向上と維持がとても大切だと確信しています。それは出所後必ず役に立つころです。


話が前後しますが、マグロ漁船に乗って仕事の辛さなどを知り、地上での仕事が楽に思えた僕がなぜ仕事をせず情けない生活リズムになっていたのでしょう。そこには単純に“無知”があって、自分で働いて稼ぐことを蔑にして自分の高を知らず、とんでもない高望みの背伸びした思考と収入スキル相応以上の、楽しいと思っていた生活を空想、妄想で楽しむだけならいいけど、それをリアルに望んでしまった無知。それらを正当な労働対価で叶える為に、その生活リズムを構築するガッツと体験値があればよかったのですが、そうではなく情けない話で、手っ取り早く楽をして金銭を手にしようと犯罪に手を染め、自分の本当に大切な人たちを失った事に気付くのがその両手首に銀のブレスレット鎖付きをかけられてからスタートします。


その後、アカ落ちして受刑生活となれば大まかにふたつの生活リズムがあり、ひとつは時間との戦いでヒマ潰し的な生活。ひとつは自分から進んで過去の欠点を観つめて残りの人生の生き方を真剣に考える修養生活です。そして社会生活において自分の本当に喜びや楽しみといったことが、どのような事だったのかと気付いた頃になると、自分の失った本当に大切なもののとんでもない大きさを心の底から思い知らされ、更に自分の様々な過ちの重さも知り、社会生活上での所為による後悔の念と情けなかった生き方を知らされます。


その情けなかった生き方を体験値として前向きに観つめられるまでは、人それぞれだけど、僕は社会人としての常識的なことを知るほどに、過去の愚かな所為にまざ×2と気付かされ、更にケチョン×2のボコ×2にヘコまされましたが、そこで負けず、くじけないのが僕の数少ない長所の1つで、観つめ方を良い方向に変えられるか、否かであり、そのすべての体験値を、社会復帰後の生活リズム構築に生かすことが大切です。僕は社会で生活していた頃、一般常識、モラル、ルールなど無視したというか、それらをまったくわかっていない無知でありながら、“俺は自由に生きてるゼ”“自由に行動しているゼ”ととんでもない勘違いをしていたので、受刑生活を単なるヒマ潰し的に務め、出所して、又、“おいらは自由だぁ”などと思ったりすれば、それは刑務所と社会を隔てているカベの上、わずかな歩き辛い道幅を歩く様な生き方のパターンになります。又、社会生活上で“オレは自由に生きてるゼ”と思ってる方がいれば例えば“交番の前でタチションをしてギリ×2セーフ”と大声で言ったり、“スッポンポンでムーンウォーク(古ぅ)しながら警察官にア~オゥと敬礼して見て下さい”その自由と言っている、又は思っている程度を瞬時に思い知らされると思います。僕も、法治社会において“オレは自由に生きている”という自由の定義を考える思考も余裕もあるはずもなく、それ故とんでもない思いちがいをしていました。


法治国家の下、社会生活上においては、一社会人としての行動の自由があり、世間一般の常識、モラル、ルールなどに伴う自己責任が必ず生じます。そして自分の思う通りの自由があるのではなく、自分の行動への自己判断の自由があるだけだと思います。又、それぞれの価値観の相違から“自由に行動している”という“自由”の定義を漠然ではなく、ちゃんと理解ができることも大切だと気付きました。と能書きをタレていましたら、紙上が足りず、以下は“Vol.2”に続きます。

皆さんのご自愛を願い、今日はこの辺で失礼させて頂きます。

                                      4.8.27(土) 記

【PRISON WRITERS】投稿へのサポートに関して/ 心が動いた投稿にサポートして頂けると有り難いです。お預かりしたお金は受刑者本人に届けます。受刑者は、工場作業で受け取る僅かな報奨金の1/2を日用品の購入に充てています。衣食住が保障されているとはいえ、大変励みになります。