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【プリズンライターズ】サイコパスと偽善者と償いと

二〇〇二年十二月十四日「被告人を無期懲役に処す」と言う主文の後に三〇分にも及ぶ、事実確認の末、私の無期懲役が確定しました。裁判はおよそ四年近くに渡り審議されましたが、私には何か他人事の様な気がしてなりませんでした。
その頃の私は人一人の生命を奪った事に対して何も理解せずその重大さを分かっていない者でした。
その私が自分の罪を自覚できたのは、それから何年も経過した後でした。
何故、この手で人を殺めておきながら、その責任を自覚できなかったか、それは私の心の問題なのです。
実はその事を疑問に感じずっと悩んでいました。
しかし、つい最近になりある本を読んで、初めて私の心の抱える問題について思い当たる事が書かれてあり、その事で自分自身の中で納得できたのです。

 この手記を読んで下さっている方は、「サイコパス」と言う言葉を御存知でしょうか。
このサイコパスと言う個性を持つ者は、通常の発達障害等とは違う特性が有るらしいのです。

例えば、
  自分の行動に責任を持たない
  表面的な魅力
  他者操作性
  病的な虚言癖
  冷淡性
  共感性の欠如
  良心の呵責・罪悪感の欠如
  浅慮な情緒性
  衝動性・刺激希求性行動コントロールの欠如
  無責任性
  寄生的なライフスタイル
  幼少時の問題行動
等が有り、私自身かなりの項目で当てはまるのです。
その書籍に於いては、全てのサイコパスにおいて犯罪を犯すのかと言えばそうではなくて、常人とは違う個性を持つが故に目立つと言った感じなのだそうです。
私も小さい頃からルールを破る事についてのハードルは低かったですし、たとえ誰かの迷惑になろうとも、自分の利益になるのなら実行はためらいませんでした。
これらの事を前提に以下の文章を読んで下されば有難く存じます。

 判決が確定し、私は無期懲役受刑者として、A・LA 混合処遇施設(犯罪傾向の進んでいない短期・長期<十年以上>の主に初犯受刑者を拘禁する施設)に移送され、私の受刑生活が始まりました。
元々環境に適応する事が苦にならない私は、すぐに規則に縛られる生活ながらも、それ程ストレスを抱える事なく毎日を送っていました。
その生活はただ人の群れの中で与えられた作業を何となくこなし、免業日には他の受刑者と意味の無い話しをして年月を過ごしました。たまに職員の方と話しをする時には、反省の言葉を口にして慰霊祭となれば出席し、煙香をしてそれらしくしておりました。今から思うとよくこれだけ上辺を繕って来たなと恥ずかしく思います。
当時私は三十代後半となっており、その頃からでしょうか。
少しずつ「何故私はここにこうして居るのか」と言う問いを考え始めた頃でした。
しかしその頃の私はまだ未熟であり、その答えを内に見出す事はできず、外に求めていたように思います。
思い出すのは、「何故事件が発覚してしまったのか」とか「共犯に誘われなかったら」等、原因を転嫁して自分を見つめる事ができませんでした。
少し話しは戻りますが、私は事件を起こして全てを失くす迄、挫折を知らない人間でした。
それなりに家庭も複雑でしたが、中学時代には何度も警察沙汰になりつつも、少年院送致は免がれ、無事に乗り切り、その頃見つけた目標のために入学できた工業高校を卒業し、東証一部上場企業へとバブル景気のお陰で入社しました。
中学時代からの目標は、設備関係の会社を立ち上げる事だったので、三年程で転職し技能を身に付けた所で、新卒入社した元の会社の下請け業者として独立開業をしました。
仕事は他に丸投げでするくらいにあり、業績も右肩上がりでした。そんな中事件を起こしたのです。
刑務所の中で務めるかたわら、我身を省みる事、そして自己の問題点を改善すること等、自分の思う様に生きて来て何ら問題無く、全て順風満帆に走って来た私にとり、挫折の原因を内に探る事などは、思いもつかず傲慢にも原因を内に求めるのは、その頃の私にとっては、難しく、やはり時を経なくては分からなかっただろうと思うのです。
然し乍ら、社会に於いて生活する者にとって、法令を守る事は社会との約束であり、社会に属する代わりに社会の規則を守る事は契約なのです。その事を重要視できなかった私は社会に対し、言い訳する言葉を持ちません。

 その場しのぎの浅い思考しか持たず、ただ何となく反省をしてる感を出しながら生活している内に、日本中を巻き込む大きな震災が起きました。
私も大阪の人間ですので阪神大震災を経験しており、東日本大震災の悲惨さは想像に余り有るものでした。
丁度その頃は下らない規則違反を起こし懲罰を受けた頃でした。懲罰は三度目でした。
そして工場が変わり今迄とは違う工場へと配役となりました。
その工場には100人以上の受刑者が務めており、その内半数以上は高齢者で、今迄とは違う環境に戸惑った事を憶えています。その頃テレビは連日、震災関連の報道がされており、テレビでも家や街が流されて行く映 像が流れておりました。その数年前から私は信仰を持ち始めていた事から、何故神様はこんな災害を起こすのだろうと考える事が多くなりました。今から考えると私の心の転換点はこの震災に有ったと分かります。
あの震災では海から押し寄せる波に全てが破壊 され、引き波によって沖に持ち去られました。その力は到底人が抗えるものではなく人智を超えたものでした。その力に不幸にも家族を亡くされた方達の姿は連日テレビに映っており、その姿を見るたびに私は他人事なのですが、心を傷めていました。
この思いは、上辺だけでなく本当の心でした。
その時に震災によって亡くなられた方の遺族の姿を見ていて、私はやっと気付いたのです。
その涙ながらに語っておられる震災被害者の遺族の方の姿は、私の起こした事件の被害者の遺族の方達の姿なのだと。
先にも書きましたが、私は根源的に自分の行動によって、迷惑を被る人の気持ちを考えると言う行為そのものについて無頓着で有りましたので、この時、初めて客観的に震災被害者の方々を見て、自分の事件の結果を思い知ったのです。

 時は過ぎ震災から十年以上経過しましたが、震災の日から私の心の中はまるで煉獄(れんごく)のようになりました。
四十年以上生きて来て初めて自分が欠陥人間で有ったと知ったのですから。
その日から私は、毎日、自分の償いと自己改造を考えました。
人の生命を奪った者の償いは、本当の意味で満足の行く償いはできません。
けれども、等価ではないけれども対価として遺族の方へと少しずつでも償って行かなければなりません。
では何を求められているかと言えば、刑務所は矯正施設と言うからには、所内生活全般を通じて自分の欠点や思考の誤りを改善すること、そして慰謝の心を持つ事と思います。
私の場合は、まず規則を守ること、そして規則を破る事に罪悪感を持たなければならないと考えました。
私の元の思考では「たとえ規則を破ったとしても、誰にも知られなければ、何ら問題は生じない」と言う考え方でしたので、その思考が私の善悪の本質でもあり、事件の本質でもありましたので、そこから取り組むことにしました。
しかしやってみると*、今迄生きてきた何十年 もの習慣を百八十度転換させる事は困難でありました。
先にも触れましたが、問題は外ではなく私の内にありました。
俗に言う「心の声」と言うものです。
私が頭で考え「こうしなくてはダメだ」と考えても、心の声が「まあいいじゃないか」と語ってくるのです。
どちらも私の思考なので、おかしな事を言っていますが、これが偽りなき事実でした。
それからしばらくは毎日が地獄のようでした。
自分はおかしい人間だ、傲慢で利己主義な人間だと懊悩する日々が続きました。
そして私は自分の本質を変えることをあきらめました。
その代わりに「偽善者になろう」と心に決めたのです。
意識しないで欠点を克服できないなら意識して自分の成りたい自分でいようと誓ったのです。
ですので人と何か話す時や行動を起こす時など様々な場面に於いて、一度考え、成りたい自分と言う考えから選択できる言動・行動を選ぶようにしました。
そうする事で少しずつでは有りますが私の本質を変える訓練になるのではないか、敢えて考えて利他の言動・行動を取ることでいつかそれが本当になるのではないか、サイコパスと言う私の本質は薄まるのではないかと考えたのです。
そして私の成りたい自分とは今迄の利己主義とは真逆の「利他の心を持つ人間」なのです。

今迄の私は先述したようにすべて自分の為に生きて来ました。
家族の為、子供の為と言いながら自分の為に生きて来た人間なので、もう自分の為に生きるのは止めてこれからは他の人の為に残りの生涯を生きようと考えました。
こんな私がどれだけ努力したところで、思ったような人間に成る事は難しいでしょう。
しかし成りたい自分になれるよう努力する事は償いのひとつでもありますし、とても大切な事だと思います。
このように約十年前に自分で決心をして今迄とは違う受刑生活を送るようになりましたが、そうすると思いもかけず、それ迄とは異なる様々な事が私の身に起こりました。
人との付き合い方や言動・行動を変えると周りも変わって来るのです。
私の大きな発見でした。この十年間に他施設へと職業訓練で三度も行かせて頂いたり、受刑十年と少しで一度目の更生保護委員会の面接が行われたりと私の受刑生活はかなり変わって行きました。
ひょっとしたら意志あるところに道は開かれるということかも知れません。
こうした事から考えると作家の芥川龍之介が言う「運命は偶然より必然であり運命は性格の中にある」と書かれていたのを思い出し、妙に納得をしました。
このようにして、良い悪いは別として少しずつ私の思うような方向へと進み始め、現在も受刑生活を送っています。

 私にはもうひとつ「更生」と言う大きな問題が有ります。
更生とは何かを私なりに考えてまいりました。
辿り着いた答えは、今の所「誰かに迷惑を掛けることなく自立した生活を送ることを続ける」と言うものです。
ごく普通の考えですが、私にとっては最も優先順位の最も優先順位の高い目標となります。
それはこの先変わるかも分かりませんが、今の私としてはこう考えています。
この更生の途につく為には、自分の罪の清算が必要と考えておりますがなかなかできるものではないでしょう。
特に私みたいな生命を奪った者は清算など本当の意味では不可能です。
そこで私は自分の罪を自覚する事から始めました。
事件の何が原因で何が悪かったのか、そうした上でこれからの生きて行く方向性を決めないといつまで経っても、自分で自分の本当の姿を知る事ができず更生などできないと思いました。
少し違う話しをしますが、私は自分の務める施設以外の刑務所で数年間となりますが訓練生として過ごさせて頂きました。その中で皆さんから聞いた話の中に「裁判で自分の言い分が認められなかった」や「冤罪(よく聞いてみると一部事実誤認)だ」と言う話しを多く聞きました。
内容は当事者ではありませんので細かい事は省きますが、ほとんどの裁判には大なり小なり有る事だと思います。
日本の裁判は、裁判官の自由心証主義が採用されており、少し乱暴な言い方になりますが、実際に有った事実はどうあれ、裁判において立証できた事実が事実認定され、それに従い有罪・無罪の認定、有罪の場合は量刑が決定されます。
私も経験をしましたが、検察の指揮のもと警察は、断片的に得た証拠を通じて推理される事件の流れを、被疑者や参考人等の供述と証拠で立証し、それに従って起訴・裁判となります。
その際に警察が供述調書を録取されるのですが、これが自分の罪を認めて省みる事のできない原因ではないかと考えます。
基本的には、被疑者が供述した事を書記官が記して行くものですが、被疑者は文章として供述している訳ではなく、取調官に質問された事に答えており、それらを文章として成立するべく書記官は文章へと組み替えて供述調書を作成します。しかし事件を構成するために必要な供述と言うものがあり、例えば殺人罪とすれば 「殺意を持って心臓を狙ってナイフを刺した。」 等、事故や傷害致死とは違うと分かる供述が必要なのです。
それが事件には幾つも有り、それらを被疑者が供述しない場合に、合理的に考え物証や証言・前後関係から、おそらく被疑者はこういう風に行動したのではないか、こういう風に言ったのではないかを推測して供述調書の中に反映される場合があります。
これが多いと冤罪となり、少ないと一部事実誤認となると考えています。
しかし、これで警察が悪いのかと言えばそうではありません。
大方の場合は、きちんと隠さずに話をしない方が悪いのです。
私は別に警察や被疑者の片方を悪く思って言っているのではなく、人としての思考として被疑者はやはり罪を軽くしたいと思うのは当然だろうし、警察は被害者の代弁者として当然被疑者のそう いう心理を見越して全てを疑う。
そして証拠で証明できない所は推測で埋める。
昔読んだ絵本の内容を、何人かで記憶を頼りに再現するような話しに私は思います。
そして、判決が出た後、事実認定を読んでそこに自分が取った行動や言動と違う内容が有れば、被告として納得ができないのです。
その事実認定によって受刑年数が決められるので、余計に受刑者となって務めて行く内に納得できないから不満へと変わり、それが自分は不当に拘禁されていると思ってしまうのだと思います。
私を含め、そういう人を沢山見て来ました。私はその度に何も言えず「大変ですね」としか言えませんでした。
私も一度は同じ思いを持ち同じ事を言った事が有るからです。
こういう風な思考になってしまうと更生と言うのものは、考える事はできなくなると思うのです。
私も一時期は自分の判決の事実認定に疑問を持った事も有りましたが、結局そこが自分の思う様に変わったとしても、私の場合は結果は同じだったと思います。
だから私は、自分でもう一度事件の流れを整理して一から冷静に客観視してみたのです。
すると自然に自分の非を認められるようになりました。
やはり自己の罪を自分なりにしっかりと認識する事が大事で、その上でやっと更生と言う姿勢の前に立てるのだと思いました。
 ネット上では受刑者の更生などあまり興味を持たれてはいないと思います。
逆に犯罪者はもう一生刑務所から出てくるなと言う声も多いのではないでしょうか。
私も外に居たらそう思うと思います。
だけど、受刑者の中にも自己の罪を清算したいと思っている者も居ますし、私も出来る事ならもう一度社会へと戻り遺族の方へと現実的な贖罪に着手したいと思うのです。
社会感情として、少し別の話しをさせて下さい。
 以前にNHKのEテレの番組に私が少し出させて頂いた事が有ります。
三十分の番組の中で数分ですが映してもらいました。
そのインタビューの中でディレクターさんからこう聞かれたのです。
 「塀の中に務める者が自分の家族の事を考える事を、社会はそれを受け入れるでしょうか」私はその答えを持ち得ませんでした。その番組は所内のDJ放送についての番組で、そのDJ放送は1人1人が人生の中の思い出を綴り、施設がリクエスト曲と共にメッセージを流すと言うもので、私はそのメッセージの中に娘の事を書いたのです。
私はディレクターさんからその問いを受けた時「あぁ私達受刑者は家族達の存在も否定しろと社会には見られているのだな」と事件から二十五年近く経った今も社会からは拒絶されているんだと、改めて自分の罪の重さを感じました。
そしてそのディレクターさんの問いには数瞬ののち、「これは施設の教育の一環で成されているもので有って私の罪を忘れているものではありません」と今でも情けないなと思う答えしか返せませんでした。
結局二時間近く話しをさせて頂きましたが、放送されたのは先の質問の答えを含む数分でした。
色々と考える所は有りますが、社会感情を教えて頂いたという点でとても貴重な体験となりました。

 二十年を超える受刑生活の中で様々な経験を経て今の私が有る訳ですが、ここに書かせて頂いた事はほんの少しです。
私が塀の中に入ってから、実母・実父と孤独死を遂げ、養父は介護を受ける身となりました。
四人の子供達とは連絡を取ることもできず、私の近しい人にも多大な迷惑と不幸の一端を背負わせてしまいました。
何より被害者の方、遺族の方々には何と言ってお詫びして良いか分からないくらいの謝罪の念しかありません。
正直申しますと、色々と自分の改善や更生の事を書かせて頂きましたが、余りにも私の事件の影響が大き過ぎて途方に暮れている所もあります。
しかし自分の蒔いた種は必ず自分で刈り取らねばなりません。
毎日を一歩ずつ先は見えませんが進んで行こうと思っています。
人それぞれ罪の償い方は有るだろうし私のこの手記にも御批判もあると思いますが、やはり自分で気付き、自分で考え自分で一歩を踏み出す事しか無いのではないでしょうか。
沢山の事を書いて来ましたが、この一点を言いたくて書いてまいりました。
 自分を知り自分の罪を知らないと償いや更生はできないのではないか、と言う事に尽きます。
サイコパスで偽善者であっても残っている人間の魂で考えた結果辿り着いた今の私の思考です。
取るに足らないちっぽけな思考ですが一度、社会の方にも読んで頂きたいと思い記してまいりました。
出来ましたら感想を頂けましたら有難く存じます。
 私の書いたこの手記で気分を害された方がいらっしゃいましたら心からお詫び致します。 

合掌

【PRISON WRITERS】投稿へのサポートに関して/ 心が動いた投稿にサポートして頂けると有り難いです。お預かりしたお金は受刑者本人に届けます。受刑者は、工場作業で受け取る僅かな報奨金の1/2を日用品の購入に充てています。衣食住が保障されているとはいえ、大変励みになります。