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【プリズンライターズ】連載・獄中小説・獄楽/そしてまた冬 Vol.6

獄中小説・獄楽/春 Vol.5 こちらから

「おいマサ、報知器を押せ」、、、報知器とは、職員に用件があるときに居室内からその旨を知らせるボタンを押し、巡回職員に立ち寄ってもらうためのものだ。マサが立ち上がり、扉の横にあるボタンを押した。
「もしかして、インフルじゃね?」とユウジが言った。確かに、他工場で何人か発症しているらしい。

5分後、職員がきた。「用件は?」と訊かれた俺は、「オヤジ、中田さんが熱っぽいから検温してやってよ」「お、ちょっと待っとけ」、、、
2分後、「中田、こっちこい」と、中田さんの額に「ピッ」とした。「ピピピピピーーー」と、鳴ったらいけない音がした。
やばいなこれ、マジでインフルかも、、、。

 結局、中田さんはインフルだった。今日、29日から正月休みに入ったが、インフルだと5日分〈タミフル〉が処方されるため、残念だが病棟で新年を迎えることになるだろう。
「ジンさん、もしやばいと思っても、このままいきましょうね、、、ゴホン、エヘン」、、、おい、ユウジ、、、お前まさか、、、。

確かに正月休みに病棟なんて最悪だ。本も読めないし、とにかく1日中寝ていないといけないからだ。
だから意地でも居室にへばりつこうとする輩が多い。その結果、、、そう、クラスターが発生する。
せめてテレビが観れるとか、ギャル系の看護師でもいれば、絶対に回避できるはずだ、と俺は思う。


 31日の大晦日。ここは病棟の共同室。もちろんユウジとマサも一緒だ。
昨日の朝、昼、晩と、3人とも飯がのどを通らなかった。魂の抜けた俺たちを見た職員が、訝しむのは当然だろう。
鼻の奥を、細長い綿棒でクリクリされた。間違って陰性だったりしてみろよ、俺たちは逆にブチ切れていたと思う。

夕食の年越しそばだけを空っぽの胃に流し込んだ俺たち。
「ジンさん、想い出づくりになったでしょ、ゴホゴホ」「バカかユウジ、ゴホッ、こんな想い出いらねぇよ、ゴホッ」
「お2人とも、今年はお世話になりました、ゴホ」「おいマサ、こんなときに、ゴホ、いらねぇって」、、、俺は、もう限界だった。

ラジオの紅白、、、Adoの〈唱〉が流れた辺りで、俺の意識は飛んだ。気づくと俺は宙に浮き、幽体離脱をしていた。
驚いたことに、ユウジとマサはその俺と目が合ったという。
ふん、そんなバカな、、、と鼻で笑っているあんた、1回ハッパをキメてみろ。マジで、分かるぜこの感覚が、、、。


 年が明けた。が、絶不調だった。朝食から米は銀シャリになったが、旨いとは思えなかった。
暫くするとラジオからニューイヤー駅伝が流れてきた。俺はすぐさまスイッチを切った。
「東大はこれを聴いて気分が〈アゲー〉なんでしょうね。俺は〈うげぇ〉だけど」とユウジ。俺は、不覚にもウケてしまった。

昼食に折詰と雑煮が給与された。俺は、ユウジとマサの折詰の中から厚焼き玉子と蒲鉾を強奪し、少しだけ“復活”した。
泣きそうな2人に「お年玉だ」といって、小粒のチョコが30個ぐらい入った袋を渡してやった。
満面の笑みを浮かべた2人。情けない、お前ら歳はいくつだよっ!

夕食前に〈点検〉があった。〈点検〉は朝と夕方の2回ある。
これは人員点検で、居室の前に職員が立ち、「番号ぉ!」といって号令をかける。
それに対して俺たちは自分の称呼番号で応じるのだ。俺なら「616番っ!」とね。
「ねぇジンさん、今の点検のオヤジって、全然見たことないけど知ってますか?」とマサが小声で言った。
もちろん知っている。懐かしい顔だった。点検終了の号令がかかるまで、私語は厳禁だ。だから俺も小声で応じた。「あれはな、ガマ親分だよ」と、、、。


 点検が終わると同時に、「ガマ親分て誰ですか?」とユウジが首を傾げた。
「何だ、ユウジさんも知らないんだ」とマサ。俺がここに入所したとき、ガマ親分が新入調べをした。
その経緯を一部始終2人に話そうとしたときだった。居室の前に、デカイ顔の職員が、こっちを向いて立ち止まった。
「おい、中出しの中尾、元気にしてたか?」とガマ親分がゲロゲロ笑った。何年振りだろうか。
「オヤジ、どうしたのよ全然見なかったけど」「あぁ、体調崩してからずっと事務方にいたからな」
「10年振りぐらいじゃない?」「そうか、もうそんなになるかぁ」と、ガマ親分が感慨深げに遠くを見た。
通路に誰もいないことを確認したガマ親分が、「俺もあと少しで定年だ」と声を潜めて言った。
続けて、「正月休みの関係でたまたまここに来たんだが、まさかお前がいるとは、、、。そこの若い2人、、、こいつはなぁ、俺にアダ名をつけたろくでなしでよぉ、おかげで職員にもそれで呼ばれてんだぞ」
確かにその通りだ。「こいつはな、このムショ始まって以来の懲罰60日を食らったヤツでな、その取調べのときに、ガマ親分じゃないと一切応じないとか言ったらしくてなぁ、、、それで職員連中が『ガマ親分て誰だ』ってなってよぉ、、、」、、、確かに、そんなふうに言ったわ。俺は、ペロッと舌を出した。
「おかげで俺はそれ以来〈ガマ親分〉と呼ばれ続けててな、この年末の忘年会を兼ねた送迎会でもよぉ、女性事務員から花束と、でかいカエルの縫いぐるみをプレゼントされちまったんだぞ」と、そういうわりには満更でもない様子のガマ親分。
俺は少し泣きそうになった。「お疲れさまでした、ガマ親分!」


 ガマ親分が立ち去ったあと、「ねぇジンさん、今のオヤジが言ってた“中出しの中尾”って、アレ、何ですか?」とユウジに訊かれた。
どうせこいつらに俺のテッパンネタを披露したところでウケないと思った俺は、「いや、俺は今まで中出ししかしたことねぇからよぉ」と、面倒だからそう言った。
「ギャハハハハ、マジすかジンさんっ!」ユウジとマサが大爆笑した。
お前らこっちでウケるのか?それなら、、、「嘘だよ。俺がキャバクラで自己紹介するときにな、中出しの中に交尾の尾で中尾、ジンは仁愛の仁でーす、って言うからよぉ、、、」おいコラッ、ここはウケるとこだぞ。普通に流さないでくれよぉ、、、。


 3人ともインフルで具合が悪かったのを急に思い出したかのように、部屋の空気が一気に澱んだ。
「そろそろ布団に横になりますか」マサがそそくさと布団の中に入ろうとした。
「お、俺も寝よっかな」とユウジが続く。「おい、今から晩飯だぞ」俺は力なく言った。布団の中に隠れたいのは俺だっつーの。
俺は昼に残しておいた折詰の中から黒豆と栗きんとんを取り出し、残りをユウジとマサにやった。
「ゴチになりますっ!」と2人。「マサ、ローストチキンはもらうぞ」「なら俺はエビフライね」、、、
若いからか、それとも折詰だからなのかは分からないが、2人とも以前のように食欲が旺盛だ。
「お前ら調子よくなったみたいだな」俺がそう言うと、マサが顔を覗き込んできた。
「ジンさんはまだイマイチっすか?」「おぉ、まだ咳がなぁ」「なんか横になると出ますよね」とそのときだった。
「しぃっ!」な、何だよユウジ。急にどうしたんだ?


 ユウジが居室の出入口扉の上にあるスピーカーを指差した。ついさっきラジオ放送が流れ始めたばかりだった。
3人とも、ラジオに耳を傾けた。ニュース速報?「なんか、すごい地震があったみたいっすよ」とユウジが顔をしかめた。
俺たちは息をころし、暫くニュースを聴き入っていた。
「かなりヤバそうっすね」とマサが口を開いた。俺とユウジは「うん」と頷いただけで、その後の情報を気にかけていた。能登半島でマグニチュード7.2、、、震度7の地震って、、、。こんなときに限ってテレビがない。いったいどうなっているのか、ただただ心配だった。
翌日はよりにもよって新聞が休刊だったので、地震による被害状況を詳しく写真などで、確認できたのは正月休みの最終日、3日になってからだった。
今、俺がシャバにいたとしても、被災地に向けて何の行動も起こせなかっただろうが、このムショの中にいて何もできない自分がとても歯痒かった。


 正月休みが終わった。朝食から米がバクシャリに戻った。「んんーん、やっぱこっちの麦の方が旨いわ」とユウジが至福の表情を浮かべた。
「てか、何だかほっとしますよね」とマサが追従する。マサよ、それが本心なら、お前もすっかりこっち側の住人になっちまった証拠だぞ。
俺たちは荷物をまとめ、工場に出業した。午前の休憩時間、食堂のいつもの場所で茶を飲んでいると「あけおめぇ、ことよろぉ」などと、普段は話をしない連中からも挨拶を受けた。「災難だったねぇ」と、インフルのことをイジられながらな。
「よかっか、よかっか」、、、皆の挨拶が一段落すると、中田さんがそう言って俺たちの輪に加わった。
中田さんは「よかった、よかった」と言ったつもりなのだろう。ユウジがそこにツッコミを入れた。「どうしたの中田さん。とうとうボケた?」
「厳しいこと言ふねぇユウひゃんも。違ふんはよ、休養中に痩へはのは、入歯がフカフカにはっちまへはぁ」とのこと。
確かに、寝ている姿を見たら〈死人〉と思えるほどの顔のコケかただ。
訊けば中田さんは、病棟では単独室にいたらしく、俺たちより少し早い時間に工場に来たらしい。
その中田さんが「皆も知っての通り、大きな地震があっただろ。その件でな、部屋に帰ったら相談があるんじゃ」と、入歯をカパカパいわせながら、そんなふうなことを言った。食堂のあちこちでも、その地震の話題で持ち切りだった。


 夕食後、一息つく暇もなくさっさと布団を敷いた。せっかく温まった躰を冷やさないためだ。
使い捨てカイロを首のうしろに当て、軍手をはめ、ヘッドホンのように耳当てを着ける。
「中田さん、、、それ、頭の横を挟むんじゃなくて、こうやって耳にやるんだよ」とマサが教えている。まるで孫のようだ。
見ると中田さんは〈ミッキーマウス〉のように耳当てを着けていた。
「何だいジンちゃん?」「いや、中田さんには癒やされるなと思ってさ」と俺は言葉を返した。
そして「話って何だい中田さん」と水を向けた。全員が上半身を起こし、壁にもたれかかった。
「うん、例の7万円の給付金なんだけどさぁ、無理にとは言わないけど、地震のあった被災地に送ってやらないか?」と滑舌は悪いが、白く濁った眼球を絞り込み、俺たち1人ひとりの意思を確認するかのようにその視線を合わせていった。


 被害者のいない犯罪者、、、薬物事件などで服役している受刑者ならともかく、俺たちのような人間がこうした〈義援金〉を送る行為は、シャバの人から〈偽善〉だと思われて当然だと思う。
が、しないよりはマシだろってことで、東日本大震災や阪神淡路大震災などのときには多くのヤツらが送金していた。
「そりゃいいな。俺たちが先頭を切ってやれば、右へ倣えで工場の他のヤツらもやるだろ」と俺は応じた。
「そっすね、で、いくらやります?」とマサ。
「ま、1万でいいんじゃね?」ユウジがすぐさま返した。
すると中田さんが「いや、全部いこうよ」と、、、。「えぇっ!?」3人の声が重なった。
ユウジとマサから仔犬のような怯えた視線を向けられた俺は「ぜ、ぜ、全部って中田さん、、、」と、意を差し挟もうとした。
が、「ジンちゃん、わしわな、昔から中途半端が嫌いでね」と目尻に深い皺を刻み込んだ中田さん。
中田さんよぉ、そりゃ江戸っ子の俺が言う台詞だよ。

「よし決めたっ!」俺の声に肩を落としたユウジとマサが、掛布団を引っ張り上げて顔を覆った。
「そのかわりと言っちゃ何だがね、次の転室までの5ヶ月間、わしがみんなの面倒をみるから安心しな」と、中田さんが薄い胸を右の拳でひつつ叩いた。
何とも分かりやすいヤツらだ。中田さんの言葉を聴いて布団から顔を出したユウジとマサ。
「えっとね、ViViっていう女性ファッション雑誌のね、古畑星夏ってモデルの娘が写真集を出したんだけど、、、」と様子を窺うユウジ。
「おぉ、買ってやるよ」と胸を張る中田さん。
するとすかさずマサが、「えっ、じゃあさ、乃木坂46の遠藤さくらと久保史緒里の、、、」
「任せなマサちゃん、それも買ってやるよ」と、さらに胸を反らせて中田さん。
マサよ、なかなか攻めるじゃねぇか。よし、それなら俺も便乗してと、、、「ねぇ、中田さん、悪いけど、、、」と、控え目に切り出した俺。
目的のものを言おうとしたときだった。「ジンちゃん、全部言わなくても大丈夫。
アレだろ、、、藤あや子と西川峰子だろ?」「ち、違うよ中田さん。それは東大だって」
「ふふ、恥ずかしいのかい?」「いや、だから違うって!!」俺はユウジとマサに、「どうにかしろよ」と目で訴えた。
お、お前ら、、、。俺の訴えを無視するばかりか、掛布団で口元を押さえ、声を殺して笑う2人。
俺は顔を歪め「ありがとね」と中田さんに礼を言った。
やれやれ、こうなったら本田仁美のフォトブックは自分で買うか、、、。いや、それこそこいつらに何を言われるか分からない。
くそ、だから共同室は嫌なんだよっ!
「じゃ次の転室まで中田さんに甘えるか、なぁマサ」「ですね」
「あとはアレだな。次の衆院選で給付金をバラ撒いてくれる政党を国民が選んでくれるのを祈るだけだな」
「確かに」「ああ、、、早く桜が咲かねぇかなぁ」「どうせ今年も10円饅頭でしょうね」「でもお前、うめぇって喜んでたじゃねぇかよ」

今のユウジとマサの会話を聴いて、俺の心はほっこりした。だからさっきの言葉は撤回する。
ついでに中田さん。またゆらゆら舟を漕いでいる。そう、寝ちゃった、、、。
最近俺は、シャバに出るのが恐いと思ったりする。だって、自活するの大変じゃね?だったらさ、このまま中でもいいかなって。

 

―了―
ペンネーム楠 友仁

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