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【プリズンライターズ】社会的価値感・一体何が正しいのか

ガキの頃から“差別”を受けて来た。
それも自分じゃ~どうしようもないことで、それは「生まれ」そのものだぁ。
親がどうした、顔つき、目つきがどうとかといったものや、生活水準に基ずくことだったりで、
子供にはどうすることも出来ないのに、大人は“子供をも”差別した。

だから私は自分の心を守る為に必死で生きるしかなかったのに、大人達は「なまいき」「反抗するな」「素直になれ」と
暴力をつかって“服従”させようとしたけど、私の疵ついた心や原因には少しも目を向けようとはしなかった。
そんな日々を生きてく内に“差別”に敏感な人間に、そして当然の如く私は表の世界から裏の世界に生き場所を移して生きることを選んだ。

 今でこそ“反社”とか言われている世界ではあるけど、当時は表世界よりよっぽど“差別”のない誰でも受け入れてくれる所で
“義理” “人情”に淳い世界であり、誰しも同じ平等なスタートがきれる場所でした。
だから多くの差別を受け生かされて来た者達にとっては“差別”されることなく、『平等に生きれる』唯一の世界でした。 

 なのに総ての『悪』であるかのように・・・・・・・

 もちろん悪でない!とは私も言わない。
だけどそこでしか生きられない人間を生んだ“社会”は?悪ではないのか。
“時代”との言葉で片付けてしまえばそれまでだが、昔は暴力を肯定してたのに、今は否定するがその判断基準や理論とは一体何んだったのだろう?
そして私がもっとも問題だぁとおもい感じることは“時代”を築いた大人達が、一切の責任をもつこともせず“感じよう”とすらしない“姿勢”。
そのくせに誰れそれはと、他人(ヒト)のことを非難し同じ“差別”をくり返していること。
自分の所作を振りかえることや、目を向けようとすらしないで、あ~じゃない・こ~じゃないと理屈を付けて逃げてばかり。
こうした姿勢は今も変わらず塀の中ですら同じ。

“差別”され、受け入れてくれる世界に身を預けどうにか生きている
それは“いい”とか“わるい”とかではなく『生きる為』にとらざるおえないこと。

2022.12.30


それでも

淋しいような 怒りたいような 叫びたいような

笑いたいような 泣きたいような 足元が常にぐらぐらしていて

自分の立つ場所も判らず 本音を隠して生きてきた

ねぇ~本当~のボクの心って何だとおもう


      2023.3.16

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