忘れえぬ傷2 少女から悪魔へ
つづき。
そして家を出た
家になるべくいたくなくて、遠くの高校へ進んだ。
高校生になってから、母は彼氏と別れた。お金のことで揉めている様子だったから、きっとそれが原因だろう。関係が切れて、私は一安心だった。
その代わり、私に対する母の拘束は驚くほど強くなった。
深夜に帰宅しようが外泊しようが何も言っていなかったのに、急にそれをひどく咎めるようになった。携帯でGPS追跡されるのはしょっちゅうで、門限を1秒でも過ぎようものなら3、4時間は罵倒し殴る蹴る…。
夜は母の隣に布団を敷かれ、そこで眠らなければいけなかった。
寝ている間も監視され、視線を感じてほとんど眠れずに明け方に数時間だけ寝落ちした。翌朝になると、起きた途端に夜中遅くまで起きていたことを咎められる毎日…。
さらに制裁として、1週間は私を無視し、食事もお金も与えないというのがお決まりだった。友達に頭を下げてお弁当を分けてもらったり、お世話になっている喫茶店でこっそりバイトをしたりしてなんとかしのいだ。
制裁期間が終わるころ、無視し続ける母のご機嫌をとりつつ土下座をし、ビンタされたり頭を踏みつけられたりしながら、数時間後にようやく解放される。
そして母は決まってこう言う。
「世間ではこれが常識なの。あんたのために言ってあげてるんやからね。あんたの金は全部ママが出してるんやから、言うこと聞くのが当然なんよ、わかった?」
母は強いひとではない。
私が反撃したり拒否したりすれば、自分で命を断つ道を選んでしまうのではないかと思った。あるいはまた私を手にかけるのではと思うと恐ろしくて、されるがままを選んだ。
当時、ストレスで脱毛症や発疹が繰り返しできていた。美容院など行くお金もなくて伸ばしっぱなしの髪でそれらをなんとか隠していた。あのころの自分は本当にみすぼらしくて、見るのがつらくて写真などすべて捨てた。今でも写真は大嫌いだ。
自力で生きていく力のなかった私は、耐えるしかなかった。
高校卒業のとき、家に手紙が届いた。宛名は私で、差出人の名前はない。
不審に思いながらも開けてみると、3万円と幼い私を抱きかかえる父の写真が入っていた。それと、一言だけ書かれた紙。
『卒業おめでとう』
懐かしさと愛おしさと憎しみでぐちゃぐちゃになった。
今さら…そう思うなら、なぜ……あんたのせいで…あんたのせいで!
私は写真を地面にたたきつけた。
それを脚で踏みつけようとして…できなかった。膝から崩れるようにして、ひとりで泣いた。
悪魔になる快感
大学も遠方を選んだ。
そもそも家を出る大義名分としての大学進学だった。
遠くの大学に進学することに、母は最後まで猛反対していた。
地元の大学に進んで、うちから通えばいいじゃあない、と。
そんなものはまっぴらごめんだった。大手を振って家から出るために、これまで家という牢獄を耐えてきたのだ。
なかなか高校の授業に出席していなかったためにかなり苦労したが、なんとか大学にも合格していよいよ入学となったとき。
母は私を呼びつけて正座するように言った。
「ここに、入学金の100万円があります。頭を下げてお願いしなさい。」
その金額は、当時の私には即金で払えるような額ではない。他に選択肢はなかった。
土下座をする私の頭を床に押し当てながら、母は続ける。
「あんたにかけてるお金は全部投資なんやからね。いっぱい稼ぐようになって、ママが苦労した分を返すのが親孝行ってもんやで。あんたは好き勝手してるんやから、それくらいしたってええやろ。」
何も言葉が出てこなかった。
自分だけが苦労して、私は好き勝手に生きてきたと、本当にそう思っているのだとしたら、悔しくて憎らしくてたまらなかった。
奥歯をすりつぶすようにしながら、
「…ありがたく、頂戴いたします」
と答えるのがやっとだった。
大学生になって、母の束縛から物理的に逃れた私の生活は「好き放題」という言葉に尽きる。
夜遅くまで飲み歩き、男女問わず快楽を貪って、ひとの好意を弄ぶようなこともした。
あのときの私は、完全に悪魔だった。
今まで禁止されていたことを、咎められることもなく軽々とやってのけるのは快感だった。良い子でいようとしなくていい、悪い子でも誰にも殴られたりしないことが、これほどの喜びとは知らなかった。
たぶん、このころ悪魔のような所業を繰り返していたのは、母への復讐だった。
直接母に見せつけているわけでも被害がいくわけでもないのに、裏切っているような感覚がして「ざまあみろ」と思っていた。
大学時代、母は何度か私が一人暮らしをしている部屋に来た。
鍵は渡していなかったが、大家さんや不動産屋に連絡をつけて家に来て開けてもらったとか言っていた。帰宅して母が待ち構えていたときといったら…あれほどの悪夢はない。
母はいろいろと私の部屋を引っ掻き回して「世話してやって」、私が作り笑顔で感謝を伝えると満足げにしていた。
最後には頼ってくれて味方してくれると思っている娘が、実際にはあんなことをしているなんて知ったら、きっと卒倒するだろう。
そんな妄想をしていた。
誰かと同じベッドで抱き合っている時間は、つらいことを考えずに済むから好きだ。
何も考えず、あたたかさに包まれていれば、愛される疑似体験ができた。それで十分だった。
だから、そのあとに「付き合って」とか「彼女になって」とか言われると、こわくなって逃げ出した。執着されているような気がして、それが母を思い出させてまともに相手と向き合えなかったのだ。
そんなたちの悪いことを繰り返し、何度か痛い目にもあって、しだいに悪魔はなりをひそめるようになっていく。
その代わりに、これまでに受けた傷がどれほど自分の思考や心を壊していたのか思い知らされ、周囲とのギャップや甘えを痛感させられることになった。
私はいっそう孤独に逃げるようになっていった。
「助けてくれるひとなんていない。私はひとりきりだ。」
そう思って(信じて)、学費と生活費をまかなうためのバイトでひたすら働いた。思考停止していれば、どこまでもやれる気がしていた。
そうやって働いて、ついに私はある日突然壊れた。
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