天気の子と千と千尋
天気の子、見ました。
途中までですが汗
やっぱテレビでは集中できませんね…
感想は映画を見たときと変わらなかったです。映像×歌=最高!
なんですが、ストーリーは・・・
この作品、なんか僕の中では千と千尋の神隠しと比べてしまうんですよ
ボーイミーツガールものとして。
で、千と千尋の場合、監督のメッセージは明確。
少年よ、ハクになれ
カオナシにはなるなよ
それだけ。
女にモテたかったらカッコよく生きろ。
女は追いかけるものではなく追わせるもの。男が追いかけるのは夢とか希望。
ザ・昭和!
それが千と千尋の世界観なんだと僕は見てます。
対して、天気の子の主人公の帆高。
僕にはどう見てもカオナシにしか見えないのです…
誰にも見向きもされなかった少年(カオナシ)が、湯屋の橋のたもとで少女と目が合って恋に落ちる。
その理由は「自分を見つけてくれたから」。
少女に振り向いてもらいたい一心で仮初めの力(金、暴力、言葉)に手を出すも見向きもされず。結局、男前が真心を込めて握ったおにぎりに負けてしまう。
帆高もそうなるべきだったんですよ
カオナシってイチズな奴ではあるんです。女のために必死になって…
でもそんなんだからストーカー止まりなんや、お前ら顔無しはな!と、千と千尋という作品は厳しくも男の子達に教えてくれた。
対して天気の子。
カオナシだって良いじゃない♪女ゲットォー!
…そんなメッセージ、いる⁈
ああ、ぼくも歳を取ってしまった
命の恩人に銃を向ける帆高に、なんか違うなあとしんみりと感じた冬の夜でした
そもそも新海誠監督は元々、男女の間にあるとてつもない距離を描くのが真骨頂の監督なんです。その距離に打ちのめされてべそべそとする姿を見て締め付けられたいんです僕は。
空間の距離
時間の距離
年齢の距離
このとてつもない「間」をこれ以上うまく表現できる人がいますか?
「君の名は」でやっぱりこの距離は埋まらなかったかと思わせてのハッピーエンド。やっとか!と嬉しく思ったのですが、そしたら「天気の子」では最初から最後までべったべた。そら怒るわい!
もうね、これは自分と愛する作品の距離の大きさに自分がべそべそするプレイなんだと思う。
それが、ぼくの「天気の子」でした
※ちなみに僕の中で「星を追う子ども」は無かったことになってます
おわり
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