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育児ノイローゼで暗いトンネルの中をさまよった日々

私が、人の心のこと、マインドのことに興味を持ったのは、育児ノイローゼになったことがきっかけでした。

今から約7年前。

当時の息子たちは5歳と2歳。私は専業主婦で、長男はまだ幼稚園に入る前で、朝から晩まで親子三人で過ごした。夫は仕事が忙しくて、平日は夜遅く帰宅して、朝早く家を出ていった。まったく顔を合わせない日が数日続く、なんてこともあった。いわゆるワンオペ育児状態。

私の実の母は私が長男を出産する直前に病気で亡くなっていて、頼れる実家もなかった。夫の実家が車で二十分ほどの距離にあり、義母が結構頻繁にお手伝いに来てくれていて、それは本当にありがたいことだったのだけど、やっぱりある程度は気を遣うところはあって。

当時の私は「ちゃんとした母親にならなければ」「母親として子どもたちをしっかり育てなければ」と、今思えば自分自身にものすごいプレッシャーをかけながら、日々子育てに向き合っていた。世間からなんとなく感じる「ちゃんとした母親」「良い母親」のイメージに囚われて、その実体のない理想像になろうと、必死だった。でも頑張れば頑張るほど、理想に近づけなくて、自分のできていないことばかりに目がいって、苦しくなる一方だった。

そうやって必死に子育てをしていたら、いつの間にか自分のことはすべて後回しになっていった。朝から晩まで常に子どもたち優先。子どもたちのタイミングに合わせて生活をして、食べ物も着る服も、全部子どもたちとの生活に合わせて選んだ。自分がどうしたいかなんて考えもしなかった。それが母親としての務めだと思っていた。

でも気づけば、そんな生活がどんどん苦しくなっていた。夜、子どもたちを寝かしつけたあと、ぐったりとソファに体を預けたら、そこから数時間動けないくらい疲弊していた。また次の日に朝が来て一日が始まることが怖かった。出口のない暗いトンネルの中を這いつくばって進むような毎日。いやむしろ、進んでいるようにも思えない。暗い空間でずっとさまよい日々グズグズ過ごしているようだった。

次第に、何も感じなくなっていった。楽しいことなんて何もない。もはや怒りや悲しみすら感じない。毎日が「無」。ただただ、目の前の我が子たちがせめて一日を無事に生きて終えられるよう、ご飯を食べさせて、トイレの世話をして、公園に連れていって、お昼寝させて、お風呂に入れて、寝かしつけをした。

なんのために生きているのかわからない。いつまでこんな日々が続くのか。抜け殻のように干からびた心と体でそんなことをぼんやり思っていた。

そうしていよいよ限界に近づいていたある日、ふと「このままではまずい」と思った。私の今のこの状態は普通ではない、と自覚した。今、この状態を何とかしなければ、この現状から抜け出さなければ、私はきっと壊れてしまう。どうしようもなくなってしまう。どうにかしなくては。そう思った。

そこから、私が自分の心と思考と向き合っていく日々が始まったのでした。


(次の投稿へ続く)

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