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「愚痴を言うメリット」は無い

久しぶりに
友人と夜から朝方にかけて
飲みに出かけました。

改めて
自分自身の胸に刻もうとも
思ったことなんですが

自分のことにしろ
他人のことにしろ

本当に重大な
或いは重要なことは

自分の中でだけ
処理すべき

ということです。

と、いうのも
今日、会った友人を
仮にAとします。

Aと僕との間にいる
何人かの共通の友人の中の

Bとぼくは
あることを発端にして
トラブルになり

その時期から
Bとは疎遠になっています。

ぼくも
渦中にあった頃は

視野が狭くなっており
しかし
そのトラブルの相談は

完全に無関係な人に
かつ、人数を絞って行い

結論

周囲にいる人は
自分の鏡。

ということで

自分も未熟であることを
改めて実感させられ

加えて
過度に未熟な人とは
関係を持たない

そう決めて
それ以来は

完全に無関係な人にさえ
その件に関するわだかまりを
思い出したとしても、話さず

自分の中に留めておくように
しました。

どうしても
耐えきれないときにだけ

ぼくにとって
「徳が高い」と思える人と会って

それも
例えばご飯を食べるだけ
とかいうふうに

類は友を呼ぶ
という言葉の

類を
自分中心に考えるのではなく

周囲に
良い鏡(類)を置くことによって

自分が
友(鏡に写る自分)になる考え方に

シフトしました。

そして
昨日、久しぶりに会ったAから

Bとのトラブルの件のことを聞かれ
また
Bが共通の友人から聞いた話を聞かされ

ああ、やっぱりな
オレは間違えてなかった

と、確信できました。

Aによると

Bは
ぼくに暴力を振るいたいぐらいに
腹が立った(立っている)そうです。

詳細は割愛しますが

ぼくが
被害者側であるにも関わらず

です。

とはいえ
Bがぼくに腹を立てていること

そして
それを共通の友人に話すであろうことも
全て想定内なので

それをされても
ぼくは何の感情も湧きません。

ぼくの中では終わったことであり
強いて言うなら
感情としては

「哀れ」です。

かといって
今後、関わる気はありませんが。

今後も
この話は波紋を呼ぶ可能性は
充分にありますが

ぼくとしては

本当のことは
(というのは物事や人の本質ですね)

いつか皆んなが知ることになり
そのときに
それを知った人がどう捉えるか

それでいいと考えています。

質問されれば答えますが
自ら何かを弁解しようという気も

全くありません。

自らが加害者という立場に居て

なおかつ
ぼくに腹を立て
そこに固執している様を

客観的に観れるときが来たら
いいなと願う程度です。

Bくん

「ここだけの話」として
話したかどうかは
定かではないけど

ちゃんとここまで届いてるよ。

その上で

ぼくの心境としては

あ、そうなん?

或いは

まあ、そうやろなぁ

です。

押し付ける意図ではないですが
皆さん

ここだけの話は
ここだけの話に
なりません

本当に知られたくないことは
自己処理するのがベターかと
思います。

もし誰かに話すなら
この話は他の誰かに伝聞されていく

という覚悟を持って
話すよう心がけた方が

心が動かずに
済みます

愚痴
文句
悪口

これらは
言えば言うほど

増幅するし、倍になって返ってくる。

自分は言わないでおこう

それを改めて教わったような気がした
そんな1日でした。

おやすみなさい🐹

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