見出し画像

「小説 名娼明月」 第9話:手繋(てがか)りの財布

 鈴木孫市の漸々(だんだん)と語るを一秋が聞けば、こうである。
 石山の城中には、下間出羽守(しもつまでわのかみ)以下僧俗の大将分三千、雑兵五万数千が、織田勢を仏の敵(かたき)と目差し、死力を尽くして戦うので、これまで落城の気遣いはなかった。
 元来、石山の合戦は、織田信長の野心から起こったものである。
 すなわち、信長が、過ぐる永禄九年、天主教を公認して、京都四条坊門に南蛮寺を建立してから、真宗の教えを嫌うこと一通りではない。それに加えて、日蓮宗の僧、日乗という者があって煽(おだ)て上げるものだから、信長の野心は一層増長を来たし、いかにもして石山本願寺を他に移し、機会を見て絶滅せんと思い、まず石山の地を顕如上人に所望したけれども、顕如上人は、元来仏勅を受けて蓮如上人が創建されし有縁の地であるからと云って、信長の所望に応じなかった。これが信長が本願寺に向かって兵を動かすに至った元である。
 一昨、元亀元年九月七日、織田勢は、天王寺から中島天満の森に陣地を移し、本願寺を攻め立てたれども、石山勢の決心は金鉄のごとく、数度の接戦に華々しき戦(いくさ)振りを見せたので、信長幕下の勇将、柴田勝家、丹羽長秀も、さすがに手が出ぬ。
 そこで、信長は思うた。敵は、伊勢、紀州、越前の門徒が最も多い。まず彼らの根拠地を勦滅(そうめつ)したら、石山本願寺は自ずから落城するであろう、と云うので、織田勢は、昨年の冬以来、大阪の方へは矛先を向けず、伊勢に攻めたり、越前に戦うたりした。
 それで、石山本願寺の籠城中なる伊勢や越前の将卒中、郷国の急に赴いた者も尠(すくな)くない。したがって、石山城内は、一方の大将たるべき者が尠くなった。
 かくと見た織田勢は、この機に乗じ、一騎当千の勇士三千を勝(すぐ)って石山を衝くこととなった。

 「されば、今度こそは、織田勢勝つか、我れ敗滅するかの境目である。願わくば、この急を救うために、急ぎ石山城に入城してもらいたい。軍師飛騨守の内命を受け、不肖、鈴木孫市、わざわざ、ここまで罷り下りました!」

 とのことに、与二郎一秋は、

 「仏敵討伐の軍に入って織田勢と戦うこと、なによりの光栄である」

 一刻も猶予する時でないからとて、大阪に向かうべき準備にかかろうとしているところに、玄関に来て、慌しく呼ぶものがある。見れば、伏岡家の若徒、三郎である。すぐに呼び上げて聞けば、伏岡左右衛門主従が、今夜、片島の森で何者にか討たれ、無惨の最後を遂げた、との知らせに、一秋はじめ妻阿津満、お秋とも、夢かと驚いた。

 「して、その敵は何者か? 手係はないか?」

 と一秋が詰め寄るこのとき、鈴木孫市は、何か心当たりあるかのごとく、懐中(ふところ)より、何やら財布様の物を取出して、

 「これは、その手懸りにはなりませぬか?」

 と、一秋三郎両人の顔を等しく見比べた。
 
 「今夕、神辺川の洲口より上陸なし、地名は存ぜねど、ある森を過ぎてこちらに急ぐ折、その森にて人を殺せし曲者あり、おのれ曲者と呼んで押さえんとしを、曲者は振りちぎって山手の方に逃げ失せてしまった。そのとき自分の足に触れたのが、この品。後日何かの手繋(てがかり)に、と思って拾い参った」

 と語り、孫市が差出したのは、紺緞子(こんどんす)の財布で、口を固く緊(し)めてある。
 三郎は、さてはと驚き、当時の状況を詳しく訊いてみれば、寸分の違いもない。

 「さすれば、そのときの二人のうち、一人を追っかけし他の一人が、この孫市であったか!」

 と、三郎の目は、燃ゆるように、証拠の財布に注がれた。
 とにもかくにも金吾を呼ぼうというので、主人一秋は、直ぐに下僕を、玉島に走らした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?