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「小説 名娼明月」 第10話:不安の一夜

 一秋、孫市、三郎に阿津満、お秋を加えたる五人は、すぐにこの財布の口を開いて検(あらた)めてみると、若干(いくばく)の金子(かね)のほかに一通の書状がある。封を切ったこの書状には、「上田佐次兵衛」と署名し、「矢倉監物様」との宛名がある。
 上田佐次兵衛は帯江の庄屋で、評判の正直者である。佐次兵衛に疑いがないとすれば、この矢倉監物という者が、ちと怪しい、と見てとったのは、主人一秋である。

 「でも、かの平和な左右衛門殿が監物ごとき者から恨まれるとは、なおさら合点が行かぬ。何ぞ、さようの心当たりでもあるか?」

 と訊かれて、若徒の三郎、じっと考えを巡らし、

 「大檀那様が監物より怨まれたもうがごときことは、いささかも存じ申さねど、若檀那様についてならば、まったく思い出さぬこともございませぬ」

 とのことに、一秋ら四人は、目を瞠(みは)り、眸(ひとみ)を輝かした。
 三郎は、去る吉備津宮祭礼当日の出来事から、お秋縁談のことで監物が一方ならず無念に思っているということを訊いたことまで、残らず詳しく述べ立て、なお、本日羽崎へは、最初、金吾が行くはずであったのを、他にやむなき要件出来(しゅったい)せしため、左右衛門が代って行くようになったことを、掻い摘んで話すと、これまで熱心に聞きいたる主人一秋は、はたと膝を打って、

 「もはやその上を聞くの要はない! 敵(かたき)は必ず、矢倉監物に相違ない! かねて怨める金吾を殺すつもりにて人違いをなし、左右衛門殿を殺せしものに、寸分の疑いもない!」

 と語っているところに、金吾も来た。そうして、おのれの父を殺したる敵(かたき)が矢倉監物であるということを聞いて、金吾は、いまさらのように驚いた。けれども、いまはまだ、敵詮議(かたきせんぎ)の時ではない。早く、父埋葬の準備をせねばならぬというので、金吾と三郎は、まもなく同家を辞して帰った。
 一秋、阿津満、お秋は、珍客孫市に留守番させて葬儀万端に手伝い、十七日の黄昏時、左右衛門の遺骸(なきがら)は、伏岡家の菩提寺なる安養院に、金吾の亡き母と相並んで葬られた。
 
 監物は、左右衛門を討ち果たすとともに、孫市の強力(ごうりき)に胆(きも)潰され、辛うじてその場を逃げ去り、山から山を辿って、夜もすでに明けんとするころ自宅に帰りつき、ここにはじめて、懐中の財布の無きことに心付いて驚いた。その場で落とせしか、または途中の山中にて失いしか、いずれにせよ、容易ならぬことである。もしかの財布が人手に入り、大事発覚の端緒(いとぐち)を作らば、もはや万事休せりである。
 もしそうなったら、美しきお秋を手懐(てなづ)けて吾が物とすることはさておき、金吾のために親の敵(かたき)と附け睨(ねら)わるるに至ること必定である。
 と思えば、臥床(ふしど)には入っても、眠ることができぬ。ああしようこうしようと、思い乱れて、一睡もせぬうちに夜は明けた。
 事に敏(さと)き家来才之進が、すぐに監物を怪しと見てとったのも無理はない。この日、才之進は用事があって玉島まで行って驚いた。玉島には、左右衛門暗殺の風聞専らであった。才之進は、さっそく昨夜来の主人の不審な挙動を連想してみた。しかし、主人監物の仕事だとすれば、なにゆえ金吾を殺さずして、左右衛門を殺したのであろう。
 とはいえ合点行かぬは主人の挙動である。してみれば、やはり、主人のした事かと疑い半ばに、才之進は、急ぎ主家に帰り、いきなり、

 「昨夜はどこに行かれましたか?!」

 と浴びせかけた。
 浴びせかけられて、びくびく者の監物は、たちまち色を失ってしまった。


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