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「小説 名娼明月」 第12話:長蛇を逸す

 斃れし敵を心地良しと眺め、

 「三郎! 刺留(とど)めよ!」

 と言い捨てて、金吾はすぐに監物の家に駆け込んだが、家のうちは真っ暗がりで、どこへ行ってよいか、ちっとも見当がつかぬ。監物の家来才之進がどこかに潜んでいるはずと、火気残る火鉢で付け木に点(つ)け、手燭に移し、いざ家捜しをと突っ立つところに、敵の生首を提(ひっさ)げて三郎は入ってきた。手燭の光に照らしてみて驚いた。目差す監物の首ではない! 才之進の首である!
 
 「家来を表へ出して、自ら裏門より逭(のが)れし監物の計略、まんまと乗りしは無念千万!」

 と金吾は才之進の首を畳に抛(ほう)って口惜しがった。とはいえ、まだ監物が屋内に隠れ居るやもしれずと、三郎と力を協(あわ)せ、手燭を二個(ふたつ)にして、押入れ床下の隅々まで探し回ったが、それらしい影さえ見えぬ。

 「もはや逃げたものに極まったり! 彼九州肥前へ志すと言いしからは、海路を取るに相違ない! 自分はこれから西河内、連島はもとより、柏島、笠岡の港々を探るとせん。お前はこれから備後路に向かい、要所要所に眼(まなこ)を配ってくれ!」

 と吩(い)いつけ、三郎に、懐中したる金を与え、主従は両方に別れた。
 一秋、阿津満、お秋の親子三人は、その夜、左右衛門の葬儀を済まして帰ったが、一秋は、鈴木孫市に約せし大阪出陣のことがあるから、休息(きゅうけい)の時間も抜きにして、すぐと出陣の容易に取りかかった。

 「これから戦う敵が織田信長というからには、誠に侮り難き強敵である。一死をもって仏恩に報ゆる覚悟であれば、生還はもとより覚束ない。たとえ自分が討死(うちじに)するようなことがあっても、取り乱して世の笑いを買うようなことはするな。ことにお秋には金吾という大事の夫がある。百ヶ日の忌が明いたら、すぐに祝言をして、万事慎み深く仕えよ。自分が明朝未明に出発すべきことは、昨夜金吾にも話しておいたから、やがて金吾もここに来るであろう。来たら金吾にも、後々の事ども話しておこう」

 と慈心溢れたる一秋の言葉に弱い女心の阿津満とお秋は、両眼より溢るる涙を払いもあえぬ。
 一秋親子に孫市を加えたる四人は、孤灯の下で終夜語り明かしたが、金吾は来ぬ。

 「昨夜彼らに話しておいたから、忘れるはずはない。とすれば、何のために、こんなに暇要るのであろう?」

 と一秋は念のため、下僕を玉島まで走らせたところが、金吾と若徒三郎は、昨夜夜更けて慌しく出て行ったまま、いまもって還って来ぬとのこと。かくと聞いたる一秋は、もしやと思って眉を顰(ひそ)めた。

 「親の葬儀を営みし、その夜もまだ明けぬうちに、金吾主従が夜更けに慌しく飛び出して、いまに帰って来ぬと云うは… はては、敵(かたき)と目差す帯江の監物のところに乗り込んだのではあるまいか? 親を討たれし子の情として、さもあるべきことながら、万一の間違いがなければよいが…」

 と一秋の心は、自分の旅立ちと金吾のことに別れて、乱れがちである。

 「しかし、自分の出陣は、もはや寸刻も緩うすることはできぬ。会わずに立つのは、いかにも残念ながら、やむをえぬ。一筆書き遺すほかはない」

 と、自分の出立後、阿津満とお秋のことを、くれぐれも頼む意の一書を認(したた)めて、お秋に託し、袂(たもと)を絞って別離を惜しむ妻と娘を押し宥(なだ)め、夜明くるを俟(ま)って、鈴木孫市とともに、永年(ながねん)住み慣れし家を立ち出で、出陣の途に就いた。
 二人は神辺川の岸より船に乗り込み帆を上げた。孫市は阿津満の親戚に当たり、紀州雑賀庄(さいがのしょう)にその人ありと知られる人である。



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