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プリンスは最後マイテに助けを求めていたのか!?〜世界で最も孤独なアーティスト〜

プリンスは最後マイテに助けを求めていたのか!?

プリンスの最後になったアトランタのライブ(2016年4月14日)で、マイテに助けを求めていたのか!?

もっと言えば、このピアノ&マイクロフォーンツアー(2016年2月〜4月)を通じて、プリンスはマイテやそのほかの愛する人々にライブを通じて助けを求めていたのではないか!?

と言う疑問が、マイテの自伝「ザ・モースト・ビューティフル〜プリンスと過ごした日々」を読んだことがきっかけで沸き起こってきた。


プリンスは疲れ果て、生きる気力がなかった

ニール・カーレンの著書『プリンス: FOREVER IN MY LIFE』には、プリンスが最後のライブの後、専用機の中で意識を失ったことについて書かれている。

一緒に搭乗していたジュディ・ヒルは、以下のプリンスの言葉を聞いた。

「疲れているんだ。神様に呼ばれてる気がする」
P49  プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン)

ジュディ・ヒル:歌手。プリンスがデビューアルバム「Back In Time]
をプロデュース。


プリンスは機内からカーク・ジョンソンに担ぎ出され、救急隊員に運ばれ病院に行った。その後、病院で回復したプリンスは、

なぜ、回復させたのだと(カーク)ジョンソンに怒りをぶつけたらしい。
P49  プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン)

カーク・ジョンソンについてはこちらを参照してください。

これらのことを前提として、完全に私の推測だが、もしかすると、このライブ(4月14日の)が最後になるとプリンスはわかっていたのではないだろうか。それがこの日の最後のセットリストを観て、ライブを聴きながら新たに思ったことだ。

ライブ全体を通して、プリンスは、彼が愛する人々、ソウルメイトやファンに自分の体調のこと、死に向かっていることに気がついて欲しかったのではないだろうか。

それは、マイテ、妹のタイカ、アンドレ・シモン、シーラE、ウエンディ&リサやスザンナ、そしてプリンス Forever in my life を書いたニールだったかも知れない。

孤独は好きだが、一人では死にたくないプリンスのメッセージがこのピアノ&マイクロフォーンツアーで顕著だったように、プリンスの死から7年が経とうとした今にして思う。

プリンスはおそらく史上最高のミュージシャンで、モーツァルトやベートーベンなどと同じレベルで語られるクラッシックなレジェンドになるだろう。

プリンスは音楽的には全てをやり尽くし、これ以上ない高みに達した。
しかし、一人の男の人生としてはどうだったのだろうか。

プリンスの死因は!?

プリンスの死因は以下であると考える:

・ファンタニル鎮痛剤の過剰摂取(ひどい腰や股関節の痛みのため服用)、
・二人の子供を失ったことから立ち直ることができなかった(1人目は生後1週間で亡くなる。2人目は流産。2人ともマイテとの子供)
・ずっと働かせ休ませることのなかった腕の麻痺がひどくなっていた。ピアノやギターを今後どのくらい弾き続けられるかも分からない状態。
・愛する人々が近くにいなく、プリンスは孤独だったこと(私見)。
P61,  63, 64 プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン)


プリンスは最後のライブの頃、いやもっと前から肉体的にも精神的にもボロボロで生きる気力が失われていたことがプリンスの死因から考えられる。

それは子供を2人失った喪失感が、偉大な音楽家から未来の家族像を奪い、ある意味プリンスは未来を断たれたように感じたのだと思う。

1人目の妻マイテが子供を産んだが1週間後に死亡、そして2人目は流産した。この時のマイテはプリンス以上の私からは想像することができないほどの悲しみと喪失感だったことだろう。

子供の死は夫婦関係に影を落とすと言う。2人の子供の死がプリンスとマイテの離婚の大きな原因になったことは言うまでもない。


子供を失うと夫婦はどのような状態になるのか

このように子供や大事な人を亡くした人が神や仏にすがり、失ったものをどうしたら取り戻せるか「取引」をするようになるそうだ。それは、どこの夫婦にも起こりうることで、プリンスが特別だというわけではない。

その後プリンスが「エホバの証人」に入信したのは嫌だったが、プリンスの当時の心理状況を考えると仕様が無かったのかもしれない。

取引の例:
「もう何もいらないから家族を還してください」
「この出来事が夢でありますように(夢であってください)」
仙台心理カウンセリング


プリンスの場合は、子供部屋のあったマイテとの家を取り壊し、子供はなかったことに、マイテとの結婚もなかったこと(結婚無効)にした。でも誰がプリンスを責めることができようか。

子供や大事な人を亡くした人の「取引」の段階が終わると、次は「抑うつ」の段階に入るそうだ。

抑うつ:
上記の経験から、それらが無駄であることを知り当事者はうつ状態に陥る
仙台心理カウンセリング

「うつ状態」はマイテも経験していることが自伝に書かれている。プリンスはおそらくこの「うつ状態」を乗り越える、もしくは抜け出すことが彼が亡くなるまで、できなかったと推測する。

うつ状態の症状は、
現実を直視し、無力感が深刻となる。
それとともに「かけがえのないもの」との永遠の別れを覚悟するために、他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験しなければならない。
仙台心理カウンセリング


プリンスの最後のライブを何度も聴き感じるのは、プリンスのなんとも言えない孤独、寂しさ、後悔、悲しみ、喪失感だった。プリンスは「うつ状態」で留まり、次の「受容」の最終段階に進むことができなかったのではないだろうか。

受容:
自分自身の現実、現状を、静かに見つめることのできる受容の段階に入る。最終的に「喪失」を静かに、そして穏やかに受け入れる段階。
仙台心理カウンセリング

マイテは少しずつ「受容」ができるようになったのだと思う。彼女の周りには何回も結婚と離婚を繰り返す両親だったが彼女を支え、姉も友達も近くにいた。何しろマイテが若かったと言うのも理由だろう。プリンスが初彼氏で、結婚相手で、失恋もプリンスが初めてだったマイテの心にはそれらを受け入れ「受容」できるしなやかさがあったのだ。

また、養女に「ジア」を迎い入れることができ、幸運に恵まれたこともマイテにとってよかったのだろう。


怖いもの知らずのプリンスが最も怖かったこと


プリンスが最も怖がっていたこと、彼がたった一つ恐れていたことが、
「一人で死ぬこと」だったのだ。
P5  プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン)

かつて「恐れのないことがCOOLだ」と言っていたプリンスにも恐れていたことがたった一つあった。

プリンスは皆さんご存知の通り、最後になった2016年4月14日アトランタでの「ピアノ&マイクロフォーンライブ」の7日後、4月21日にペイズリーパークのエレベーター内で、一人で亡くなった。

プリンスはなぜ、一人で死ぬことになったのだろうか!?

マイテは、プリンスの身体の調子が悪いことを聞いていた。

彼が病に侵され、彼のことを大切に思っていた人たちのことを疎外したという噂をずっと耳にしていた。
p272  ザ・モースト・ビューティフル:プリンスと過ごした日々(マイテ・ガルシア)

マイテは2016年1月に孤独なプリンスのところへ、養女のジアを連れて行こうとしたのだ。マイテはまだプリンスのことを愛していた。

彼と出会ってから1日も、そして、6,000日のうち一晩たりとも、彼のことを考えなかったことはない。
P13   ザ・モースト・ビューティフル:プリンスと過ごした日々(マイテ・ガルシア)


しかし彼女は、電話に対応したプリンスのスタッフの「それは噂に過ぎない」という言葉、1月のミネアポリスの厳しい寒さの中でのジアの脚のことを考え、訪問を夏に先延ばしにしたのだった。

マイテは、訪問を先延ばしにしたことを後悔している:


私は、そのままにしてしまったことを決して許さないだろう。〜省略〜
もし私がジアを連れて彼に会っていたら、彼はまだ生きていただろうか?
もし、運命と偶然がまだ私たちの味方だと彼がわかっていたら、違っていただろうか?

彼女の直感は正しかったように思う。プリンスはマイテをきっと必要としていたし、もしかすると養女ではあるが、ジアに会えば何かしらの生きる希望を見出したかもしれない。

例えば、プリンスの身体の調子が悪くミュージシャンとしての活動が制限されたとしても、彼の理想とする家族像、父親になる可能性もあったのかもしれない。

プリンスもマイテのことをソウルメイトだと思い、愛していたと思うから。

そこで私は、もう一度、プリンスの最後になった2016年4月14日アトランタでの「ピアノ&マイクロフォーンライブ」をyoutubeで聴き、この日のセットリストをは眺めた。


最後のセットリスト

この日は午後19:00と22:00の2回ライブが行われていた。
注目したのは、2回目の方、本当に最後となったライブのセットリストだ。

Prince Setlist:2016.April.14 (10:00pm early show)

at Fox Theater, Atlanta, GA, USA
Tour: Piano & a Microphone

  1. When Will We Be Paid (The Staple Singers cover)

  2. The Max

  3. Black Sweat

  4. Girl

  5. I Would Die 4 U

  6. Baby I'm a Star

  7. The Ballad of Dorothy Parker

  8. Dark

  9. Indifference(この曲は知らなかった)

10. Eye Love U, But Eye Don't Trust U Anymore
11. Little Red Corvette / Dirty Mind
12. Linus and Lucy (Vince Guaraldi Trio cover)
13. Nothing Compares 2 U

Encore:
14. Cream
15. Black Muse
16. How Come U Don't Call Me Anymore

Encore 2:
17. Waiting in Vain (Bob Marley & The Wailers cover)
18. If I Was Your Girlfriend

Encore 3:
19. Sometimes It Snows in April
20. Purple Rain / The Beautiful Ones / Diamonds and Pearls / Purple Rain

このセットリストで注目した曲:
Eye Love U, But Eye Don't Trust U Anymore
Nothing Compares 2 U
Waiting in Vain (Bob Marley & The Wailers cover)/ If I Was Your Girlfriend
Sometimes It Snows in April
Purple Rain

これらの曲は当然ながら、プリンスの代表的な曲である。ボブ・マーリーの曲を演奏したことにも注目したい。この時のプリンスの心情を表しているように感じだ。


最後のライブでプリンスは後悔し、懺悔し、連絡が欲しかったのでは!?


プリンスの曲からマイテへのメッセージを読み取る:

Eye Love U, But Eye Don't Trust U Anymore:マイテへの愛と怒り

私の知っている限り、ライブで初めて演奏されたマイテのことについて書かれた曲だ。昔から大好きな曲で、ある意味Nothing Compares 2 Uと同じような厳粛で悲しい曲だ。マイテを愛していたのに裏切られたという内容の曲で、プリンスお得意の歌詞だ。

是非とも、このライブバージョンを聴いて欲しい。前奏が始まると観客が口々に

We love you!  We love you! We love you!

という叫び声が至るところから聞こえてくる。多くの観客が、この曲を演奏するプリンスの寂しさ、孤独、何か死に向かっているような感覚を直感的に感じたり共有したのかも知れない。胸がグッと締め付けられるような悲しさと美しさが同居した、どこか喪失感のある演奏だ。

プリンスはマイテと結婚している頃、スペインのマルベージャに家を買い、マイテにプレゼントしていた。その自宅には、プリンスの洋服が大量にあったのでマイテは2015年の秋にオークションにかけることを決めた。

そのことでプリンスは怒っており、マイテに裏切られたと感じた。それで今回、そのマイテへの怒りと愛から、初めてこの曲を演奏したのかも知れない。

君を愛している、だけど君をもう信頼していない。
Eye love U, but Eye don't trust U anymore

プリンスはこの曲をピアノの美しく悲しい演奏とともに、ファンの涙を誘うように、本当に寂しそうな声で歌う。プリンスは昔を懐かしみ、もしかすると、マイテに対しての怒りと愛、そして彼女との2人の子供を失った絶望の結婚生活を思い出していたのかも知れない。

「君が僕を信頼しているはわかっている、だけど、君は僕のことをもう愛してはいないんだね。」
Eye know U trust me, but U don't love me anymore, no no

実際のマイテはプリンスのことをまだ愛していた。プリンスもマイテを愛している。プリンスはこの曲を通してマイテにメッセージを送っていたのかも知れない。

それは、次のNothing Compares 2 Uを聴いて、よりそう考えるようになった。


Nothing Compares 2 U プリンスはどこで間違ったのだろう?

彼は他人に自分のことを見せない男性(ひと)だったが、自分の音楽を通して、人々が気づいている以上に多くのことを既に語ってきた。リズムと歌詞の行間からは、愛、運命や傷心を聴き取れる。強さ、愛の終焉、希望の響きを聴くことは容易ではないが、それらは彼の楽曲に実際存在する。
P15  ザ・モースト・ビューティフル:プリンスと過ごした日々(マイテ・ガルシア)

Nothing compares 2 Uは特に欧米では人気があり、いつもファンの大合唱となるライブ向きのプリンス最高のバラードの一つだ。

プリンスはライブの時に少し歌詞を変えて歌い、その場を盛り上げたりする。当初このライブで、この曲を聴いた時はプリンスお得意のファンの心を鷲掴みにする必殺技だと思った。

しかし、今回改めて聴くと、この時のプリンスの心の内を表しているのではないかと考えるようになった。

プリンスは本当に表現力が豊かなので、常にファンの涙を誘うように、感情を揺さぶるように歌うことができる。

下記の歌詞を見て欲しい。(和訳が変なのはご了承ください)

It's been so lonely lonely lonely without you here
ここにあなたがいなくて、とても寂しくて、寂しくて、寂しくて
Like a bird without a song
まるで歌わない鳥のよう
Nothing can stop these lonely tears from falling
流れ落ちるこの寂しい涙を止められるものは何もない
Tell me baby, where Prince go wrong
教えてベイビー、プリンスはどこで間違ったの

Cause nothing compares, nothing compares to you
だから、何も比べものにならない、あなたと比べられるものはない

※太字本来の歌詞はso lonely
※太字本来の歌詞はI go wrong

私はこの曲を聴き、目に涙が浮かんだ。プリンスは孤独で寂しく、誰かを愛していて、それは誰とも比較できるものではなかったことに気がついたけど、もう遅いと言う後悔のメッセージと受け取った。「プリンスはどこで間違ったのだろう」と歌うプリンスの心の内が見えたような気がした。

もちろん、これはプリンスがバラードで悩殺する常とう手段であり、いつもならやられた!と思うのだが、今回は、これ本心じゃやないのかと思うようになった。

Nothing compares 2 U は、感動で鳥肌が立ち、陶酔感で身体の力が抜けてしまうような曲だ。きっとプリンスの中でもPurple Rain、The Crossなどごく僅かな曲にしかないものがこの曲にはある。


プリンスは誰からの連絡を待っていたのか!?

2回目のアンコールにプリンスはボブ・マーリーの有名な曲Waiting in Vainをしっとりと歌う。プリンスはこの曲にメッセージを込めたのではないだろうか。気がついて欲しかったのではないだろうか。

ここでも客から We love you! の声が上がる。

I don't wanna wait in vain for your love
君の愛を虚しく待っていたくない

突如 If I was girlfriendへ、そしてWaiting in Vainに戻り、交互に歌う。最後は観客から大きな拍手!

プリンスがボブ・マーリーの曲を歌ったことに驚いた。そしてこの曲はプリンスが書いたと思うような歌詞であり、途中にIf I was your girlfriendを挟んでも何も違和感がないし、むしろぴったりの歌詞で素晴らしかった。

プリンスは、誰か、それはマイテからの連絡を待っていたのだろうか。



Sometimes it snow in April:4月に雪が降ることもある

この曲の最後の歌詞にプリンスの心情が現れている。

All good things that say, never last
良いことはみんな永遠には続かないって、人は言う
And love, it isn't love until it's past
そして、愛は、それが過ぎ去るまで愛は愛じゃない
Sometimes it snow in April(プリンス)

プリンスは自分の人生に対して、最後はこのように思っていたのかなぁ。

「愛は、それが過ぎ去るまで愛は愛じゃない」と言う歌詞は、プリンスの心の痛みを表しているかのようだ。別れた後に「愛している」と気がつくのは、When you were mineと同じ。

I love you more than I did
When you were mine
僕は、君が僕のものだったときよりも君を愛している。
When you were mine(プリンス)

プリンスは音楽は別にして、人生において同じことを無意識的に繰り返している。プリンス幼少期の両親の離婚がプリンスの人生に、人格形成に大きく影響しているのではないだろうか。

1980年頃のプリンスと2016年4月のプリンスの悩みと葛藤は同じテーマであったのだ。そしてそれはより大きな悩みと葛藤になり、決して乗り越えられるようなものではなかった。

プリンスはミュージシャンとしては世界最高であり、精神的に常に若い。これは天才芸術家にとって必須のことのようにも感じる。画家ピカソやジョアン・ミロやダリ、映画監督のスピルバーグなど、最高の天才芸術家は若い心を失わず、天真爛漫だ。

しかし彼自身の人生をプリンスはどのように考えていたのだろう。

最後のライブのプリンスからのメッセージは、一人で寂しい。誰か電話して欲しい。自分の人生はどこで間違ったのだろうだったように感じる。

子供を2人とも失い、自分の心の一部は死んでしまった。腰は痛く歩くのもやっと、腕は麻痺したらギターもピアノも弾けなくなるかもしれない。それで生きる活力、希望を失いギリギリの状態だったのだと思う。

そして、この曲の歌詞のようにプリンスは「4月に雪が降ることもある」4月21日に何かに吸い込まれるように亡くなってしまった。


これが最後のパープルレインのように歌うプリンス

このライブの最後は大方の予想通りパープルレイン。途中ビューティフル・ワンとダイヤモンド&パールズを挟み、最後パープルレインで終わる。

プリンスはパープルレインをこれが最後というように歌詞を一つ一つ大事に歌う。

It's such a shame, It's such a shame our friendship had to end
僕らの友情を終わらせなきゃいけないのは残念だよ。残念だよ。
パープルレイン歌詞:プリンス&ザ・レボリューション ライブ1985
I only want to see you
bathing in the purple rain
ただ見たいだけなんだ
紫の雨を浴びる君の姿を
I only want to see you
bathing in the purple rain
ただ見たいだけなんだ
紫の雨を浴びる君の姿を
I only want to see you
bathing in the purple rain
ただ見たいだけなんだ
紫の雨を浴びる君の姿を
one more
もう一回
I only want to see you
bathing in the purple rain
ただ見たいだけなんだ
紫の雨を浴びる君の姿を
パープルレイン歌詞:プリンス&ザ・レボリューション ライブ1985

上記の歌詞をこの時はペースを落として、観客と一緒に歌うプリンス。

And let me guide you to the purple rain, to the purple rain, to the purple rain
そして君を紫の雨のもとへと紫の雨のもとへと紫の雨のもとへと連れていこう
パープルレイン歌詞:プリンス&ザ・レボリューション ライブ1985

上記の歌詞のところで同じ歌詞を2回、4回と繰り返した。誰かに伝えたいことがあるかのように。プリンスの歌詞は、誰かと一緒にいたい、友情が壊れても、君のことを愛している。また紫の雨の中で君に逢いたいという、プリンスの人生を表したような曲だと感じるのは言い過ぎだろうか。

前述したマイテの自伝の繰り返しになるが、プリンスは曲で多くのことを語っている。

リズムと歌詞の行間からは、愛、運命や傷心を聴き取れる。強さ、愛の終焉、希望の響きを聴くことは容易ではないが、それらは彼の楽曲に実際存在する。

そのように考えると、なぜ、プリンスはパープルレインを最後に歌い、演奏したのか、それには一つ一つ意味があるのだと考える。

観客はそのようなプリンスの雰囲気から、プリンスの現在の状態を感じ取り、We love you!という掛け声になったのだろう。


愛する人は、いつか去ってしまう

愛する人は、いつか去ってしまうというトラウマがプリンスには常にあったのかも知れない。

プリンスの幼少期に両親が離婚した。人は遺伝もあるが、生育環境に人生を大きく左右されるものだ。

マイテの両親は離婚しても近くにいて、彼女に愛情を注ぎ、彼女もそれを感じたので、プリンスのように、愛する人はいつか去ってしまうというトラウマを持たなかったのかもしれない。

マイテはプリンスとできれば子供のために生きようとし、プリンスは愛する人を遠ざけ、マイテとの結婚生活を継続できなかった。プリンスはそんな自分のことを理解していたし、自暴自棄になることもあったようだ。

マイテの方はプリンスと一緒に生活し、ライブツアーをすることで成長した。
マイテの自伝を読むと、彼女がプリンスと出会い、プリンスに守られる存在だった女の子からタフな成熟した女性になったことがうかがえる。

それは映画「タイタニック」のローズ(ケイト・ウィンスレット)がジャック(レオナルド・デカプリオ)と出会い、つかの間に凝縮された今まで体験したことがないことを経験することによって、新しい世界を知り、自立した強い女性になったのと似ている。

プリンスとの濃密な約10年の間に、誰もができることではない素晴らしく最も美しい経験や、子供を失うという最も辛い経験を積んだマイテは、自立した自己主張の強いタフな女性になっていた。

映画『パープルレイン』の中で、キッドの父親がとがめるような涙を浮かべながら母親に向かって「I Would Die 4 U (お前のためなら死ねる)」と言ったシーンを私は思い起こす。彼はそれが究極の犠牲だと考えているが、実は、誰かのために生きることのほうが、遥かに大きな課題なのだ。
P38  ザ・モースト・ビューティフル:プリンスと過ごした日々(マイテ・ガルシア)

プリンスの究極の愛の形が「I Would Die 4 U (お前のためなら死ねる)」だ。

漫画(アニメ)『進撃の巨人』の主人公のエレン・イエーガーも、プリンスと同じく、愛する人や仲間を救うためなら、自分は死んでもいいと考える「死に急ぎやろう」だった。

プリンスは最後まで誰かのために生きることができなかったのだろうか。

「誰も僕のために生きてくれない。僕も誰のためにも生きていない」と彼がつぶやいたことがあった。
P61  プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン)

音楽では全てを手に入れたプリンスだったが、彼が思い描いた家族は手に入れることができなかった。それはプリンスの生育環境、両親の離婚の影響が大きいのはいうまでもない。

プリンスが幼少の頃に両親が離婚。大好きだった父親が家を出ていき、母親は他の男性と結婚、プリンスは居場所と欲しかった愛を失ったのかも知れない。

離婚しても自分たちは子供の親である、ということを伝えることが重要です。
これは、子どもが「捨てられる不安」を持ってしまうことを避けるためにも必要なことです。

そのような子どもは、「今一緒に暮らしている親からもいつかは捨てられるのかもしれない… 」という不安を無意識のうちに感じてしまう傾向があります。

子どもは、一番みじかな存在であった両親の離婚を目の当たりにすると、愛情に疑問を抱いてしまうようになります。

どんなに愛情があってもいつかは別れてしまう」という思いから、友達や持ち物への愛着が薄くなる傾向があるようです。
離婚と子ども


プリンスはもしかすると、親から「捨てられる不安」恐怖を幼少期に持ったのかも知れない。だから、両親の離婚後、自分が母親に捨てられる前に自分から母親のもとを離れ、友人のアンドレ・シモン宅に居候したのだろう。

この幼少期に持った「捨てられる不安」が、後々プリンスの人生に、大きな影を落とし、特にプリンスが愛する人々を遠ざける要因になったのだと思う。

マイテとの子どもを失い、プリンスは無意識的に「いつかマイテに捨てられる不安、恐怖」「どんなに愛情があってもいつかは別れてしまう」という思いがあったのではないだろうか。

この、いつか「捨てられる不安」が、プリンスの恋愛関係や友人関係に大きく影響を与えているように思える。


プリンスは音楽に自分の身体と魂を捧げてきた

マイテの自伝で、プリンスはパープルレインツアーの無理がたたり、この頃から腰や股関節が痛くて、鎮痛剤に頼るようになっていたことには驚かされる。84年秋頃からかということになる。

彼がステージに立つたびにそうであったように、自分の身体と魂を捧げてきた人が、何らかの薬物による痛み止めに頼るのも無理はないと私は思う。
P144  ザ・モースト・ビューティフル:プリンスと過ごした日々(マイテ・ガルシア)

マイケル・ジャクソンもそうだが、あのような激しい究極のエンターテイメントを追求するようなライブをする人は、一流のプロスポーツ選手と同じように身体に無理がかかる。

スポーツ選手であれば、身体が衰え、自分のプレーができなければ引退するが、プリンスやマイケル・ジャクソンのような究極のエンターテイメントを提供するアーティストに引退はないし、常にそれをファンから求められ、期待される。

そして身体の痛みを取るために鎮痛剤を服用し、それが次第に乱用になる。私たちがそれをとがめることなどできないのだ。

私たちはプリンスのライブで、完璧な素晴らしい演奏、毎回違うパープルレインのギターソロ、ピアノの上で寝そべって歌ったり、シャウトするのを期待している。

プリンスはそれらを達成しながら、もっと多くのことを期待されている。スプリットをいつするのか、どんなマイクパフォーマンスとダンスをするのか、そして、どんな高いところからジャンプして飛び降りるのかをファンは観たいと思っているのだ。

これについてはマイケル・ジャクソンも同様だろう。彼は2時間のライブ中、全ての曲で素晴らしいダンスを提供し、しかも歌わなければ、歌っているように見せなければならなかった。20代30代のパフォーマンスを50歳になってもできることを証明しなければならなかった。

この想像を絶するプレッシャーはプリンスやマイケル・ジャクソンのような高みに達した者にしかわからないことだろう。

サッカー選手で言えば、レオ・メッシは35歳でW杯に優勝したが、50歳まで今のパフォーマンスを継続して、できれば60歳までプレーできないかと言われているようなものだ。

しかもプリンスやマイケル・ジャクソンに交代選手はいないのだ。

私はプリンスが鎮痛剤を使っていたことに落胆も幻滅もしない。なぜなら、そこまでプリンスは命を削ってまで、私たちが期待している、またはそれ以上の
究極の音楽とライブ体験を提供してくれたし、そのために頑張っていたことがわかったからだ。


プリンスは自転車好き、しかし!?

プリンスは自転車(プリンスファンは知っているが)に頻繁に乗っていた。

最後のライブツアーであった(2016年2月から始まった)ピアノ&マイクロフォーンツアーでも、会場内を自転車で移動していた。これはプリンスが昔から自転車好きというのもあるが、腰や股関節が痛いから自転車に乗っていたのではないだろうか。

私も椅子にずっと座っていたり、朝起きたときに、足裏や股関節が痛いことがある。その時は歩くよりも自転車の方が楽なのだ。つまり、プリンスは常に腰や股関節が痛かったのではないだろうか。

2000年代からプリンスはスプリットはしなくなり、踊ることもほとんどなくなった。もしかすると晩年は歩くのもやっとで、それで最後はピアノ&マイクロフォーンツアーになったのではないだろうか。


プリンスに大いなる矛盾があるのは、天才の宿命

プリンスには常に大いなる矛盾があった。一人で自由に創造したい、孤独になりたいのに、一人で死ぬことを唯一恐れていた。天才とは、芸術家とはこのようなある意味カオスを抱えているのだろうか。

天才は秩序とカオスの境界に位置している。それを「カオスの縁と言う。天才的なスポーツ選手やアーティストはこのようなカオスと秩序の境界にいて、そこで「創発」が起こる、それが創造力である。普通の一般人とは異なる位置に生きている。

プリンスは本「プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン著)」でも少し触れらているが、天才サヴァン(サヴァン症候群の分類の一つ)だろう。

天才サヴァン:ある分野の能力が際立っているという点は有能サヴァンと同じですが、天才サヴァンは世間から見ても秀でた能力を持っています。

例えば、一度しか聴いてない曲を演奏することができたり、絶対音感がある。

プリンスの場合、どんな楽器もとんでもなくうまく弾くことができ、歌ってもボーカリストして超一流。踊っても最高。スポーツ(特にバスケ)万能。卓球やビリヤードも上手かったようだ。

音楽業界にも風穴を開けるなどの先進性があり、ビジネスマンとしても際立っているところが多かった。

だから普通の人々とプリンスは分かりあうことが難しかったのだろう。それがプリンスに友達が少なく、人を寄せ付けないカリスマ性の要因であろう。天才は孤独なのかもしれない。


プリンスはミュージシャンとして全てをやりきった。人生は!?


プリンスは音楽に心臓を捧げ、魂を込めて活動し、ミュージシャンとしてはすべてをやり尽くし、求めようもないところまで多くのファンやミュージシャンからの尊敬を集めた。彼のミュージシャンとしての人生は、山あり谷ありだったが、最後は、もう一度最高まで評価を高めた。誰もが思い描く最高のミュージシャンの伝記映画のようなドラマチックな人生だった。

しかし、プリンスの人生、結婚して家族を持つ、子供を作る、数は多くなくとも友達と語り合うことは、私が知っている限り、プリンスが求めていたものは得られていないように感じる。

プリンスは昼も夜もほとんど寝ずに働き、今まで誰も聴いたことのないような斬新な音楽を作り、ライブで演奏し続けた。身体はボロボロになり、鎮痛剤を服用して、無理をしてまでも最高のエンターテイメントライブを私たちに提供した。

その代償として、いつしか踊ることも、ピアノやギターなどの楽器も弾けなくなる可能性も出てきていた。

もしかすると、歩くのもこれからは難しくなるのだったかも知れない。プリンスには、本当に愛する人、信頼できる友達が近くに必要だった。

しかしプリンスは、愛するものを遠ざけた、それは自分自身が相手から拒否されることを恐れたためだ。と同時に、孤独になるのも怖かった。

愛するものを遠ざけるのは、前述したプリンス幼少期の両親の離婚に起因しているだろう。プリンスが親に「捨てられる不安、恐怖」を半ば無意識的に、彼が愛する人々に対して持つようになったのだと思う。

ウエンディ&リサを解雇した時も:
「もし僕の周りのみんなが去ったらどうなる?そしたら僕は一人残されて、味方が誰もいなくて自分だけになるんだ」
P260 プリンス: FOREVER IN MY LIFE(ニール・カーレン)

プリンスは最後マイテに助けを求めていたのか!?

私はマイテの自伝を読み、プリンスの最後のライブを聴き直して、プリンスはマイテに近くにいてほしいと願っていたと考える。それはマイテ本人も。2人は、2人の子供を失った同じ悲しみと苦しみ、喪失感を共有しているからだ。

そういう意味では、マイテが直感的にプリンスが危ないと感じた2016年1月にプリンスのところへ行って欲しかったが、これは結果論であり、その時その時の決断を尊重するべきだと思う。

プリンスは亡くなってしまったが、プリンスの音楽は永遠に人々の心に残る。
何が幸せな人生か、それは人それぞれ異なる。

プリンスは光り輝いていたスターだった。そしてその輝きが大きいほど、暗い影も大きくなる。

私はプリンスのミュージシャンとして何を成し遂げたかに、これからも注目していく。

音楽的には人間技とは思えない完璧なプリンスであるが、人生においての彼の悩みは、誰にでも起こりえることであり、そこに1人の人間プリンスとして共感できる部分があった。

今回読んだマイテの自伝とニール・カーレン:プリンスFOREVER IN MY LIFEは
、プリンスの人間らしさを新たに発見することができ、感情が揺さぶられた。

それが、今回久々にプリンスについてnoteを書いた理由だ。



ペイズリーパーク内:あなたが思う(考える)ことはすべて真実

PS. 最後に、ペイズリーパークの動画を見ていたら、部屋の壁にペイントされていた言葉

Everything U Think Is True
あなたが思う(考える)ことはすべて真実



プリンスのACT 2ツアー1993ウェンブリースタジアムの写真を見つけました。

実は、私もこの中にいます!結構前に行ったはずだけど、熱狂と人の波で押しつぶされて、前の女の子に「F〇〇K OFF!」と言われた思い出がある。

ライブの最初はMy name is Prince!マイテがプリンスの衣装でステージの上から宙吊りブランコで出てきたのには驚いた。プリンスかと思いきや、服を脱ぐとピンクのビキニだった。

あの聖地ウェンブリースタジアムが超満員!プリンスのイギリスでの人気がわかりました。また海外はオールスタンディングが多いので、プリンスのライブの中でも貴重な体験でした。


参考文献

プリンス:FOREVER IN MY LIFE. 著者:ニール・カーレン. 訳者:大石愛理. 東洋館出版社. (2022.6.30)

ザ・モースト・ビューティフル〜プリンスと過ごした日々〜著者:マイテ・ガルシア. 訳:湯山恵子. シンコーミュージック. 2023.2.19

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