あなたのことを考えて あなたのために良かれと思って という言葉に一切責任なんてなく、それは自己満足という話
毎日の生活の中で、唖然とすることってそんなに起きることでもないと思う。
この記事を書くにあたって、
私はその時唖然としたのか、愕然としたのか、はたまた茫然としたのか
どの言葉が適当なんだろうと、調べてみた。
「唖然(あぜん)」
思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま。あっけにとられるさま「愕然とする」
非常に驚くさま
「呆然(ぼうぜん)」
あっけにとられているさまという意味と、気抜けしてぼんやりしているさま
意味を調べてみて、私のその時の気持ちがわかった。
よくよく思い返してみると、7年くらい前から、私はその方と仲良くさせていただいてたと思う。
仕事に関しても相談を受けたりしていたし、私もその方の芸術的な感性に触れる中で好きな部分があったから、イベント等のお手伝いもさせていただいてた。
茫然
そして、もう2年くらい前に、私が東京に出てくることに悩んでいる時、その方とランチに行って、そんな話をしたら、思いがけずその方の口から出た言葉は、私の相方のことを悪く言う言葉が並んでた。
え?
なぜ今それを言うの?
そんな気分でその時は、唖然でも愕然でもなく茫然と聞いていた。
私の顔色が変わったのがわかったのか、その方は急に慌てだして話を辞めた。
その日、それ以降の私の心は、もうどこかに行ってしまった感じで、早く帰りたい。そんな気分だった。
たぶん、だれしも完璧な人はいない。
いい人、悪い人、合う人、合わない人いろんな言い方があって、
いろんな捉え方があって、
でも、よっぽど社会的な悪でない限りは、それを押し付けるのはおかしい。
あなたの感性と私の感性は違う。
そんな風に感じた。
それからしばらくは、興ざめな感じだったけど、
それでも、一緒にしなければいけないことがあったので、
思い直し手伝ったり、一緒にさせていただいた。
一緒にイベントとかして、達成感かあると、なんだかそんな茫然とした心も少しずつ薄れていって、普通のように連絡とったりしていた。
ただ、前とは違って心に何かバリアみたいなものがあるのを感じていた。
それから一年以上経って、私が東京にくることがほとんど決まって、久しぶりに私からランチに誘ってみた。
「よかったね!ほんとあなたのことを思って、あなたのことが心配だっただけなんよ」
って言われた時、
あ、あの茫然としたときのことを言ってるのか、気にしてるのね。と思った。
でも、もう薄れたし、本当に心配してくれた形がちょっと違うかっただけ・・・
そんな風に自分自身を納得させていた。
愕然
なのに、私がもう高松を離れるまで1週間もないそんな時に、改めてご挨拶に行ったら、
私の顔を見ない、
「あなたはもうこの場所から心は離れていたやろ」
そんなことを言われて、
私が渡した挨拶のお菓子もその辺において、
座って自分のスマホを見だした。
なんかその様子に愕然として、すぐに私も帰ってきた。
唖然
それでも、心が乱れて、なぜ、そんなことを言われないといけないのか、なぜそんな態度をとられないといけないのか・・・
そんなことを一人思いつつもどうしても誰かに話したいと思って、しばらくして母に話をしてみた。
私の話にすごく驚く母。なんでそんな驚くん?って思うくらい。
そこから、母がポツポツと語りだした。
ん?どうした?
母とその方はほとんど知らないといってもいい。
「実はね・・・」って母の言葉に今度は唖然とした。
今回私が東京に来ることに対してすごく反対していた母。
それは、その方がある知り合いをわざわざランチに誘って
またこの私の東京行きに関して悪いように言ってたらしい。
そのランチに誘われた方は、私の母とも知り合いだったのだ。
内容があまりにもひどかったらしく、それはいくらなんでも・・・と心配して母に事実として伝えたみたい。
それも母の強固な反対の大きな一因だったと知る。
というような経緯があるんだけど、その話した内容とか、いつだったとかは、今回聞いていない。詮索していっても悲しくなるだけ。
今の幸せは
でも、最終的には母も賛成してくれて、今私はここにいる。
そして、今私は幸せに暮らしている。
幸せだからこそ、今思い返しみて思うことは、
「あなたのことを考えて
あなたのために良かれと思って
という言葉に一切責任なんてなくそれは自己満足なんだなって。」
アドバイスとしては受け入れる。
けど、
自分で決めるということは、惑わされないこと。
それが覚悟するということなんだなと。
だからこそ、どんなことがあっても決めたことを突き進むというパワーが沸いてくるんだなと。
彼女はなぜ、そんなことをしたのか・・・
それは未だにわからないけど、
何かを決めると私自身が捨てなきゃいけないものが出てくる。
それは、意識的に捨てるというものと、
私がやると決めたからこそ結果的に捨てることになってしまったという2種類あるんだなと。
それも自然の流れ。
捨てるものがあるのは必然なんだ。
ただし、捨てるからこそ自分にとって幸せなものが見えてくるのかもしれない。
この話の中で、私が経験した
「茫然、愕然、唖然」
それにも妙に納得しながら、
今日起こる出来事は、私が過去に決めたことで起こっていることなんだ。
そして、それをよくするも悪くするも自分次第なんだなと。
そんなことを思い返させてくれる出来事、経験。
当時は、悲しく思ったり、ショックだったり、どうしてどうして?な感覚だったり・・・
でも、今考えるとそれはありがたい出来事、経験だったんだなと思う。
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