文春vsダウンタウン松本人志問題への言及(文・沖田臥竜)

原稿が上手いのに頭に入らないのは何故か。ダラダラと長いからである。もしくは内容がないからだ。文春の記事を読んでいると、原稿の書き出しが上手い。小説家になったほうが良いのではないかと思うくらい上手く書けている。まあ、小説家はダントツ儲からない職業なのだが……。

さて、週刊文春が久々にダウンタウン松本人志を取り上げ、記事化させた。一読して、内容が事実ならば、よくペラペラ喋る探偵だな〜ということと、尾行しているのがバレている探偵と、それを更に尾行する文春サイド。その構図を想像してすまんがクスッと笑ってしまった。だって、もう推理サスペンスの世界じゃん。公益性とかジャーナリズムなんて微塵も見当たらないじゃん。

探偵なんて職業を私はそもそも胡散臭いとしか思っていないが、すまない。それも私の主観なので許してあげてほしい。だがな、私だったら絶対に痕跡なんて残さない。なんだったら嗅ぎとらせるようなこともしない。それが本来、メディアコントロールの仕事なのだ。記事の中に、どこかの元編集長がやってきて、記事を潰せるうんぬんの話しがあったが、週刊誌の仕事をしてみろ。今の世の中に記事を潰すなんて不可能に決まっているではないか。
現場の記者は記者なりにジャーナリズムを追求しながら、汗をかき取材しているのだ。それを突然、何の説明もなく、編集部から記事化を見送られれば、黙っていれると思うか。編集部全体の士気にだって影響してくる。

察するまでもなく、文春は和解するつもりはないのだろう。そこについて何も思わないのだが、一点だけ。誰が報われるのかということだ。文春の記事によればA子さんは怯える日々を過ごしているという。ダウンタウン松本人志氏ははテレビから姿を消すことになった。これで誰かが報われたのか。文春も記事化することで当然、A子さんのリスクヘッジ。つまり、記事化したあとのA子さんの精神状態を考えたはずだ。だからこそ、持ち込まれてから記事にするまで3年半の月日を要している。
記事化に踏み込めば、松本人志サイドから訴えを起こされ、法務案件になることも織り込み済みであったはずだ。そして泥沼の戦いが始まった。

今の世の中、強い者が勝つというよりも、被害者が突然、強者になってしまうことが多々あると思うのだが、何でもかんでもすぐに「訴えてやる!」ということがカッコ良いことではないし、私は被害者が強者になることも好きではない。何故ならば被害者という立場を前面に押し出せば、なんでも罷り通る側面があるからだ。

泣き寝入りしろというのではない。記事化におけるボーダーラインの話だ。松本人志氏は芸能人でありながら、公人ではない。ほぼ公人に近い存在かも知れないが公人ではないのだ。そうした場合、ボーダーラインは、刑事事件になるかどうかが争点になってくるのではないか。警察を利用するのではない。
誰であれ無理矢理、性的行為に及ぶのは許されることではない。だが、どうだろう。何年も前、しかも無理矢理という意識がない中で、一夜にして犯罪者扱いにされれば、誰だっておぞましくないか。

今更、文春も引き下がることはないだろうし、文春の記事を松本人志サイドも認めるようなことはないだろう。その上で誰も報われないのだ。ならば、手仕舞いさせることが、何より優先されるべきではないのか。

私は松本人志氏に早く復帰して欲しいと思っているが、それによって巻き起こる論争も不毛だと思っている。キリがないからだ。公人ではない松本人志氏を社会的に週刊誌が抹殺するならば、記者もそれなりの覚悟がいるのではないか。集団だから大丈夫みたいな心理では、他人事と同じだ。文春が「もしも松本人志の言い分が正しいならば、我々は全員、筆を折る」というならば、私は書き手としての「覚悟」をみるが、それはやらないだろう。やる必要もないからだ。今、やる必要もない記事をやるよりも、早く終結させるほうが、それぞれの負担が解消されるのではないのか。

ゴールが分からないのだ。松本人志サイドのゴールは汚名を晴らすことではっきりしている。だが、一方のゴールはどこにあるのかが不透明ではないか。私の考え的に、他の被害者の為にも的な正当性がよく主張されるが、人は人で他人は他人である。
私は、嫌なことがあれば、言うことも我慢することもストレスをためることもできるが、ただ自分で卑怯と思うことはカッコ悪いのでやらない。間違っても卑怯や裏切りを正当化させるような生き方を私はしない。それは誰に理解されるされないではなく、私の生き方の問題としての話だ。

文春と松本人志サイドがいくら火花を散らしあっても誰も報われない。ならば、終結させることが一番優先されるべきではないか。でなければ不毛な論争を巻き起こすだけだし、果ては週刊誌全体の衰退にだって繋がっていくのだ。

間違ってもスクープとゴシップは違うし、スクープとして刺し込んだことで、1人の人間を社会から抹殺してしまうことも書き手の領分を超えてしまっている。

(文・沖田臥竜)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?