ダウンタウン松本人志をテレビから消してはならない(文・沖田臥竜)

SNSを開くと誰かがどこかで必ず誰かの文句を投稿している。アンチなどと名前までつけてもらい、さぞご満悦なことだろう。ただすまぬ。私はアンチという人種を総じて気持ち悪いと感じでしまっている。許してやって欲しい。これは私の主観なのだ。悪口も言い続けていれば人が集まり、不思議なことに正義に変貌してしまっていることがよくあるが、またまたすまない。他人の文句が正義になることなんて間違ってもない。
「いんや、あるもんね!」というあなた。それはあなたがバカなだけだ……すまない。正直ものすぎて。できれば、こんな正直ものの私を許してやってはくれまいか。何だったらついでに原稿料やギャラをあげてくれれば、もっと嬉しいぞ。
私はあくまで、人は人という考えを持っているので、他人を見て羨ましいという感覚がない。
私には私の個性があって、昔から人の真似をするのが嫌いだ。というか、人前で努力するのが嫌いなのだ。努力するのはみんなが寝ている場所でやってきている。人前では涼しい顔をしていたい。
物書きとしてデビューして、私が今見ている世界は変わったかもしれないが、それはまぐれでも運でもない。
人と同じことをするのが嫌いな私が、努力の限界をひとりで超えてきた結果なだけである。
だから今だって寝ずに原稿を書いている。じゃないと仕事が追いつかないからだ。
明確に私にはやるべきことが決まっていて、一つは作品を残すこと。一つは暮らしていくことだ。
私は他人の幸福に興味ないように、不幸にも全く興味がない。ただ、私と触れあい私が大切に思う人間の幸福や不幸には純粋だと思う。

私の人間関係の中で、喜ばしいことがあれば、嬉しく感じることができるし、困った人がいれば力になりたいと感じてしまう。そのために身を削って働くことが難しいことではないだけだ。
SNSでいくらアンチの称号を手にしても、せいぜい憂さ晴らしできるくらいで、何も世の中に残すこともできなければ、実社会で誰も救うなんてことはできない。私の考え方が正しいかどうかなんてこともどうでも良い。私の中で正しければそれで良いからだ。

前置きが長くなってしまった。
果たして、人を褒めることと貶すことは、どちらが痛快か。胸に手を当てて考えるまでもなく、大多数の人間は人を貶すことに快楽を覚えてしまっている。それは今に始まったことではないだろう。

もしも週刊文春がダウンタウン松本人志氏に対して、悪意を持って性的疑惑を報じたのならば、今の現状は文春サイドにとって、大成功と言えるだろう。
だって芸能界の頂点に君臨する松本人志氏をテレビから消し去ることに成功したからだ。
だが週刊誌ジャーナリズムの観点から考えてみるとどうだろうか。
私はそこに類を唱え続けた。ジャニーズ問題にしてもそうだ。
亡くなったときは、あれだけ哀しみの報道を連日、続けていたくせに、何年も経ってから今度は大罪人として故人であるジャニー喜多川氏を断殺したのだ。マスメディアの衰退に拍車をかけるとも分からずにだ。私はそれを無責任だと感じるのだ。
結果、ジャニーズ帝国は崩壊、一番槍をついた文春はさぞ満足したことだろう。おかしいことだと考えずに他のメディアも乗っかりに乗っかってたよな。一度、貼られた汚名のレッテルはそう簡単に消えることはないだろう。ましてやジャニー喜多川氏は故人である。どうやって挽回できるのだ。

それで次のターゲットになったのは、ダウンタウン松本人志である。片側の意見を軸にした記事に、あれが世の中に伝えるべき公益性であったと胸を張って言えるだろうか。
私だったらすまない。そんな会社やめてやりたくなるだろう。
スクープを刺すことが悪いと言っているのではない。それが仕事なのだ。刺すほうも刺されるほうも仕事なのだ。だが、濡れ衣であったり、マスコミの報道姿勢に問題があったり、その延長線上にSNSが沸騰することにジャーナリズムが成立しているのか。それもビジネスだというならば、一理あるだろう。
ではいくら儲けたのだ。ジャニーズと松本人志問題を報じたことでどれだけ儲かったのだ。これだけ紙が壊滅的になり、出版業界で仕事している人間ならば、あれくらいでは焼石に水だとみんな分かっていることだ。私にはジャニーズ問題も松本人志問題も週刊誌として報じるべき問題だったと思えないのだ。それが当たり前の感覚ではないのか。

私は基本的に政治や他人に期待なんかしないのでどうでも良いが、どうだ。

大きな問題で注目を集めて、社会問題として追及することで、少しは秩序なり社会が良くなったのだろうな。
SNSをのぞけば、きっとまた匿名さんたちが報われることのない文句を言っているぞ。

週刊誌が報じれば、それが真実じゃなくても社会から抹殺させる風潮を構築してしまっているのならば、ペンを持つ者すべてが猛省するべきではないのか。でなければ、イタズラに混乱を招き、便利だったはずのSNSが誹謗中傷のドル箱と化してしまうだろう。それでクビがしまるのは、他でもないメディアだとしたら、目も当てられないのではないか。

週刊誌はあくまで広く世に公益性あるものを伝えるものであって、素人の読者に簡単に「ゴシップ」雑誌などと揶揄されるものではないはずだ。
紙が売れない時代だからこそ、無茶した記事を作るのではなく、週刊誌にしかできないジャーナリズムを追及していくのが週刊誌に与えられた役目ではないのか。

尼崎の大スターダウンタウン松本人志氏には、早くテレビの世界に帰ってきてもらいたい。天才松本人志ならば、また復活してきてくれるだろう。

人の不幸は聞き飽きた。すまないが、芸能人のスキャンダルを耳にすると、私は情報のプロフェッショナルである。四方八方に伝え、易々とくだらないスキャンダルを抜かせないようにしている。

(文・沖田臥竜)

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