先生にはこだわりがある。だから、誰でもいい。

子供について思うこと。
2歳の息子がいる。0歳のころから保育園に通っており、もう2年が経つ。
学年が変わると引き継ぐ人もいるが、担任の先生も変わる。
そんな中、感じることをここに残す。

以前も書いたが、大学で教育を専攻した。だから、ほかの人より学校教育に対するこだわりは強いと自負している。
だからこそ、保育園の担任は誰でもいいと主張したい。

まず、そもそも保育園は学校ではない。最近はこども園ができ、教育と保育が一体となっているところもあるが、保育園だけであれば厚生労働省の管轄で、教育機関ではない。
だから、私はそもそも保育園での教育というものを期待すること自体が間違っていると思う。幼児教育を期待するのであれば、幼稚園に入れるべきだ。それができないからといって、保育園での体操や英語などの習い事を期待してはいけないのだと思っている(一般的に共働きでないと生活が大変というのは分かっているし、現に私もその立場なので、この考えをほかの人に強制すべきでないとはわかっている)。

では、私は保育園に何を期待するのか。それは誰かと関わることだ。それはどんな人でもいいと思っている。
優しい先生と関わって優しさというのを感じ取ることもいい。厳しい先生から集団のルールを学びとるのもいい。いい加減な先生から、大人でもいい加減な人がいるんだと思うのもいい。
とにかく多様な人との関わりを通して、良いことも悪いことも感じ取ってほしいと思っている。

だからこそ、私は担任を含め、保育園の先生は誰でもいいと思っている。仮に私がいいと思った先生しか担任でなかったら、その時点で多様性が失われていると思う。そもそも、私がいいと思う先生が息子にとっていい先生であるとは限らないのだから、私が担任に対して何かを思うこと自体が的外れな気もする。
息子主体で考えなければ意味がない。

育児や教育に対して、思想やこだわりを持つことはよいことだと思う。無関心ではいけないが、親が持つこだわりは、子供の意見によって簡単に変わるものでなければならない。
あくまで教育や育児の主体は子供自身で、親の考えは従属的なものに留めるべきだと私は感じる。

広まらなくていい私の自戒でした。

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