「MIU404」を観て。
ドラマを、久しぶりに最終話まで見ました。
もともと映像を見ることは得意ではありません。「長時間固定された環境で同じものを見続ける」のは苦手な方。
だけど「野木亜紀子さんの作品はできるだけ見なくては」とたまに本気出す。もちろん見ていないのもたくさん。
スイッチを、押す。何度でも
何度も出てきたキーワードは「スイッチ」。
元エリートの志摩と、元ヤンの伊吹の凸凹バディは、バカみたいに真正面からぶつかっていく伊吹の「殴りかかっていくかのような歩み寄り」から次第に強い絆で結ばれ始める。
伊吹が志摩の過去を知りたいと思った時、桔梗隊長に言ったセリフは強かった。
「俺と志摩がバディを組むのは偶然。でもその偶然から生まれたスイッチはいくつもあって、それを一つひとつ見逃さないように向き合っていきたい」
というようなこと(うろ覚えだ!)。
強いメッセージが人を動かす。
「できるだけ優しい未来のために」
愚直なまでにまっすぐに、偽りなく、本当の言葉だけを放ち続ける伊吹の目線は、「本当のことを見ろ」という真のメッセージを孕んでいるかのよう。
対照的に、「見てもいない事象をツイートでチラ見しただけの人たちが、真否を見極めもせずにデマを拡散する」という図が描かれている。ああ、私たちのことか。本当のことをすぐに見逃す私たちのことだ、と。
でも生きてさえいれば、いつでもゼロから始められる。
最後のシーンは印象的だ。ドラマの中の時間軸は2019年。
「2020年がどうなるかわからないうちに、そのタイムラインの物語は書けない」という野木さんの強い信念からだというが、まさにその通りのことが起こる。
オリンピックは始まらなかった。
新国立競技場が描く「真っ白な大きなゼロ」の脇を通過する機動捜査隊の車。
「死んだ奴にはかなわない。でも、生きてさえいれば、何度でも挑戦できる」
優しい未来のために。
「俺は、お前たちの物語にはならないよ。」
黒幕だった久住の最後の言葉が、とても深かった。
そうだね。
そうだ。
私たちはいつも「ストーリーを求める」。
何かを売るときに「ストーリーをくっつけたがる」。
ふふ。
このドラマは、「優しい未来のために血と汗を流して命がけて働く人々」の強烈なメッセージの裏に、鮮烈なアイロニーを孕んでいるように感じる。
さて、私たちは本当のことを見ようとしているだろうか。
本当のことって一体なんだろうか。
そんなものはこの世にないんじゃないだろうか。
ただひとつ確かなのは、「それは本当なのか」をその都度考えること。スイッチを見逃さないように。何度でも。
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