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冒険心だけはなくしてはならない

ようやく梅雨に入ったね、そんな言葉が通い出す6月初旬。そしてすでに沖縄は梅雨明けしたんだってね、思わず夏の風を浴びた感覚になる。

でも、外は雨だ。

こんな時は決まって、物思いに耽る時間が雨音が止むまで、心の中を支配したがる。

40歳を目前に控えているからなのか、どうにも人生についての夢や目標のことが頭から離れない。だから、人生に、夢や目標について、ついつい余計な時間を使ってしまう。

いつまでも子どもみたいなこと言うな

夢を持つのは10代や20代って相場が決まってんだよ。ましてや、結婚して、子どもがいる状況なんだから、「いつまでも子どもみたいなこと言うな」って、そんな言葉も満更でもないと思える。

いや、そう思うことで、明らかにいくつもの人生の活路は閉ざされることになるんじゃないかな。

バカ言ってないで現実を見ろよ。

でも、”夢”って言うのは、”芸能人になりたい”、”サッカー選手になりたい”、”宇宙飛行士になりたい”という”将来の職業”にだけを当てはめなくてもいいんだよ。そんな風に思っているのは、バカげたことなのだろうか。百歩譲ってそれが馬鹿なことだと世間から罵られたとしても、それを認めるのは紛れもない他人ではなく、自分でなければならないのだ。

だから、夢や目標ってものを、”健康でいたい”とか、”海外旅行に行きたい”とか、”スポーツカーを買いたい”とか、”家族を幸せにしたい”とか、こう考えていてもいいのではないか。

すべてのことは「挑戦」から始まる

叶えられない夢を持つよりも、小さくて叶えられる夢を持つことも大事。逆もまた然り。だからといって、保守的に考えてしまうと、そもそも夢や目標を持つことを前向きになれない。

いくら歳を重ねたって、いくら責任が重くのしかかる状況にいたって、冒険心だけはなくしてはならない。

すべてのことは「挑戦」から始まるのだから、それを固く閉ざしてしまったら、それはつまりそこから何も始まらない。成長が止まってしまうことよりも遥かに多くのことが、失われてしまうのだから。

夢を持つことは死ぬまでやめてはならない。

得られたものよりも、得られる可能性のあるあらゆる経験に挑戦していくのが、人生の醍醐味ではないだろうか。

継続することは挑戦の延長だ

去年から始めた筋トレも、早いもので1年になる。いや、詳しく言えば1年という時間軸で図ることはあまりに容易すぎる。

どこまで自分がやれるのか、そんなカッコいいことを言うつもりはない。現に、月に10回程度の筋トレを心の底から楽しいなんて思えていない。

やめたい。もう筋トレやりたくない。

それならやめればいいじゃない、そう話す妻の声がどうにも保守的に感じる。

やめたいけれど、やめられないのだ。

40歳を目前に控え、どうしても叶えたい夢があるんだ。

人生で一番輝いたと胸を張って言える40代にしたい。

それにはやはり、健康でありつつ、低身長というジレンマとコンプレックスに悩まされ続けた人生からの脱却を、筋肉で補う必要があるのだから。

挑戦は延長だ。

どこまでも続いている夢を終わらせないために。



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