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短い物語P&D『世界の果て〜街へ』

男は深夜に目が覚めた。
今夜は夜勤がない。
無駄に寝過ぎたせいなのか、少し機嫌が悪かった。
時計の頭を一回叩いて時間を確かめる。
もうすぐ明日。
男はプロスポーツの結果を求め、リモコンのボタンを親指で探った。
左腕を伸ばし、画面を目がけて軽く打つ。
TVの寝起きは悪く、灯りを消したままの部屋を黙って照らした。
画面は未だに読めない天気図だった。
男は上半身を起こすと、小銭がじゃれる音が聞こえた。
デニムパンツのポケットには昼間のお釣りがあった。

男は着替えもせずに部屋を出た。
どこへ行くかは直ぐには決めかねた。
一番近い自販機をスルーして、いつもと違う場所を探し歩いた。
ただ缶コーヒーが飲みたいだけ。
けれど意外にも自販機は見つからなかった。 
男は今まで通った覚えのない道に挑戦した。
緩やかな坂を登る途中、細い路地があった。
そこを抜けると再び坂道が現れ、左手へ上って行くと神社の鳥居が見えた。
その先に寂しげな灯りを見つけた。
間違いなく自販機だった。
男は疑うこと無くそこへ向かった。
そして坂を上りきった時、想定外の展開を迎えた。
突然の地盤沈下だった。

男は簡単に巻き込まれた。
わずか数秒で地層が現れると、そこに手をかけて落下を逃れる間は与えられなかった。
男はアスファルトの断片に乗ったまま降下していった。
あるはずのない階層へ運ぶエレベーター。
体験したことのない恐怖が、さらに体を硬直させる。
どこまで落ちて行くのだろう。
罰が当たったとでもいうのか。
男には幾つも身に覚えがあった。
ようやく沈下が止まった時、その衝撃で男は後ろへ倒れこんだ。
頭を打ったのか、そのまま気を失ってしまった。

男は寒さで目を覚ました。
聴こえて来る鳥の鳴き声。 
空が正面に見える。
男には空の色で時刻が分かるはずもなく、スマフォは部屋だった。
それでも静けさが朝を表していた。
どうやら男は一晩の間、穴の底で気を失っていたらしい。
後頭部に痛みを感じたが、流血は無かった。
どこも骨折はしていない。
掌だけが擦り傷だらけ。
恐る恐る上半身を起こそうとすると、背後で音がした。
何かが崩れるような気配。
男は咄嗟に身構えた。
もっと深くへ沈下するかもしれない。
ここでようやく周囲を見渡すと、底は一面のゴミ世界だった。
底を埋め尽くす色とりどりの残骸。
山のように積み上がってできたオブジェ。
分別されていないガラクタを敷き詰めたフロア。
コーヒーの空き缶が目立つ。
中には見覚えのあるゴミがあった。
それは、かつて男が持っていた物と同じ。
土に還ることができない物から、目を背けたくなるような物まで。
男にはそれらが全て、自分が捨てた物に思えた。
「痛ッ」
不意に上から何かが落ちて来た。
目の前を落ち着き無く転がっていくのは、小さなサイズの空き缶だった。
たぶんコーヒー飲料。
それは地上から投げ捨てられた魂。
誰かが放り投げたはずなのに、男は助けを求めなかった。
やがて立ち上がると、頭上を見上げた。
両足が少しだけ沈んだ。
今日という一日が流れ始めていた。
自分で這い上がろう。
とにかくここから抜け出さなければ。 
男の有給休暇消化は、きっと今日で終わるだろう。 ~終わり

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