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私たちは「数字」として、後世に残るかもしれない

今、我々は歴史の転換点にいるかもしれない。

先月後半からはじまってしまった、ロシアによるウクライナ侵攻。開戦前、私は大した利益も見込めないのに侵攻するとは思えないと、鷹を括っていた。
しかし、今思い返してみれば、欧州の大国同士の戦争なんて信じたくないと、思っていたのかもしれない。もちろん、理性的に考えればありえない侵攻ではあるのだが、昨年にプーチンがウクライナとの同一民族性の提唱し、論文を発表していたこと、プーチンがソ連崩壊をトラウマとして覚えていたことを踏まえると、数字的な目的ではなく、プーチン本人の思想に重点を置いた、侵略戦争が発生してしまうことは、ロシアという半独裁国家であれば起こりうることを、知識不足、思考不足で想像すらしなかった。
私は、人間が理知的な生き物だと思い込みすぎていたのだ。皆が、「プーチンは愚かだ」「侵略者だ」と非難している。その通りだ。私たちから見れば彼は悪魔でしかないし、私の目にもそのように映った。
しかし、人間が愚かな生き物だから、血に塗られた歴史を繰り返してきた。世界のどこかで紛争は起きていた。世界を巻き込んだ大戦だっておきたことがある。

それを今繰り返さない保証がどこにあるだろうか?

「100年、壁が壊されなかったからといって今日壊されない保証なんかどこにもないのに…。」

否応にも、アルミンの言葉が反芻してしまう。

そして今回のウクライナ侵攻は対岸の火事ではないという意見もよく見かける。私も同意見だ。

台湾有事。これは安倍晋三元首相が度々口にしていた台湾における最悪のシナリオだ。台湾が侵攻を受け、制圧されることが有れば、沖縄半島も秒読みであり、尖閣諸島に対する侵攻も起こるだろう。
もちろん、日本はウクライナと違い、NATOに加盟しているし、何より、米軍基地が配置されている。だから侵略には踏み込みにくいとは思う。
だが、それらを無視して、仮に習近平が「元々、沖縄は中国固有の領土であり、日本は不当に占拠を繰り返してきた」などと不当にでっち上げ、お高い歴史修正主義を掲げて侵攻してこない保証はどこにもない。
理性的に考えればありえない、採算の取れない行為でも、感情、思想に身を任せれば人間は行えてしまうのだから。

また、隣国が中国とロシアである以上、ウクライナ侵攻が飛び火した場合限らず、もし世界大戦になれば日本が戦場になるのは必死だ。米国に対し攻撃を仕掛けるためには日本占領は不可欠であると同時に、アメリカにとっても絶対死守せねばならない防衛ラインだ。だからお互いに全力でぶつかり合うことは間違いないだろう。そして、その地獄の様な戦火に巻き込まれるのは私たち、日本国民だ。その時、私たちに生き延びる手段が果たしてあるのだろうか。
心苦しいが、私には思いつかなかった。

そして、ウクライナ侵攻に関する報道で、ロシア軍、ウクライナの民間人の死者数が、表示されるたびに思う。1人1人の人間に大切な人がいて、多様な人生を歩んできたと思う。その人たちがどんなに酷い死に方をしても、後世の教科書には「死者数」としてしか、記載されることはない。また、それは私たち、日本国民にも言えることだ。もし第三次世界大戦のようなことが起きれば、歴史の教科書で私たちが覚えさせられてきたように、未来でも私たちの死体の数は、教科書に印刷された数字でしか残らない。
そう考えると、そんなことで後世に残るくらいなら、いっそのこと消し去ってしまった方が幾分マシだと思ってしまう。一人一人に人生があるのに、死者数としてしか後世に残らないなんて、人の尊厳を軽んじられた気分になる。
まあ、そんなことを嘆いても仕方のないことだとは理解しているし、教科書とはそうあるべきなので、死者数を載せるなとか思っているわけでもない。
ただ、言葉には表せないモヤモヤが、拭いきれないだけだ。

今回のウクライナ侵攻で、いきなり日常が崩れ去り、瓦礫の下敷きになって死ぬことがありえてしまうことを、再認識させられた。そして、この日常を、今まで以上に尊ぶべきだと痛感させれた。
ウクライナにいる彼らは、それを背中越しで私たちに伝えている。

今、私たちにできることはなんだろうか。

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