sフィルムカメラ

8ミリフィルム考

映画に興味を持ちはじめて数年してから、映画撮影にはフィルムとデジタルという2つのフォーマットがあることを知りました。そのときの映画はまだまだフィルム撮影が主流だったと思いますが、私のようなお金のない自主映画制作者にとってはデジタルの恩恵は計り知れませんでした。撮影したものがデータとしてPCで管理でき編集でき、データとして書き出せる。私が手に入れた最初のカメラはDVテープで撮影するものでしたが、その後、SDカードで記録するカメラとなり今に至ります。最初にDVテープなりSDカードを購入すれば、現像しなければいけないフィルムと違い、データとして取り込んで上書きをしていけるのです。

深淵の世界に足を踏み込む

映画の撮影に興味を持ち始めると、あの有名な映画は35ミリで撮影、この大好きな映画も35ミリ、という具合に映画は35ミリフィルムで撮影するのだと理解しました。しかし、それはあくまでプロフェッショナルの世界の話で憧れの対象に過ぎないのでした、技術や予算のことを知るとそう思い知るのです。でも、大丈夫。さらにいろんな作品に触れていると16ミリフィルム、8ミリフィルムがあると知りました。うーん、今の自分が手を出せそうなのは…8ミリです。
ということでググりますと東京に8ミリフィルムを販売しているお店があり、ネットオークションで探すと8ミリフィルムカメラがありました。勢いで行くしかないと購入。かくして私の手元にはFUJICA Z800と8ミリフィルムがやって参りました。




手元に来たからには早く撮影してみたいというのが男心。カメラと三脚をもって近くの山へ登り、町が見渡せるところへやってきました。グリップのしたのところへ電池を4つ入れまして、フィルムを入れるカートリッジ?の扉をカパっと開けまして、フィルムをカチッと入れます。開いてる扉を閉めまして、覗きにくいファインダーから町の風景を見ます。ああ、ピントが合ってない。やや、明るさはこのくらいか?そもそもモーターは回るのか?なんていう事をしているうちにドンドン時間は経っていてデジタルカメラなら5分とかからない作業に15分は掛かりました。そうこうしているうちに構図はこれでいいか?ピントはどこに合わせる?そもそもモーターは回るのか?と始まるわけで気が付いたら山の上で30分汗を流しているのです。なぜか。それはフィルムだからです。撮り直し出来ない。ピントがズレてたらそのまんま。明るさが間違ってたらそのまんま。と言うか現像に出して帰ってきて映写してみるまでどんな風に撮れているか分からない。うーん、弱ったなぁ。しかし、これこそ映画なのかも知れないぞ。私が求めている映画の形かも知れないぞ、と思い始めました。

究極を求めるなら

映画の撮影方法は監督ごとにいろいろだと思います。何を重視するのかとか。予算もあるでしょう。デジタルとフィルムという点で言えば、デジタルであれば何度も撮影をすることが可能だし、撮影後すぐにモニターでどのように撮れているかの確認ができるわけです。で、そうなってくることにおいての弊害と言うのがあると思うのです。そう、1カット、1カット大切に撮影しているか?ということですね。役者さんにとってもNG出しても次のカットでちゃんとやろうという、やってもいいという怠け癖?驕り?テキトーさ?がチョットは生まれませんか。これは制作サイドにとっても全く同じ。デジタルカメラのポチッと録画ボタンを押して終わればもう一度ボタンを押すということと、フィルムカメラのちょっと重めのトリガーを握って回るというより走り出すフィルムの音、シャー!と発するモーターの駆動音に混じってフィルム代、現像代がチャリン、チャリンと聞こえてくるあの緊張感。これが私の求めた映画の形じゃないのかなぁと思うのです。

☝️現像して壁に映写してみた

自主映画

ある映画監督は「AVと自主映画は時代の最先端」ということを話していました。これはどういうことかと私なりに思うところは、自主映画と商業ベースの一般的な映画の違いにもあると思います。それは、関わる人のほとんどが素人であるか、その道で食べているプロフェッショナルかということです。自主映画を作る人は行く行くはプロとして作りたいと思う訳でしょうが、そういう気持ちが強すぎる余りプロフェッショナルな映画の真似をしようとする訳です。真似をすること自体はいいとしても商業映画の縮小再生産物であってはいけない、ならないのです。なぜなら「AVと自主映画は〜」ということです。自主制作とは自分たちでやりたくて、作りたくて作っている訳ですから誰からも文句を言われる筋合いはなく、好きなように作っていいのです。これがなかなか難しいのです。非常に高度なバランス感覚が必要であり、その感覚が非常にうまく噛み合った作品が世間に注目され賞賛され後世に残っていく作品になり得るのだと思います。

鉛筆と紙

デジタルカメラの誕生によって今まで一握りの人しか撮ることができなかった映画を作ることができる時代になりました。誰でも映画監督になれるのです(職業的映画監督という存在が自称でしか存在しなくなったこともありますが)。ここでまた誰かの引用です。ある人が上記のような時代になったことについて「誰もが鉛筆と紙を手にできたからと言って名作が生まれるわけではない」と言い放ったのです。ああ、そうなんだ。デジタルだフィルムだとかどっちがいいとか悪いとか、そういう次元ではないんだ。何で撮るかではなくて何を撮るか、の方が重要だと。
であるからして、まず何を撮りたいのかを決めます。そして、「何」を撮るにはフィルムか?デジタルか?ということを決めれば良いわけで。現在の映画はほぼデジタルカメラでの撮影です。一握りのフィルムにこだわる制作者によってフィルムでの映画作りが行われています。これは予算に左右されることがほとんどなんだと思います。監督によればどちらかを選べる人もいるにはいるでしょうが。これはオカシイことだと思います。仕方のないことだとも思いますが、デジタルかフィルムか、どちらも共存する世界がいいのになぁ。
8ミリフィルムも数に限りがあり値段も上がるばかり。大手のフィルムの企業も撤退する始末。ビジネスを優先する余り失うものは計り知れないのですが。分かっちゃいるけどやめられないんだなぁ。

で、どうするの?

結局自分はどうしたいのか。フィルムカメラがあり、まだフィルムがある限りこの作品は8ミリだという理由があるならば8ミリに挑戦します。デジタルでも撮ります。散々書いてきた内容は、予算とか技術のこととかテンション上がる内容ではなかったんですけど、昨年撮影したミュージックビデオの撮影中に8ミリに挑戦したシーンがありました。これは8ミリでも撮っておきたいと思えたから。今までに数回撮影をしたし現像に出して仕上がりをチェックしていたので、少しは慣れてきたなという感じで撮れました。

☝️デジタルでは出せない雰囲気を感じる気がする

未編集のままなのでフィルムを実際にカットして字幕をつけて映写機を使って上映会をしたいと考えています。やっぱりフィルムへの憧れってあります。フィルムでその瞬間を切り出す感覚。実際に手に触れるフィルムという存在。少々荒くてもスクリーンに浮かび上がる映像。ザラッとした質感が良かったり。手軽に回せない緊張感から生み出されたもの。現像から帰ってくるまでのドキドキ。帰ってきて映写機にかける時のワクワク。浮かび上がる映像のキラメキ。

何が言いたかったのか分からなくなりました。書ききれてるような足りないような。。
まあ、今後も8ミリフィルムかデジタルで作品を作っていこうと思っているということでした。

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