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自分の人生に遠慮をしないということは、他人の価値観と心地よい距離感を保つということ。

本音で生きる存在美学コンサルタントの小暮貴恵です。
いつも読んでいただきありがとうございます。


Twitterにこんなことをつぶやいてみました。

自分の人生を生きるとか、自分らしくとか、ありのままとか、そのままとか、自分という言葉に触れるようになって思うことがあります。自分の人生に遠慮をしないことがとても大切であることです。楽しいことを、楽しい!好きなことを、好き!嫌なことは、嫌だ!無理なものは、無理!と胸を張る生き方が、きっと自分の心に響くのだと思う。堂々と自分の感覚に素直になることが、自分らしくありのままに生きる最速最善のルートなんだよね。


どんなかっこいい人に、可愛いと言われようと、どんなに美人に、かっこいいと褒められようと、自分で可愛い/かっこいいと思っていなければ、可愛くないし、かっこよくもない。たとえ、うれしかったとしてもね。自分がそう思えていないのであれば、意味はないわけではないけれど、意味がないに等しい。


周りからの誉め言葉に酔う前に、自分の言葉に酔えるくらい、自分を本気で誉めて認めることでわたしたちの人生は“自分”という花を咲かすことができます。遠慮しないで、綺麗にかっこよく咲いたらよいと思うの。理想の自分を求めることに遠慮をしないことも大切だし、自分を表現することを遠慮しないことも大切です。つまり、エネルギーを自分にかけることを遠慮しないこと。このエネルギーを他人の価値観に合わせることで、浪費している場合が多いと疲労感や気だるさ、何もかもが自分の思い通りにならないように感じていきます。他人の価値観に合わせてイエスを言い続けるとことはストレスです。だからと言ってノーを言いなさいということはないのです。イエスでもノーでもない“グレー”を許容することなんですね。



他人の価値観との心地よい距離感はグレーです。白黒はっきりつけなくても大丈夫なんですよね。あなたはそうなのね!あなたにとっては素敵な考え方ですねというスタンスで優しく包み込むイメージです。これがなぜ心地よいのか?というと、否定されないからなんですよね。自分の価値観と相手の価値観の間にクッションを挟んでいる感覚なのです。我慢して、相手の価値観を受け入れるということは、自分の価値観を否定していることになってしまいます。思っていもいないのに共感し続けているといつのまにか自分の価値観なのか?他人の価値観なのか?迷子になります。自分の家なのに、他人をあげて気を使ってばっかりで、自分がまったくリラックスできない状態です。私の家ではこういうルールがあるの!と相手と共有したうえで、相手を自分の家にあげるかどうか“お互いの意志と価値観で決める”ということができると本当に関係性が楽で穏やかになると思います。


私自身もそうなれるまでに、ものすごく時間がかかりました。どこか他人の価値観を自分の人生に置いておくことで楽をしていたんですよね。いちいち、お客様やパートナーのご機嫌を伺い、かけてほしそうな言葉を必死で探して、いちいち、誰かの許可がないと動けない人生だったように思います。今では、自分の人生にずけずけ踏み込み(笑)気分がのれば動くし、気分が乗らなければ動かない。このメリハリがすごくはっきりするようになって、楽しい時間を過ごすことが大きな割合を占めています。今までのまじめな自分はいったいなんだったんだろう?と思うぐらいにわがままをさせていただいています。真面目だったときの、わがままは受け入れてもらえなかったけど、わがままな自分であることに腹をくくったとき、わがままが煙たがられないようになったと感じています。この差は、遠慮しているか、いないか。


自分の心に踏み込むことを躊躇していると、なりたい自分を目指すことについ遠慮してしまうよね。自分に遠慮をするということは、他人にも遠慮をし続けることです。自分とのつながりが、他人とのつながり。人生はどこまでいっても、自分で作られているものなのです。


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