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みんなと同じじゃなくていい

出産とはあーんまり関係ないんだけど、育児とか個性とかについて感じたことを。まあ大きく括ると「自分らしい出産とはなにか」っていうこととつながるんだけれど。
最近立て続けに気になったふたつの出来事。

娘が新しい保育園に通い始めて、タオルとかエプロンとかお昼寝用のバスタオルとか用意するものが山程あったんだけど、一通り準備できて通いだして、それでも「こうやってくれると助かります」みたいのがお互いちょこちょこある時期。

先日、金曜だったのでお昼寝タオルを持ち帰りますという日で「タオルそのまま荷物に入れていいですか?みなさんタオル用のバッグを別で用意されてるんですけど…」と先生に声をかけられた。

ちなみにタオルはいつもの荷物に加えて入れられる。(容量的な意味では)
「タオル用のバッグ、要りますか?」と私。
「えーと、みなさん用意されてます」と先生。

その場では家になんかあったらそれに入れてきますと言って帰ったが、週末モヤモヤ考えた。

タオル用のバッグがあって先生の手間が減るとか助かるなら用意するけど、「みんなが用意してる」ことは私にとってバッグを用意する動機にはならない

もうひとつの出来事は同じ週末、仕事先のヨガスタジオであった話。
受付の裏に見慣れないヨガマットが丸めて置いてあったので、これなにー?と見てたら、受付の方が「通ってる外国人の方が置いてっちゃったんです」と。

いわく、そのスタジオでは置きマット(自分のマットをスタジオに置いておける制度、スタジオにより無料だったり有料だったりする)はしていないのだけど、その方は自分はちょっと遠くから来てるし今はコロナ的な問題でマイマットを持ってきてほしいとスタジオからもアナウンスがあるのになぜ置いてくれないのかわからないと言って置いて帰ってしまったと。言葉の問題とか押しの強さ(笑)もあってその時は引き受けざるを得なかったらしい。

受付の方は、そのお客さんに説明するのに苦手な英語で「置きマットは(場所もないから)みなさんにお断りしているので」と言ったらしい。
あー、それじゃ、外国の人には通じないだろうね。

たぶんその断り方だと理解してもらえないと思いますよ、と私。
どうして????な受付の方。

ああ日本ってこんなに「みんなと一緒である」ことが是とされている社会なんだなあ!と実感させられた。
受付の人には、日本の人だったらそう説明したら納得する人が多いかもしれないしどんなバックグラウンドを持ってる人かわからないけれど、みんなが違って当たり前の環境で教育を受けた人だったら「みんながやってない」とか「みんながやってる」ことはその人の選択の理由にはあまりならないと思いますと私の見解を説明しました。

私も日本生まれ日本育ちだけど、やや外国かぶれの教育を受けているので「みんなと同じ」とか「ふつう」とかをしゃらくせえと思っている。

もうみんな行っちゃったよ!残ってるの○○ちゃんだけだよ!とか
周りの子見てごらん!みんなズボン履いてるよ!✕✕ちゃんだけ恥ずかしいよ!とかたまに聞こえてきたりするんだけど、違和感にびっくりする。
(そういや私自身もそう声かけられることはなかったな、母も外国かぶれの教育を受けて外国に行った人だからかもしれない)

いやズボンは履くべきだけどみんなが履いてるかどうかは大事じゃないじゃん。
ズボン履いてないと転んだときお膝出てて痛いかもしれないよ、とかそろそろ行かないとママのお約束の時間があって遅れたら困るから一緒に来てほしいな、とかそういうことじゃん。

と、思っています。
(これ「赤ちゃんかわいそう」問題ともつながるけどその話はまた今度しよう→追記:すぐ続き書きました。こちら

みんなと同じじゃなくてもいいよね。

ちなみに、今朝お昼寝タオルは別のバッグじゃなくてそのまま荷物に入れて保育園に渡しました。また先生と話さなきゃ。

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