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日本の伝統を受け継ぐということ

私は日本という国が好きで、また生まれ変わるとしても、やはり日本が良いなと思う。
まぁ、インドとかタイも捨てがたいが…。

とはいえ、やはり日本を愛している。

私はわりと日常で着物を着るし、三味線を5年程習っている。今は色々あり三味線は独学の状態であるが、その内また師を探そうと思う。

コロナによる外出自粛で、続々と外でのイベントが中止になり、逆に私は忙しくなってしまっていたため、ほとんど触ってなかった三味線を久しぶりに弾いてみた。

集合住宅なので、遠慮して「忍び駒」を使う。
いわゆるミュートにする道具である。厳密に言えば音を小さくするものである。個人的には、この忍びというワードの背徳感が背筋がウズウズする感じがして好きだ。

久しぶりの三味線はやはり指がうまく動かず、ツボもずれまくり、調弦も時間がかかる。

あぁー、ダメダメだなぁとため息つきながらも弾き続けると、徐々に勘が戻ってくる。
指が勝手に動き、上半身も音に合わせて動き出す。
のってくるってやつだろう。

こうなると楽しい。
下手くそでもいいのだ。
楽しいのだから。

調弦がうまく出来ると、本当に三味線が鳴く、唸る、音が伸びる。和音もキマル。

これはなかなかのエクスタシー。すごく上手くなったように錯覚してしまう。
断じて違うんだけど。

実はこの三味線は、私の前に持ち主がいた。
彼女は高齢になり、もう弾けないということで譲り受けたものだ。おそらく大事にされてきたのだろうと言うことは、三味線みたらわかる。

私の着物も祖母から譲り受けたものが大多数。祖母も食べるものを節制してでも着物を買うほど好きで、大切にしてきた。

人は無限には生きられないので、彼女たちは間もなく身体を離れるだろう。

でも、彼女達の想いは私が着物や三味線と共に受け継いで行こうと思う。

日本を愛し伝統を愛し誇りに思う、その気持ちごと譲り受けたと思っている。

いつか私も身体を離れるだろう。

その前に私のように感じてくれる人に出会い、伝統のバトンを渡していきたい。

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