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【与太話】正直、悩んでこなかった

すっかり遅くなりましたが(もう2月!)、2024年初の投稿です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年に引き続き、年明けから友情結婚についてお話しする機会が何度かありました。結婚生活や出会いのきっかけだけでなく、個人的なセクシュアリティに関しても掘り下げて聞いていただく場面があり、実は今までなかなか考えてこなかった「自分のこと」を言語化するいい経験だったなと思います。

SNSでセクシャルマイノリティ界隈の方々が自分のセクシュアリティについて・パートナー探し、友達や家族との関わり方、生き方について悩まれている場面をよく拝見します。
私(メイコのことです)のこれまでを振り返ってみると、正直なところ、自分のセクシュアリティで困ったり悩んだりしたことがパッと思いつかない。それは何故だろう?とふと疑問に感じたので今回ここに書き記しながら考えてみることにしました。

まず大前提として、私はかなり楽天的です。もうこれが答えな気がしますが、もう少しお付き合いくださいね。

私がバイセクシャルじゃないかな、とほんのり自覚したのは中学生の頃です。同じクラスでお互い親友と呼んでいたグループのひとりに、友達以上に惹かれた感覚がありました。
特に私から言葉や態度に出したわけではなく、その友達がすぐに他人とのパーソナルスペースを縮めるタイプだったため、あくまで親友グループのひとりという枠組みの中で手を繋いだりハグをしたりが日常茶飯事。
田舎の中学生で、恋愛に求めることがさほど多くなかった時代にそれだけのことができればもう恋人になったかのような満足度で、そうこうしているうちに別々の道に進学して繋がりが途絶え、それっきりとなりました。逆にいえば、それっきりにできるぐらいの気持ちだったみたいです。

高校、大学へ進み、そこでは同性パートナーができるという、いま思えばかなり稀有な体験をしました。共学だし、当時はまだ周りにLGBTQ+を公言する人間など誰一人おらず、今ほど簡単に知識が手に入る時代でもなかったのに、何故かあっさりと。
普通ならここで相手との今後を思い悩んで告白できなかったり、断られて友達のままではいられずギクシャクしたり、最悪はアウティングなんてことだって考えられるのに、本当に運よく全て回避していました。なんなら恋人の存在を打ち明けた友達がとっても理解ある子たちで、コイバナなんてのもしてました。

考えるに、どうやら私の恋愛傾向として「既に自分への好意(恋愛感情とは限らない)がダダ漏れな人を好きになる」ことがうまく作用したんじゃないかなと。先に友達の中でもかなり近しいポジションに入り込んでおいて、「なんかちょっと恋人同士みたいなことになってきたけどこいつとなら悪くないぞ」っていうお相手の気持ちを最大限利用させてもらった、と今はそんな風に思います。同性とだからできたのかも。

いざ恋人同士となったら私が勝手に嫉妬したり将来を悲観したり、振り回せるだけ振り回してお別れするという大迷惑な付き合い方をし、渦中にいるときは「私とっても悩んでる!」とひとり盛り上がっていましたが、別に明確な未来を見据えていたわけでもなんでもなく(当時はパートナーシップ制度すらなく展望がなかった)、そういう「恋愛で悩んでるっぽい自分」がなんか可愛かっただけです。

ここでも私は大満足してしまいました。根気よく探せばより長く添い遂げられる相手がいるのかもしれませんが、私の中では同性との恋愛=別れがいつかあるものという根底が変わらないし、そもそも彼女たちと出会ったときのように濃い時間を過ごせる相手がもう見つからない。時代はかなり変わりましたが、世間体とか両親への顔向けとか、お恥ずかしながら個人的にはまだ古いしがらみがあることも否定できません。

また、客観的にこの頃の自分をみると明らかに恋愛に酔っていたのがわかります。お相手に迷惑かけまくっていたのに、それを許してこそ愛でしょ!この程度で冷たくなるなんて愛が足りてない!と責めるようなとんでもない勘違い人間でした。恐らく私はかなりのめり込みやすいタイプみたいなので、仮に次があったとしても似たようなことになっていたでしょう。
もういい大人だし、そういう自分になるのは懲りごりだなと感じていたのも恋愛経験はもういいかな、と思った理由のひとつです。

しばらくして男性の先輩になぜか気に入られてしまい、なし崩し的にお付き合いするのですが、お相手はどうやらとにかく早く性行為がしたかったらしく、避妊そっちのけで始めようとしたためお断りしました(笑)。
後日、その件を別の先輩(男性)と友達にやんわり伝えてみたところ、ドン引き&「断って正解!」と私よりも激怒してくれました。結局、お相手はそれでめげたのかあっという間に自然消滅(本当にヤりたいだけだったっぽい)。
これはどちらかといえばお相手に非がある特殊なケースだと思いますが、「性行為をしなかったこと」に対して茶化したりせず肯定してくれた経験が、変に悩まずに済んだ理由かなと思います。

社会人になってからは仕事で日々忙殺されていて、ちょっと暇になると一緒に過ごせる人が欲しくなりマッチングアプリ(一般の有名なやつ)やレズビアン用のSNSなどを使ってみたりしましたが、そのうちまた忙しくなって放置の繰り返し。
男性にほんのり惹かれたのもこの頃が最後で、この人と何も進展しなかったら多分誰かを好きになることはもうないだろうな…と確信がありました。何度か会ってあっさりフェードアウトしてしまい、特に悔やむこともなかったのでやっぱりその程度の気持ちだったようです。

いよいよ結婚の圧が大きくなったときも、正直なところ思いつきと勢いでたまたま検索した掲示板を覗いてみたら、幸運なことにそのまま入籍までいってしまったという感じです。
その時々で多少は悩んだかもしれませんが、生来の楽天的気質に加えて無理ならやめればいいし、自分で決めたことはだいたいうまくいってきた、を信条にここまでなんら大きな後悔はしていません。

まとめると、

  • マイノリティを自覚したあとも恋愛が成就した

  • 性行為したくない、できないという気持ちが焦りやネガティブな経験にならなかった

  • やっぱりひとりじゃ寂しい!とは特に思わない

  • 結局のところ悩みを感じるほど性根が繊細ではない

以上が、最初の疑問の答えになりそうです。

楽天家で結構なことかと思いきや、裏を返せば大して自分や世間の物事を深く考えていない短所でもあると感じています。
世の中の事件や風潮に憤ったり、自分や属するコミュニティへの悪意に気付くことができるのは、それだけたくさんのアンテナと怒りの引き出しを持っているということ。
そういった怒りや気付きの内容に触れて、「そんな視点まったくなかった!」と驚き感心はしても、いざ自分が同じ状況に陥ったら恐らくお気楽に流してしまうのが私の性格です。

世の中すべてに憤ったり悲しんだりしていたら神経がすり減ってしまうと思いますが、気付かずに、あるいは気付いても「私はそこまで困ってないし…」で終わらせることが、のちのち誰か(ひいては自分や家族)の生きづらさに繋がるのだとしたら、きちんと声をあげるべき時もあるはず。
自分ではどうしようもないことを悩んでも仕方ないというある程度の大らかさは残しつつも、今年は自分のアンテナをより増やしていけたらと考えています。

これ誰がここまで読むんだろう…(笑)
長々とした駄文にお付き合いありがとうございました!

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