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分岐点を考える

はじめに

気づけばもう7月に入っていて、もう今年が折り返したのかと思うと時間の流れが早すぎてびっくりします。
私たち家族は相変わらずの日々を繰り返しているようで、子どもの離乳食を食べる量がめちゃめちゃ増えて活動時間が大幅に延びたり(大人は白目を剥いています笑)、いつの間にか立ったり歩いたりしていることで成長という名の変化を感じる毎日です。

人間の成長過程をみるってすごい経験だなと思います。よく言われますが人生をもう一回リプレイしている感覚。大変なこともまぁまぁありますが、基本的には笑って過ごせているのはありがたいことだなと思っています。

考えてみると、私は人生ここからやり直したい!という場面は今のところないような気がします。
自分がしてきた選択で概ね満足していて、幸運にもいま特に不満なく生活できているからだと思いますが、たまに選ばなかった人生のことを考えることがあります。
自分のためのメモとして残しておくので、興味があればお付き合いください。


分岐①同性パートナーと生きていたら

以前の記事にも書いているように、私は学生時代に同性パートナーがいました。いま思えばパートナーと呼べるほど成熟したものではなく、若さゆえの性に対する好奇心で支配された、自称恋人関係だったなと恥ずかしくなります。

当時は同性同士の恋愛はまだまだ創作の中のことみたいに思われていて、海外に行くぐらいしか具体的な展望がなかった(し、私の場合は調べもしなかった)のでどうせ期間限定なんだから、と斜に構えて長く恋人でい続ける努力は完全に怠っていました。
どちらかというと相手が自分を好きでいてくれるか確認することに心血を注いでいて、それが相手にとって鬱陶しいことだと気づいていても止められず、ある日お互いに爆発してお別れし悲劇のヒロインぶって引きずる…というのがお決まりのパターンでした。迷惑きわまりないですね。

2回ほどそんなパターンを経験して、自分が恋愛感情(に見せかけた性欲)に振り回されていることがどうにも嫌になりました。
客観的にみると自分を好きでいてくれるかな?と試すような言動を繰り返す相手にうんざりして嫌いになることはあれど、それ以上に好きになることはかなり稀だし、身体の関係をもつことで安心することが本当にお互いの理想とする恋愛だったの?と疑問だし。
ドラマや漫画の恋愛ってもっと優しくてキラキラしたものですよね。憧れていたというわけではないですが、これとはあまりにもかけ離れているよなぁ…とは思っていました。

いちばん盛り上がっている時期はパートナーに対して好き好き言っていましたが、結局は自分を好きでいてくれる相手が好きなのであって、鬱陶しがられていると分かると醒めてしまうどころか憎らしく思えてくるのが自分でも怖かったです。
お別れしたあとに友達に戻るなんていうのも不可能で、周りの友達に(パートナー関係を知ってる知らないに関わらず)「最近ケンカした?」と聞かれてもうまく答えられず、その人たちともなんとなく気まずくて距離ができてしまい勿体ないことをしたと思います。

当時の自分がもう少し理性的で、将来の展望をきちんと持てていて、世間や家族に対峙する覚悟ができていたなら、もしかしたら今でも関係が続いていたかもしれません。

ただ、その反省を活かして同性パートナーをつくろうと思えなかったのは、かなり長く濃い時間を一緒に過ごす+相手が少なからずこちらに恋愛的な好意を向けていると分からないと恋愛対象として意識できない≒私はデミロマンティック・デミセクシャルかも?と自認したからです。
そろそろ恋人がほしい!つくるぞー!という気持ちにはならず、オフ会に誘われてもこんな即席の出会いはなんか違うよな~と思ってしまうし、社会人になって知り合う人たちの中に偶然上記の条件を満たすパートナー候補がいる確率は限りなくゼロなので、この道は早々に諦めました。

どうでもいい補足。私が性的な欲求をもつのは女性に対してのみです。これは恐らくリスクの面で対男性より対女性のほうが限りなく低く(安全に)なるから、というのが大きいと思います。
しかし、結局のところデミロマンティック・デミセクシャルを自認しており、対女性とでも恋愛に基づく深い信頼関係がなければ性行為をしたい、しようとは全く思いません。
以上を組み合わせると今後、性的な欲求を向けるほどの相手ができるとは思えず、「後天的」アセクシャルと名乗っています。


分岐②異性パートナーと生きていたら

大昔のことですが、何度か異性から好意を伝えられたことがあります。
性的な知識がある程度ついてからは、お付き合い=スキンシップや性行為がしたいんだろうなと察することができるようになって、無駄に妊娠や性病のリスクを負いたくない私はそういった雰囲気やお誘いをとことん避けていました。

私にとってお付き合いというのは、「この人めっちゃ賢いな」「話の引き出しが多くて面白いな」と思う人とひたすら時間や話題を共有することであって、そこにスキンシップや性的な欲求は必要ありません。手や背中であってもあんまり触りたくないし、性的な行為につながる目的で他人の裸を見るのも自分が見せるのも抵抗があります。

アセクシャル、ノンセクシャルという言葉を知るまで、私のこんな考えに名前があるとは思いもしなかったし、男性でパートナーとの関係に性行為を必要としない人がいると知ったことも衝撃でした。

仮に自分が「ただ性行為が好きじゃないだけ」だと自認していたなら、一般的な婚活で出会った人とお相手の望む「普通の」スキンシップや性的な行為に嫌々ながら付き合っていたかもしれません。
私がそんな異性に恋愛感情を持てるか、今となってはもう分かりませんが、婚活でいきなり好きになれる人と出会うことのほうが珍しいと思うので、お互いに妥協やら打算やらありながらどうにか一緒に生活していくというのが現実なんだろうなと。

ただ、確実に嫌なこと(性行為)が日常にあるのはいずれ精神的なダメージや相手への嫌悪になりかねず、結局は長続きしなかったり結婚したとして関係が破綻する可能性は高かったんじゃないかなと思います。
何故その思考に行き当たったかはもう忘れてしまいましたが、友情結婚という言葉に繋がるようなインスピレーションが浮かんですぐ同じ境遇の人を探してみる行動にでたのは我ながらよくやった!といいたいです。


分岐③ひとり暮らししていなかったら

私は就職を機に実家を出ました。母親がどのタイミングで怒りだすか分からないほどあちこちに怒りのスイッチがあり、かつ一旦キレだしたら気が済むまで当たり散らすタイプ(今でいうフキハラってやつ)なので当然私にもその矛先がしょっちゅう向いていて、とりあえず距離を置きたいと思ったのがいちばんの理由です。

運良く県外の会社に入社でき、そのタイミングでひとり暮らしを始めました。お恥ずかしいことに家をでるその時まで自分の食事の準備はおろか洗濯、掃除までほぼ全て親に任せっきりでした。
もし仮に近場で就職していたら恐らく実家から出勤することを求められていただろうし、そうなると社会人になってすら家事全般は結局親任せのままだったんじゃないかなと思います。しなくていいならラッキー、みたいな。

パートナーをつくるか否か、ひいては結婚するか否かに関わらず、いい歳で身の周りの世話を親に任せているのは流石にまずい!というわけで、うるさく言われる余地がないように内定は完全に事後報告で就職まで準備を進めて無事に脱出を果たしました。
母親は2月ごろまで往生際悪く、家から通える職場の採用試験情報をもってきたりしていましたが、内定した会社がある程度の大手と分かると見事に手のひらを返して自慢する方向にシフトしていったのには笑いました。

ひとり暮らしを始めたことで自由を満喫でき、家事全般ができるようになり、大学時代はできなかった(ひとりだけ家が離れていた)自宅に人を呼ぶこともできるようになり、いいことずくめでした。

友情結婚に限らずパートナーがほしいと考えたとき、実家に住んでいて家事は経験が乏しいです、というと一昔前はそれでも経済力など他に秀でたものがあれば許容されたかもしれませんが、現代ではとりあえず敬遠されるだろうなと思います。

実際に他人と同居生活をしてみて、家事の分担は思った以上に揉めやすい点だと実感します。私もカイト氏も好きこのんで他人に世話を焼きたい人ではないので、お互い自分のことは自分でするのが大前提、その上でゆとりがあれば手が回らないことや忘れていることのフォローができるという形に落ち着いています。ある程度の家事レベルが合っていれば円滑に過ごすためのバランスも取りやすくなると思い、最初の擦り合わせ段階でひとり暮らし歴がどれぐらいかは確認しました。

仮に実家暮らしだとしたら、ひとり分の家事にかかる手間などが曖昧なまま同居生活になっていたかもしれず、うまくいかない部分がでてきたかもしれません。そもそも、実家暮らしだと結婚したあと住むところどうするつもりなの?という不安が少なからず発生して、結婚前提の話し合いが進まなかった気がします(私ならお相手が実家暮らしと聞くと尻込みします)。

それよりなにより、母親がことあるごとに「いい人いないの?」「早いこと結婚して」と言い続ける環境にいたらストレスで爆発していた可能性が高いので、結果的には実家をでたことで助かった部分がかなりあるなと思いました。
家族が好きで、みんな穏やかに暮らせていたなら私の性格もここまでひねくれることはなかっただろうし、そんな風に考えなかったかもしれませんね。


分岐④子どもをつくらないという選択をしていたら

私はどうしても子どもがほしい!というタイプでは無かったので、仮に結婚を選ばなければ出産する(精子バンクを使ってシングルでも育てる)という選択肢は端から消していました。
結婚したとしてもお相手が子どもを希望していない、もしくは両親が孫の顔は見なくても…というタイプなら恐らく産まない選択をしていたと思います。
遺伝子を残したい気持ちは全くないし、何より妊娠出産育児という身体と精神に負担がかかりすぎるリスクを負うことがシンプルにめちゃめちゃ怖かったからです。

そんな私が結婚を考える段階までこぎつけて、やっぱり子どもはいてもいいかもな、と思った理由はいくつかあります。

ひとつはやはり自分の両親にとって子どもの結婚→孫誕生までが幸せの王道ルートであり、そこから外れる=産まないという選択肢を選ぶことで関係が確実に悪くなると分かっていたからです。
いい大人が親のために生きてるわけじゃなし勝手にすれば…と客観的にみればそう思いますが、結局のところ私は簡単に断絶を選べませんでした。

こちらから連絡をとらなくても両親(専ら母親)はどうにかしてコンタクトをとろうとするだろうし、こじれたときにお相手を悪く言い始めたり、義実家にも心配や迷惑をかけることが容易に想像できます。
のらりくらりとかわしていればいつかはタイムリミットがきて諦めていたでしょうが、母親自身は40代で出産しており、そこまで言われ続けるとなると先に私のほうが参ってしまいそう。
それなら付かず離れず、波風たてず、かつ私は自分の家庭を優先するという口実もできる出産を選ぶのは、ひとつの方法としてありな気がしました。

ふたつめは同居からの結婚生活がそこまで違和感なく続いて、子どもが増えたらそれはそれで楽しいのかもしれないなぁとビジョンが少し明確になったことです。
誰もがそうだと思いますが、育児は産んでみないと分からないことが多すぎて自分にできるのかどうか判断がつかず、腹の括りどころが見つけられずにいました。
私の場合は幸いなことに、カイト氏が子どもについての知識を多くもっていて、どうにかなりそうだと感じたのが決め手になりました。

みっつめは周りの友人たちが次々と子どもを育てていて、大変そうだけど幸せそうだなと思ったことです。
学生時代と違って、ステージ(ここでは未婚既婚子持ち子あり…等のこと)が違うと会話のネタが合わず、一気に距離ができてしまうことをなんとなく寂しく思っていた部分がありました。
勿論、思い出が尽きることはないので家庭に関係ない話も山ほどしますが、やはり近況になると「子育てあるある」みたいな場面が多くなり、そのたびにちょっとした疎外感があったり。
ただ逆に考えると、独身チームだったころはフットワークの軽さや散財の度合いを羨ましく思われていたようだし、結婚したらしたでよく一緒に旅行していたメンバーに誘われなくなったのが寂しくなったり、結局は隣の芝生が青いし無い物ねだりということなんだと思います。
誤算だったのは子どもができると圧倒的に自分の自由時間が減ってしまい、そもそも友達と会って共通の話題で盛り上がる場がとれないということでした。皮肉なことですがそれが現実ですよね。
もう少し手がかからなくなるころにまた集まれたらいいねと話しています。

冒頭に書いたとおり、いまは子どもを通して人生をもういっかい繰り返しているようなお得な感覚になっています。
自分たち大人の育て方でこれからどう生きていくかが決まるのかと思うと荷が重いなと感じることもありますが、意外と子どもはたくましくて、産む前の私が不安に思っていたこと(すぐ弱ってしまうのでは、等)は杞憂だったところが多かったです。無事に育っている今だから言えることですが。

子どもがいない時代の、自分のためにバリバリ仕事して稼いだお金をパーっと使って…みたいな栄光(?)の日々を続けるのもとても魅力的ですが、無趣味で熱中できるものがない私にはモチベーションの維持が難しかっただろうなと感じます。
日々を繰り返すなかで、年齢を重ねてふりかえった時に出産を経験しておけば良かったなと思う可能性が少なからずあった気がしていて、どうせそう思うなら少しでも若いうちに産むという人生設計にシフトしたのは英断だった気がします。


おわりに

私は生来が楽天家なので、どの分岐を進んでいてもそれなりに楽しく生きていたんじゃないかなと思えるバイタリティは備えているつもりですし、今まで選んできた分岐もその時々で最善のものだったなと自負しています。

ただ、それは自分で選んだことだからであり、例えば幼少期に親から勧められて(なかば強制的に)始めた習い事や、先生が推すから適当に決めた進学先なんかは完全に消化試合で、楽しかったことも確かにあるけど正直そこまで打ち込んだということもなく、思い出はあんまり残っていません。例外は部活で、自分がやりたいことを選んだからかなり充実していて楽しかったな。

結局、周りに流されたり焦らされたり、はたまた誰かに背中を押されすぎたりして自分の気持ちが追いつかないままに分岐を迎えてしまうと良くないのかなという考えに至りました。

これからも人生で様々な分岐があると思いますが、納得して選びとるにはある程度の判断材料が必要で、そのために勉強したり出会いを増やしたりいろいろな経験をしておくことが大事だと大人になって気づきました。自分の人生は自分で舵取りするしかないんだから、いろんな意味で賢くいないといけないなと思います。
これから子どもが大きくなるにつれて環境や人間関係も変化していくのを楽しみながらいざという時に備えたいです。

毎度のことながら誰が読むんだ!(笑)
お付き合いいただいた方いらっしゃいましたらありがとうございました。

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