4/2 やっと地球に舞い降りた

やっと人間として、マイナスのところからゼロ地点に立った感じがする。何かを「楽しみたい」という基本的な欲求も戻ってきた。何年ぶりだろうか。
「プロセスが楽しいから何かする」をいうのは、幸福への最大の近道らしい。


ものごとを経済的損得で考える癖がついた私には、程遠い考えだ。常に戦闘モードだった私には「楽しみたい」という発想が湧く隙間はなかった。すべての行為は、安全を確保するため、防御のためだけに行う。


知識をつけるために本を読む。人前に出ても恥ずかしくないように美容室に行く。外食は社交のためで、それ以外はお金の無駄。出先で買う一杯のコーヒーも罪悪感を拭い切れない。本も読み終わらなかったどうしようと、購入には慎重になる。一見、堅実そうに思えるけど、人間としての基本的な部分が抜け落ちてしまっている。


人間は欲望の動物だ。欲望を素直に出し、それを満たしていかないと、いつの間にか何もしたくなくなる。身体が重くなる、やる気も出なくなる。最後は、何をしたら気分がよくなるのかもわからなくなる。行きすぎると、この世からいなくなりたくなる。


そんなローエネルギー状態で、思考だけが最後もがいている。空回りする。心配が頭の中で浮かんでは反響し、増幅されていく。


心配性、マイナス思考は性格だと思っていた。でも多くの人にとっては、それは単なる「状態」なんじゃないかと思えてきた。つまり、人間は精神状態があるところまで落ちていくと、苦悩のループから抜け出すことができなくなる。しかし、残念なことに、心配・苦悩は状況改善には直結しない。心配した分だけ状況がよくなればいいよね。悔やめば悔やむほど、魔法のようにこぼれたミルクが再びコップの中に戻っていったら、いくらでも悩むよね。でも現実は、違う。おそらく悔やめば悔やむほど、結果状況が悪くなるんだと思う。しかし、それでも人は心配したり、悩んだりする。


「ネガティヴな人」とそうじゃない人の最大の違いは、後者が結果が「どうなっても大丈夫」という絶対的な安心感を獲得できているからである。だから、状況を手放しやすい。だって、結果オーライだから。どうにかなるもん。


ネガティヴな人は無理にポジティブシンキングに移行する前に(たぶんこれを長く続けるには屈強な意志力が必要だと思う)。自分の安心・安全・大丈夫を獲得すればいい。


そうすると自然に前向きにものごとが見れるようになる。失敗は失敗ではなく、次もっといいものを創るための、経験でしかない。自分の欲望をより明確化し、それに向かって動いていく原動力でしかない。楽しいプロセスでしかない。


失敗は失敗じゃなく、自分の「流れ」を創るものでしかない。川は、まっ平で、何も障害物がなければ、水はただ一定で緩慢な動きしかしない。それはそれでもいいのだが、ごつごつした岩があったり、高低差があったり、すると川は勢いを帯びてくる。そこに、勢いが出てくる。どうやらこの勢いに乗ってみることが人生を楽しくするらしい。
私には、その一部しかまだ見えてない。それをやっている人をおそるおそる、遠くから眺めているだけだ。私はまだ川岸にいて、川に向かって少しずつ歩を進め、太陽の陽射しを受けながら、きらきらと流れてる水の流れに目をやり、自分もああなれないかと、淡い期待を抱いているステージにやっと辿り着いたばかり。大したことはないけれど、ここまで来れたのは大進歩。やっと地球に着陸した気分。さて、これから人間に戻れるといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?