見出し画像

ラストシーンは来なくていい

 夢を見ていた。
 もちろん、紛れもなく現実の中で。

 大部屋俳優、なんて呼ばれている来生だが確実に実力がついてきている、と実感していた。端役ではあってもオーディションに受かる率が増えている。更に実際演技をすると手応えを感じた。
 今日もそうだった。一生会えるのかどうかすら判らないほどのベテラン俳優であり、雲の上の存在だった役者と共演でき、彼に言葉をもらえた。嬉しい言葉だったが来生は有頂天になるより先に、身が引き締まる想いだった。彼の作品やインタビューはほとんどすべて観ていた。少しでも近づきたい。演技をしている時は対等になるよう、努力して行こうと思った。

 念入りにリハをし、撮影が始まる。
 今回、来生が参加するのはショートフィルムだった。来生にはほとんど台詞もないが唐突な暴力シーンがあり、台詞より呻く方が多い。恋人役の俳優と初めて顔を合わせ、ショートフィルムの撮影はほとんど一発で撮り、すぐに終わった。
 来生のクランクアップは傷だらけの顔とふらふらの体で自分の部屋に戻り、近所の住民に「燃やすごみ、今日でした?」と聞くところで終わる。

 撮影後、その場にいる一期一会の仲間と握手や抱擁を交わした。監督も共演者も現場もとても良い雰囲気だった。またこの面子と一緒に仕事ができたらいいと心から思う。そして、帰りは始発の地下鉄に乗った。シートに深く身を沈めると、ふと悔恨にも似た気持ちになる。

 あれで良かったのか? もっと違う感じで演じることもできたんじゃなかったか?

 どうにもならないことなのに、つい考え込んでしまう。目を閉じてじっとしていると妙に視線を感じ、あ、と向かいの窓に映る自分を見て気づいた。落としたと思った血糊が爪の中、顎の隅、首筋などに残っていた。来生が目を向けると、さっと周囲の視線が外れた。地下鉄を降りてホームを歩いていてもさり気なく人が自分を避けて通るのが判った。誰だって血を着けた男がふらふらしていたら関わりたくないと思うだろう。俺だって現実なら嫌だ。

 そんな現実の自分の部屋に戻ると、撮影時と同じように昨夜、家を出る前に袋に纏めて自分で分別したごみが玄関に置いたままだった。思わず近所の住民に台詞と同じ言葉を訊ねようとしたが、あいにく誰もいなかったので、一度カレンダーで曜日を確認してから部屋を出てごみ置き場に捨てに行った。
「あれ、来生さん、だよね? ご近所さんだったんだ」
 女性の声に振り返ると、先ほど撮影した時にいた俳優の一人だった。撮影時は金髪のウィッグを着け、トレンチコートを羽織っていたから一瞬判らなかった。本来の彼女は短い髪、ほとんど来生と変わらないベリーショートで明るい色のTシャツにジーンズ姿だった。二人ともまだ興奮が冷めず、コーヒーを飲む傍ら、先ほどの話がしたいと互いに言った。
「インスタントコーヒーで良ければ、うちにどうぞ」
「いいの? 全然いいよ。おじゃまします」
 彼女は自分の名前を、ちーこ、と教えてくれた。平仮名と棒線のちーこ、さん付けしなくていいとも。

 ちーこは来生の部屋に入り、部屋全体を見渡してから来生に案内してもらい、ソファ代わりのベッドに座った。
「片付いてるね」
「あんまり部屋にいないし、物も少ないから」
 来生はぶっきらぼうに返事をして、お湯を沸かし始める。その姿を見てちーこは少しだけ笑った。
「なに?」
「来生さん、まださっきの役が残ってるみたい」
「そう? ああ、血糊もついてるしね」
「それもあるけど、何となく動きがさ」
「動き?」
「うん。映画って現実っぽいけど動作は微妙に計算されてるじゃない。そんな感じのぎこちなさがある。ほんの少し」
 来生は苦笑した。ただ少し緊張しているのだ。ぎこちなく見えていたのか。ちーこは上着を脱ぎ、適当にその辺に置いた。

 来生の淹れたコーヒーで二人は乾杯するようにマグカップを合わせた。
「いい部屋だね」
「そう?」
「うん。壁一面、映画のポスターだらけ。カッコ良くて鼻血出そう」
 ちーこの言葉に笑った。来生の部屋の壁には60年代から最近の作品まで、かなりの数のポスターが大小関係なく網羅され、飾られていた。
「あ、Tさんのもある」
 先ほどの大物俳優の名前だ。
「もちろん! 彼の作品はすべて観てる」
「全部まではまだ追えてないけど、あたしも結構観てるよ。今回はすごく楽しみ。だってあたしたちが一緒に映ってるんだもん」
 思わず体が熱くなる。とても嬉しい。先ほどの後悔のようなものはちーこの言葉で消えた。
「さっきのラストシーン、緊張したよね。Tさん、あのシーンしかないのにさすがだよね。現場に入って来ただけですごい存在感だった」
「俺も思った。ごみ出すだけの台詞なのに重大な告白するみたいだった」
 二人はコーヒーを片手に笑ったが、ふと、ちーこが呟いた。
「何だかさ」
「うん」
「あたしの周囲の友達を見てるとね。時々、自分だけ置いて行かれたような気分になる。別に何か言われた訳でもないんだけど日々過ごして行く中で、何か、自分だけが普通の生活を送れていない感じなの。みんな結婚したり仕事でも役職がついてたり。彼女たちも映画を観に行ったりしてるけど、映画館を出たらもう違う話題を始める。日常に戻って行く。それがすごく淋しい。自分だけがそこから動けない。そのまま生きて行ってる。こういうの、わかってもらえる?」
「わかるよ。俺もそうだよ」
「きっと、そういう人がいられる所ってあるよね」
「うん。みんな同じになんてなれないんだから好きにしていいんだと思う。人生って」
「いいこと聞いた。ありがと」
「いや、全然」
 この会話こそが映画にできたらいいのに、と来生は思う。

「次はどんな役ができるかなあ」
「何でもできる俳優になりたいな」
「あたしも」
 ちーこはマグカップを両手で持ち、その瞳は壁を見ながら、夢を見ているようにうっとりとしていた。
「君も役が残ってない?」
「ええ? どこが?」
 来生はカメラを向けるように両手の指で架空のファインダーを作り、ちーこに向ける。
「いい表情してたからさ。誰も入って行けない素敵な雰囲気だった」
「マジで? すごく嬉しい。その指のレンズ、本物だったら良かったのに」
 そう言ってちーこは来生が指で作る囲った四角の真ん中に、えい、と指を突き刺した。
「なあ、現場行ってみよう。まだ撮影中だよ」
 ちーこは興奮したようにコーヒーカップをサイドテーブルの上に音を立てて置いた。
「うん! 行こう! ラストシーン、見届けたいよね」
 来生も首を小刻みに動かし、たくさん頷いた。
「……ラストシーンなんて来なければいい」
 ふと、囁くような声でちーこが言う。
「ん? この映画の?」
「うーん。全部の映画の」
「続いていくんだ。魅力的だね」
「だよね」

 午後に入り、ようやく陽射しが入るこの部屋で、人生を刻んだポスターが並ぶ壁には自分たちの影が映っていた。まだまだスタート地点に立ったばかりの二人は、西日にすら映画の余韻を思い描く。


※ ※ ※

あとがき

こんにちは。久し振りの更新になりました。
この物語の主人公「来生」は以前書いた私の小説にも登場しています。彼はずっと役者を目指し、以前はまだオーディションの本選に受かったと言うのに行くか迷うくらい、映画を愛し過ぎて怖がっていました。そこから紆余曲折を経て、今回は俳優として登場します。何となく、来生が私に続きを書いて、と言って来た気がしたのです。そして彼と夢を共にするのは、なぜか唐突に来生に絡みだしたベリーショートの「ちーこ」でした。最初は「彼女」で書いていましたが途中で名前をちーこ、と名付けてから一気に彼女のキャラクターが広がりました。また登場させたいです。次はふたりとも、もう少し名前が売れた俳優として。最後までお読みいただき、ありがとうございました。また次の作品でお会いしましょう。

2022年4月21日 幸坂かゆり

画像「PAKUTASO」様より。 
早朝の駅のホームのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220410104post-36080.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?