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半径100メートルの天使

 どうしてせっかく直接会わずに済むリモート会議だと言うのに、ケンカになってしまうのか。まあ、上司とは言え、プライベートのことで説教めいたことを言われたのだからこちらが下手に出ることはない。だからそのままを口にした。すると相手はムッとした。自分から言い出したのに、それはないだろう。

 とりあえず時間が来て「それでは後ほど」と言って画面を消せるのはいい。相手を削除できたみたいでそれはそれでスッキリはする。しかし、もやもやした気持ちが収まらない。

 よし、飲むか。

 冷蔵庫を開けるとビールが一缶しかなかった。
 板かまぼこと枝豆はある。リビングに戻ってカーテン越しに窓を覗く。雨は降っていない。さっそく上を着て財布を掴み、ドアを開けた。いつも行くコンビニは23時で閉まるが大丈夫。まだ20時だ。
 こんなむくれたような気分を顔見知りの店員に見られるのは嫌だな、と思いつつも、このまま一日中もやもやしたまま、頭の中を嫌な思考が回っているよりはいいだろう。

 11月に入り、急に空気が冷たくなった。
 落ち葉がかさかさと乾いた音を立てアスファルトの上を風に乗って踊る。
こういう淋し気な感じが好きだ。こうした暗い側面を愛する性分のため、
職場では衝突と言うより、どこか窘められることが多い。

 『もっと明るくしなくちゃ。外の世界を見なくちゃ。ポジティブに。』

 ため息が出る。
 内向的な性格だから外の世界を知らないだなんて、誰が決めたんだ? 陰と陽、どちらも大事なのに陰鬱に見える部分をまるで病気か何かのように捉えていて、治してやろう、とか考える連中が本当に嫌だ。第一、暗めだからってイコール、ネガティブって訳じゃない。ああ、何だってコンビニに行くだけなのにこんな難しいこと考えてるんだろう。

 店に近づくと店内の明るさが既に外に漏れている。
 自動ドアが開き、店内に入ると誰もいなかった。店員すら。僕はまっすぐお酒のコーナーに行っていつもの糖質70%オフの第3のビールを選んだ。シンプルながらお気に入りのグラスに注いで、板わさと枝豆を盛り付け、好きな映画なんかを観賞したら家は極上の空間になる。あとは、現実に一旦戻ってコンビニでは高いけど卵の6個入りパックをひとつかごに入れた。一人暮らしにはそれで足りる。この辺りでやっと奥から店員が出て来た。

「いらっしゃいませー……」
 やる気のなさそうな声の青年だ。
 いつも無口で無愛想で、たまにマニュアル対応すらしない日もあるが、今日は何となくこの青年で良かったと思う。そうだ。今はキャンペーン中だからビールを買ったら惣菜がひとつついて来るんだった。かごに入れかけたきんぴらごぼうを棚に戻した。レジにかごを乗せると、さっと店員の青年が来た。スマホをかざしてポイントカードのバーコードを差し出すと、無愛想にピッと機械で読み取る。店員はすぐにお惣菜交換のレシートを見せた。次に、どれになさいますか? と、訊いてくるのが判っているので今日は自ら申告した。
「きんぴらごぼう、いいですか?」
 がめついかな。いや、手間をかけなくていいだろう。はい、と言ったか言わないか、の間に青年はすぐさま惣菜コーナーに行って品物を取ると戻って来た。

「良かった。最後のひとつでした」
 ん?
「あ、ああ……判ります。これ美味しいから」
 初めて聞いた青年の意見に驚いた。瞬時に反応した僕の言葉にマスクの下で青年が一瞬微笑んだ。すぐに支払いを済ませ、袋を持って自動ドアに向かうと相変わらずやる気のなさそうな声に戻ったが、そういう性分なんだろう。僕と同じだ。それに、最後の微笑みはかなりポイントが高いぞ。あれで一気に好感度が上がった。

 僕も仏頂面から魅惑のスマイルみたいなやつ、練習してみようかな。多分、今ここに鏡があればそんな表情になっているはずだ。

「ただいまー」
 昼間でも深夜でもないコンビニはいいもんだ。そしてひとりの部屋の居心地の良さも。もやもやした気分はすっかり晴れていた。ビールを開けて青年の笑みを思い浮かべる。残像の中の青年には、なぜか天使の羽根がついていた。きっと青年が今日の僕の救いの神だったのだろう。


〈 了 〉

※ ※ ※

あとがき
苛々している時は視界が狭くなりますよね。
ほんの少しだけ心を浮遊させたら、思いがけないくらい色んな事柄が受け止めることができたり拓けて来ます。そんな大事な部分、日常に埋もれそうな部分が表現できていたらいいな。(ちなみに私は内向的な人間です)ここまで読んで下さってどうもありがとうございます。

幸坂かゆり

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