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見た目が全てじゃないけれど

見た目が全てじゃないこの世界を、憎いと感じることがある。

もちろん私は、突き抜けて優れた容姿を持っているわけではないんだけど。至って平凡な見た目なんだけど。

「見た目」は、人間を構成する全ての中で努力や補正が可能な部分だと思う。

自分の素の顔が気に入らないなら、化粧で誤魔化せばいい。それでも駄目なら整形すればいい。体型も髪型もファッションも同じで。
そしてこれらは、比較的簡単な努力と短期的な時間で叶えることが出来る。

お金や時間を費やせば、見た目はいくらでも変えられる。
会社を起業するにはリスクが伴うでしょう。有名な作家や漫画家になりたくても、それには実力だけじゃなく運も必要でしょう。
この理不尽な社会において「努力は必ず報われる」と約束されているのは、容姿だけなのではないか?
きっとそうだ。外見至上主義、万歳!

こんな捻くれた考え方で22年間生きてきた。
「外面ばっかり気にするのをやめなさい」と初めて叱られたのは小学4年生だった。
その頃から私は、容姿への執着に囚われていた。女の子は可愛くて、愛嬌があるのが一番だと信じていた。

22歳になった今、それが間違いだったことに気付く。私は何も持っていない。

持ち前の気の強さとリーダーシップで有名企業に就職した友達。
英語が堪能で海外の大学院に進学する友達。
服飾が好きで自分のブランドを作り上げた友達。

みんな自己や夢を持っていて、可愛さや若さ以外の価値を持った人間。

それに比べて、私は、私は、将来の夢さえ持っていない。自分の浅はかさに吐き気がした。

そんな時に私が救われたのは、やっぱり母の言葉だった。

「私も貴方くらいの時には自分を着飾ることが全てだった。周りに『可愛い』と思ってもらえれば、それで良かった。別にその頃は児童作家になりたいとかも思ってなかったし。夢がいつ見つかるかって、それは自分のタイミング。遅いとか無いと思う」

私が悩んだり落ち込んだりした時に、私自身を直接肯定するんじゃなくて、「皆そうでしょう。あなたはおかしくない」と認めてくれる母が好き。

ああ、そうだった。私はお母さんみたいなお母さんになりたかったんだった。

私は何も持っていないけど、私はお母さんの優しさや温かさを知っている。
私もいつか、そうなれるかな。



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