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信州安曇野①【娘との出逢い】



私たちは、中浦和から、信州の梓川村に居を移し、「恒河舎」として、「印度古典舞踊とヨーガの会」として、活動を始めました。


ちょうど旦那が、アトリエとして借りていたボロ安アパートを、浦和に残していたので、月に半分くらいは、東京のクラスに通い、信州と行ったり来たりしていました。


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松本から高速バスで3時間で新宿に着きます。私は、新宿と埼玉の踊りとヨガのクラスのために、月に2回(毎回3泊4日)通っていました。


旦那は公務員をやめて、画僧として、東京で、毎年展覧会をしたり、仏画のクラスをやったり、信州でも展覧会をしたりして、安曇野でひと月の2/3は絵を描いていました。


ある時、私は、新宿の街を歩いていて、もうダメだと思いました。人々の流れが早く、息苦しくて、東京に着くやいなや、安曇野の山や梓川が目に浮かんで、家で育てていた、ザル栽培のもやしの水換えが気になったりで…せっかく仕事をやめずに通えるギリギリの場所を選んだのに…

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毎年のヨガの合宿は、いろんなところに行っていたのですが、いつからか、安曇野の「シャロム」というペンションのみに落ち着いていました。


生涯の友も得て、そのご縁もあり、暮らしやすく、活動しやすく、私は、もう東京には、心身が行きたくなくなっていたので、結局、思い切って、東京方面のものは、すべて手放してしまいました‥


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そんなある日、一輪車で遊べるくらい、広い家の廊下を、2つか3つくらいの裸んぼの小さな子(男の子か女の子かわからない)が、むこうに向かって、可愛いお尻をプリプリさせながら、タッタッタと走っていくのがはっきり見えました!(普段はいろいろ感じても見えない)


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いつもはあまり近づかない2階のアトリエに駆け上がって行って、旦那に聞きました。「座敷わらしって、裸んぼだったっけ〜?」


「いや〜、それは天で待ってる子供がしびれを切らして、姿を表したのかも〜」(シュタイナーは子供は生まれる前、天から自分の使命を果たせそうな両親を選んで、飛び込んで来る…みたいなことを言っています)


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私は、なんかちょうど、色々やりきった感があって、自然の中で癒されながらも、虚しさも少し感じていたところでした。




そこで、心がはっきり決まって、もう踊りのイベントは、一旦ここからは入れないことにしました(でもすでに半年先まで入っていましたが…)



食事をさらにととのえ、お祝いの席でもアルコールをやめて(もともと2人とも普段は全然飲まなかったのですが、お祝いでは一口頂いてたので)部屋のかたずけなども始めました。


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絵描きとタバコは切り離せない(私のイメージ)ように、旦那も、出会った頃は、結構吸っていました。だんだん減ってましたが…「タバコやめて」と言ったことは、一度もありません。

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でもネパールで買って来た小さいグリーンターラの像に「禁煙パイポ」をいつも備えていました…(見え見えですが…)お坊さんの修行ですっぱりやめられたのは、仏力ですかねぇ‥


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ヨガのおかげか、生理はお月様の満月に合わせてきていましたので、計算通り、授かりました。この時も不思議なことに、その瞬間、光が見えて、「いい子が来ますように〜」とついでに念じてしまい、もう大丈夫と思いました…


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その後しばらくして、妊娠検査薬で調べたら、しっかり赤紫で、すぐ、産婦人科に行ったら、「まだ早すぎてわからないから、来月また来てください。」と言われました…でも、もう「絶対にいる」と確信していました。


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そのあと、病院でも確認が取れて、母親に電話をしたら、めちゃくちゃ喜んでいました。今まで、約20年近く、いっさい聞かれなかったので、気にもしていませんでしたが、「そんなに待ってたんか〜」と驚いてしまいました。


なんせ、自分の好きなことを目一杯やっていたので、子供を欲しいとか思ったことは、全くありませんでした。自分自身が子供から脱却できなかった…感じ…



そんなこんなで、引き受けていたイベントも衣装が着れなくなる妊娠6ヶ月まで、やり終えて、ヨガと踊りのクラスは、さらしを巻いて、9ヶ月まで、動かないで、言葉で指導させていただきました。


その頃、はやりの自宅出産にちょっとだけこだわっていて、助産師さんもたのんでいたのですが、出産直前で3つの検査でちょっと引っかかり、大事をとりました。産気づいて、病院に行ったら、なんと1時間半で出産しました。



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実は月に一回の定期検診の最初の頃、高齢出産で初産だったので、お医者さんが、検査を進めてきました。お腹に針を刺すので、流産の恐れもありますが‥とのこと。


旦那とは、どんな子でも、育てようと話し合っていたので、その検査を断ったり、出産時の促進剤も断っていたので、変人だと思われていました‥極めて普通だと思いますが‥


でもありがたいことに、無事に、ちょっと小さめでしたが、(なので出産が楽だったのかも)元気な女の子が生まれました。


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「ヨガの里」からとった名前「由加里」は、結構前につけていました。旦那の前妻の子供は2人とも男の子だったこともあり、私の周りの人も、顔がキツくなったとか、お腹が前にとんがってるとかで、男の子じゃないかと言うので、旦那は男の子の名前しか考えていませんでした‥


私はどうも女の子の感じがしていて、その頃「トントン遊び」をしていて、お腹にいろいろ問いかけて、「はいならトン、いいえならトントンね」


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そこは、暖かいか?冷たいか?明るいか?暗いか?単純なことですが‥ちゃんと内側から返事がきていました。(外国の人の書いた本で読んでいて真似しました)


それで何回聞いても、女の子だと返事が来るので、旦那に言ったら、自分も試したいとのことで、落ち着いている時に、実験しました。


疑い深い旦那は!答え方をいろいろかえ、はいといいえのトンも変えたり、5回もやって、5回とも女の子と返事がきました。

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それでもまだ信じないので、結局病院で教えてもらうことになって、先生が「間違えることがあるからやりたくないんだけど‥」と言いながらも、見てくれました。


最初お尻側がこちらに向いていて、「今日は見えないね〜」と先生に言われたので、おなかに「今、検査してるからこっち向いてくれる〜」と合図を送ったら、先生が「おー!動いた〜これは100%女の子ですよ、葉っぱの形がハッキリ見える‥」

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帰ってすぐに東京に行ってる旦那に電話しました。(まだ携帯を持っていなかった)


それから、もう一回協力してくれたのは、どういうわけか、ギリギリまで逆子で、次の検診までこのままだったら、「お腹をギュッと押して、元に戻すことを次回やりますから」と言われていました。


検診に行く朝、落ち着いた頃に、これから検査に行くけど、お腹押されるの嫌だから、グルリンと回って〜」とたのみながらお腹をさすっていたら、なんと、お腹の中で本当にグルリン〜と回った! 

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自分としては、吐き気がするほど、かなり衝撃的で、でも戻ったぞ〜と思って、検査に行ったら、ほんとに逆子が戻っていました。(大きくなりすぎたら回らなくなる)


私は毎日、いつもいつも、お腹に話しかけてました。今日の天気、これからお散歩にいくよ、食べてるもの、聞いてる音楽、何かしてる時も、寝ている感じの時以外は、話しかけていました。



ヨガのクラスをしてる時には、寝ててくれることが多かった‥音楽が良かったのかも‥踊りのクラスの時は、音楽がうるさいのか、よく動いていました。



そして時々、しゃっくりをしてるのもよくわかって、ほんとに面白い、幸せな妊娠期間でした。



自分の体の中に、心臓が二つある不思議さは、なんとも言いがたく、ほとんど安静にしてる暇はなくて、普通通りに過ごしていましたが、無事に育ってもらうために、考えられることは、いろいろやりました‥

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そしてやっと、対面した時、まずは目を見て、すぐに指の数を数えました‥高齢出産の場合、6本指の場合があるからと聞いていてので‥(あとから手術でどうにかできるらしいのですが…)



自宅出産に、すごくはこだわってはいなかったですが、まぁできれば‥と思っていました‥でも、それよりも産後の方が大変だったとは、全く知らなかった‥


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ほぼ母乳だけでしたが、乳癌のあった方が、ちょっとおっぱいの出がわるく、よく小さい手で、ギューとしぼっていました‥なのですぐお腹が空くようで、3時間おきくらいには、飲んでいたので、完全に私は寝不足〜


おまけに紙おむつは、ちょっと遠出の外出の時以外には使わなかったので、毎日おむつのお洗濯をしていました‥この辺はちょっとこだわったかなぁ…


オムツは濡れたら、紙おむつのようにサラサラにならないので、ちゃんと冷たくなって、気持ち悪くなるから、すぐに泣いて教えてくれます。だから赤ちゃん自身も排泄の自覚ができるから、いいらしいと言われていました。


それと面白かったのは、よく八畳間にビニールシートを敷いて、オムツをしないで、はいはい遊びをしたことです。


ウマ先生のところに踊りの生徒だった方が、たまに赤ちゃんを連れて、遊びにきていて、いつも赤ちゃんは何もつけていない…


家の床が石だから、おしっこをしても拭けばすぐ乾くし〜でも聞いてみるとそのほうが、オムツをしてるよりも早く「オムツ離れ」ができるそうでした…


それを真似て、やってみたら、やっぱりオムツをつけているより、自由だから、動き周り方が、半端ない…思ったほどおしっこもしないし…雑巾を持って追っかけてました…子育ては体力勝負だわ〜踊りより疲れる…


あとはトイレに、ハシゴ付きの子供用の便座をおいて、おまるも居間に置いておいたので、大はちゃんと登ってやってたし、(紙で軽く拭いたあと必ずお湯で洗うのでかぶれたことが一度もない)おまるも大活躍で、「オムツ離れは」すごく楽で、トイレのトレーニング的なことは、それだけですみました。


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我が家の自慢は、水風呂でした。お風呂を改造して、小さい「水用の浴槽」を入れました。冬は氷がはりますが‥割って入ります‥


なので、ベビーバスの期間が終わって、いっしょにお風呂に入る時には、出る時は必ず、水風呂にザブンと入ります。(貫実先生オススメの健康法で毛細血管を丈夫にし、風邪をひきづらくなる。サウナの後のアレです)


最初泣くかと思ったのですが、「ヒャー」ですんで、もう毎日だから、喜ぶくらい‥私の母は、遊びに来てくれた時、ビックリしてましたが‥



生後3ヶ月から、松本の踊りのクラスだけは再開したので、その間、車の往復時間を入れて、3時間、旦那が一緒に過ごしていました。私は玄関を出るとすぐに帰りたくなってましたが‥


家に戻るといつも、旦那は目の下にクマができていました。聞くと、散歩に行って、泣き出したら、玄米クリームを舐めさせて、あとは泣き止むまで抱っこしてるしかない〜とのこと‥

離乳食が始まったら子供より喜んでいました‥


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朝と夕方は、お散歩タイムで、うちの横が河原なのでいつもタオルを持っていって、夏は裸んぼで水遊び‥よく友達も子供を連れてきて、遊ばせていました。

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そんなこんなで、あっという間に、半年経ちました。


そんなある日、ダウン症のお子さんを育てている友達が相談にきました‥(続く‥)







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