私の変な不妊治療 その12「あ~、知らなかった」

花子です。ご覧くださりありがとうございます。

ここでは不妊治療を経る中で経験した、悪くないなあ、面白いなあと思う事を中心に、人さまに読んでもらえたらうれしいな~と思うことをつづっています。

その12です。

その時私は、初めての体外受精を経てとうとう受精卵をお腹に戻していました。体外受精の段取りは複雑でタイミングが重要です。良く育ってお腹から取り出された卵子にジャストタイミングで精子を受精させ、うまく受精するまでが一山。その後、どう育って落ち着くかでまた一山。凍結したりしなかったりはお母さんの体調しだい…で、両者タイミングの良きときにそっとお腹に戻されます。そして「タピオカやんけ!!!!!」と心で驚愕するという…まあそれはどうでもよいお話ですが。

お腹にタマゴがいる。

それは私の身体がこれまで一度も体験したことのない、不思議な事件でした。単純だと思われると思いますが、タピオカちゃんがお腹に入ったその直後から「幸福」という物質がどばーっと頭を満たし、体を巡り、あっというまに完璧な幸せを感じました。帰宅後いてもたってもいられなくなってせっせとウォーキングをしながら、涙がにじんだのを覚えています。私が単純なのか女体が不思議なのか。でも友人が妊娠中だった時、みな、一度はそういう表情をしていた気がします。ゆったりした笑顔。

ところで、幸福の絶頂にいるとき、なぜか心が静かになって遠くの山まで見晴るかすような気持になったことはないでしょうか。最大級の喜びが頂点に達し、通り越すと一度哀しみのかたちをとってからさとりに似た透明な感情が体を満たす。そういうことが、私はこれまでに何度かありました。

その時晴れた夕空を見上げながら、まさにその気持ちでいました。

いまお腹の中に私ではない小さなものがいる。それを守りたい。育ってほしい。どうか、流れて行かずにそのまま、そこにいてほしい。ちいさな真珠貝が、静かなさんご礁のくぼみにひっそりと沈んで小さな泡を吐いている。私はそこが濁らないように、いつもあたたかく清らかな海水が巡るように、いまこうしてせっせと歩いているよ…。

そんな物語を頭に描きながら田んぼの脇を歩きました。

幸福な気持ちと祈り。やがてそれはそのまま「この先の未来が確定していないことを、許そう」という気持ちに変わってゆきました。夕方近く、水色の空に夕日を受けてピンクの雲が浮かんでいます。それが黄金に変わり、空が紫に変わるまでずっと見つめていました。

この先の悲しみの可能性を理解しながらも、こんなに完璧に幸福でいられたことはなかった。

きっとかなしいことも起こるのに、それでもいい。不妊治療の妊娠率を知ってる。宝くじのあたらない人間が手を出すことじゃない。このタマゴが、私の海にいつまでいてくれるかわからない、あと何日、もしかしたら何時間。

それでも幸せでした。

私は器がせまい人間で、確実な幸せでないと怖くて手を出せないです。それでもこのときは違いました。

山頂から、はるかかなたの山脈を望んだ時のように、ああ、あの頂きにたどり着くまでには、またたくさんの起伏を越えなくてはいけないんだなと考えながら、頭の中が澄んでいて恐れも不安もない。ここまでこれた充足感と心地よい疲労が体を満たしていて、高い場所特有の風が心地よい。いまこの完璧な心もちが、一時間も続かないことを分かっている。そのせつなささえ今はかすかに理解できる程度で、とらわれはしない。人生の喜びは結果ではなく過程にあるというのはこの感情のせいじゃないかとすら思う、完璧な幸福感。

私が不妊治療で得た経験はいくつもありますが、このときの気持ちは本当に得難い経験でした。お腹にナニカいて、たった一センチくらいのそれがこんなに悟りに近いほど幸せにしてくれるなんて、ほんとうにびっくりしました。あ~知らなかった。