見出し画像

親の話


家族の話でダラダラと綴ってしまったが、私も人の子なので父親と母親がいる。
両親、そして祖母と兄は自宅から徒歩10分かからないところにある実家で暮らしている。

父は婿養子で、母は30ウン年前には珍しいフルタイムの会社員だったという話はしたし、母のことも書いたが、今回は父の話。

父は元公務員だ。
お国の事情で公務員でなくなった職、といえばピンと来る人も多いかもしれないが、高卒で郵便局の職員になり、定年までずっと郵便局で働いていた。
とはいえ、郵便局にも当然色々な部署があるので、何をしていたのかはよく知らない。

が、父は私が6歳の頃から単身赴任をするようになった。
静岡や大阪、神戸、色々なところに単身赴任をしていた。
土日に帰ってくるたびにお菓子やおもちゃを買ってきて、母に叱られたこともある。

私たちが大きくなると、隔週だったのが月1くらいとあまり帰ってこない時期もあったが、なんやかんやしているうちに通勤県内の部署に戻ってきて自宅から通ったりもしていた。

保育園や幼稚園に行く前は、不定期なシフトだった父がよく遊んでくれた。
トランプやオセロを教えてくれ、謎のトランプ手品を披露してくれたこともある。
決しておしゃべりでもユーモアがある方でもないし、どちらかというと真面目で、不器用な父だが、気が長いので色々なことに付き合ってくれたような記憶がある。

ちなみに父は運動神経がよかった。
スキー場でスイスイ滑る父は、普通のオッサンなのになんだかかっこよかった。

そんな父に叱られた記憶は一度しかない。
大学の頃、バイトのしすぎで扶養から外れることになったときに電話で「手続きするから帰ってきて」と言われ「用事があるから無理」と言ったら「じゃあどうするんだよ!」と声を荒らげた。
温厚かつ私が何をしても(そもそもいい子だったので何もしないが)怒らなかった父がちょっとキレたことに対し「やべえ」と思った私は、翌日帰宅した。

父は私にはそれっきり表立って怒りをぶつけてくることはなかったが、明らか怒らせた感はあったので、普段は怒る役目の母が「でもアルバイトたくさんして楽しかったんでしょ?よかったじゃない」と超優しいことを言ってくれた時には泣いた。

フリーランスの端くれになって、大人になってわかったことだが、扶養を外れるのはなかなかだ。
私がたくさんバイトをし、全部お小遣いで使ってしまったあのとき、父は国にいくら支払ったんだろう。
考えても仕方がないが、今も申し訳ない気持ちではある。

そんな感じで、まじめに生きてきた父だが、定年を迎えた頃体調というか、メンタル面でおかしいぞ、と周囲が違和感を抱くようになった。

その違和感は今も父と、そして家族を悩ませる病気の始まりだったのだが、それについては、また次回。などともったいぶらせてみても仕方ないので言ってしまえば、父はパー筋層病だった。

詳しいことは、また書けたらなと思います。

終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?