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静寂

静寂には、

物音もせず静かなこと。しんとしてものさびしいこと。

という意味がある。


従姉が、2歳手前の娘ちゃんを連れて我が家に4泊した。

叔母は実家に泊まり、大勢で毎日過ごした。

楽しい時間はあっという間で、水曜日、3人は新幹線に乗って帰宅。


4歳の息子は別れ際は思った以上にあっさりとしていたが、夜布団に入ると、「寂しい」と言って静かに泣いた。

3人が帰ったあと、ちょっとだけしんとなった自宅で息子たちと一緒にテレビを見て、タオルをボールにして投げ、ごはんを食べているとき、少し淋しさはあったものの、静けさはなかった。

それが布団に入り、静けさと寂しさが同時に訪れたものだから、小さな体の中に溜め込んでいた寂しさが、あふれ出してしまったのだろう。


当たり前のはずの我が家の静寂が、なんとなく虚無感を覚えるものになってしまった。

前日までそこにあった2人分の息遣いや物音がないだけで、我が家の寝室は、いとも簡単にものさびしい空間と化してしまったのだ。


そういえば、と私は思う。

従姉には妹もいた。

先日お嫁に行った30手前のその従妹と叔母と3人、小さな頃は盆暮れ正月春休みと、しょっちゅう我が家に訪れていた。

女兄弟のいない私はそんな従姉妹達の来訪を楽しみにしており、帰るときには祖母と一緒に駅まで見送り、泣いた。


「ママもね、小さいとき従姉ちゃんたちが来るのがすごくすごく楽しみだったの。でもね、帰っちゃうと寂しくて、よく泣いてたなぁ。寂しいよね、静かになっちゃって、悲しいよね」

長男の背中をさすり、そんな風に話していたら、涙がこぼれた。


「でもね、きっと毎日一緒にいたら早く帰ってほしいなって思っちゃうよ。小さい子がいると、大きい子は我慢しなきゃいけないし怒られたりもするし。せっかく大好きな女児ちゃんのことがイヤになっちゃうかもしれないよ。そうなる前に、ちょっと寂しいな、また会いたいなって思えるくらいでバイバイしたほうが、また会える楽しみができるよね。」

一生懸命伝わるように言葉を選んだら、彼は納得したようだったけど。

でも寂しいもんは寂しいんだよね、わかるわかる、という気持ちで久々の1人時間に酒を飲みながらアニメを消化した。


めまぐるしくも充実した数日間。

長男は小さい女の子の面倒をよく見て、おもちゃを貸したり機嫌をとったりと優しく接していた。

「兄は妹にやさしい」という都市伝説が本当だったことを実感した(ついでに実の弟にも優しくして頂ければ満点でした)。


次男は「顔面良し、愛嬌良し、性別女児、年齢若し」という勝ち目のほぼない敵に自分の立場を脅かされ、割と不機嫌だった。

あんなに楽しみにしていたのに「女児ちゃんきらい、おもちゃ貸さない」と言って更に私に叱られるという愚行を繰り返していた。

が、彼なりに頑張ってものを貸したり一緒に遊んだりしていたので、そういうときには褒めに褒めまくっておいた。


従姉は仲がいいし、女児は非常に可愛かった。長男も2日保育園を休んで、賑やかで楽しかった。

でもやっぱり、私は次男の昼寝中、夫不在時に子供たちが寝静まった夜中に、1人静かに好きなことをするのも好きだったりする。

静寂はやっぱり、寂しいものではなく、心地の良いものだな、と思う。

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