写真のリアル |Tristan Garcia "The Photographic Real"
元記事:Tristan Garcia "The Photographic Real" Glass Bead
写真の存在論
1850年代以来、写真はわれわれの表象における現実の主要な供給者となった。個人的な記憶、あるいは、視覚芸術、宇宙論、顕微鏡、医学、アイデンティティ管理、エロティシズムとポルノグラフィー、戦争報道、歴史の再構築、法的証言、そして広告。これらすべては、写真という産物にたいして存在論的な信頼を置く自然主義的な態度(*1)によって発展し、表象を操るさまざまな分野に、「所与の現実(donné réel)」を絶え間なく供給している。われわれは、現実とは撮影されたものであり、表象とは撮影されたものによってなされるものであるという公式と大きく関わってくる19世紀から受け継がれてきた視覚の近代性についての考えを進められるかもしれない。
「写真の存在論」は当初から重要な役割を担っていた。というのも、写真に写った実在しているものを説明すること、写真のイメージにおいてリアリティーを伝えるものについて概念化し、名付けることが確実に必要だった。われわれが写真を扱うとき、イメージによって捉えられた現実を扱っているのだと確かめたかったのだ。そしてわれわれには、美的、科学的、情報的、あるいは政治的な目的のために、写真について徹底的に調べ、論じるための時間がある。
今日、われわれがイメージの構築にたいして不信感を抱いているのと同じくらい、写真が視覚表象の普遍的な材料として機能してきたという事実。それは、写真とは構築から逃れる「所与」のものであると、われわれが信じてやまなかったからだということを理解してはじめて説明されるものとなるだろう。しかし、写真の存在論が一世紀半以上も続いた後、写真という概念そのものが絶望的な状況に陥っていることを認めざるを得ない。現状は、写真が袋小路にあると考えるすべての人々を窮地に追いやるーーというよりむしろ恐れてきたジレンマへと立ち戻ってしまっている。
第一の選択肢は、写真にあらかじめ与えられた存在論的な信頼は最初から幻想であり、どんな所与の現実も写真のなかにはなかったのだと認めることである。第二の選択肢は、この所与の現実に名前を付けることを義務づけるもので、あいにくながら同時に、リアリティーの中核karnelを脅かすような疑念には耐え得るものにならないことを明らかにするものである。ある写真のなかで、純粋な現実として指示されているように見えるものはすべて、写真というメディアの技術的変異の過程において、光学装置とわれわれの視線の複合的産物として現れてきたものだった(写真それ自体では持っていない現実の係数を見出すのは、われわれの視線である)。まさに袋小路にいる気分だ。このジレンマの起源を理解するには、川をさかのぼるように、写真の存在論の歴史に立ち戻らなければならない。そうして、あらゆる種類の写真(フィルムであれデジタルであれ)に適合する、ただ一つの現実に関する概念を見つけるという希望のもと、果てしない軍事的撤退に苦しむかのようなあらゆる写真思想史の潮流に抗うのだ。
実在論のあまりに野心的すぎる立場は、徐々に放棄され、より控えめな立場が支持されるようになる。なぜなら、現実主義者の砦は崩壊寸前で、もしそこから立ち退くならば、写真は絵画の特定のジャンルとして考えなければならず、やがて線や色が表面に刻まれたものとして理解されなければならなくなる。写真を別種というより、絵画の一ジャンルとして考えるならば、それはステンドグラスが、彫刻、油絵、あるいは洞窟壁画における顔料の吹き付けから区別されるように、技術の区別にすぎないものである。それは、手形のインクや黄土、木炭を表面に刻むことと、光度の変化を写真装置を媒介として感光面に刻むことの間に、本質的な違いがないことへの容認を意味する。しかし写真の存在論は、基本的には、絵画と写真との間の本質的な区別、つまり主体と表象される客体との間の因果関係の逆転に付随する―― 説明するのが難しい――感覚からまさに生まれたはずだった。これは今日、われわれがもはや信じることができない考えである。ならば写真思想をさかのぼる旅路は、絵画が線を表面に刻むものとして着想され、それは表象される客体ではなく、主体が要因となっていたという当初(19世紀)のシンプルな直観からはじめることにしよう。これと対照的に写真装置では、表象の要因(いずれにせよ、要因の一つ)は、表象される客体であったことを最初から認めている。われわれの知る限り写真に表象された客体が、表象の「絶対的な」要因であると考えた者はいなかったが、主体(ここでは撮影者)が表象の独占的な要因ではなくなったということだけは確かである。シンプルに言えば、どんな絵画やデッサンの描写においても客体は、おそらく描写の目的ではあっても、表象の物質的な要因ではないことは確かなのである。ハンス・ホルバインが描いたトマス・モアの顔は、彼が描かれた絵画の物質的な要因では決してない。一方、ボードレールの顔は、ナダールが撮影した有名なポートレイトにおいて、一連の因果連鎖(これは明確に解明されなければならない)としてポートレイトに入り込んでいる。詩人の頭部、頭蓋骨の形、髪の細さ、これらが何らかの形で光に作用し、それが感光板に作用し、最終的に得られた像へ作用するのである。
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写真の「所与の現実」とは、撮影されたものとその写真との間のこの因果的な連続性を決定することを意味するようになった。写真の存在論において、つねに聖杯とされてきたのは、このようなあらかじめ与えられた現実である。この所与の現実の定義は、写真に寄せる近代的な信頼を正当化するようつねに訴えてきた。そしてそれは今日われわれの心を征服しようと脅かす不信感にもつながっているのだ。
写真を一種の光のドローイング(近代の人々が奇妙にも信じていたリアリティー)に還元しないためには、写真の存在論の歴史をさかのぼり、写真の存在論が不可避的に撤退しているように見える動きに抗して、写真的現実の定義を探さねばならない。
存在論的撤退 I:自然
写真の存在論の歴史における最初期は「自然主義 」と呼ぶにふさわしいものだった。ここで言う「自然主義」とは、写真のイメージに所与の本質は自然であるという(特に学者界隈や写真について初めて考えた人々の間での)共通の信念である。ダゲールやニエプスの装置を絵画と区別するものとして定義しようとした最初のテキストでは、「achéiropoiétos image(人間の手によるものではないもの)」という用語が頻繁に使われ、光の自然描写という比喩が繰り返し登場するが、どちらも最初期の写真の存在論的状況を示すものだ。ここでのわれわれはもはや人間が自然から得たイメージの前にいるのではない。自然が人間から得たイメージの前にいるのだ。つまり、ポートレイトの技術によって写真は、人間に自分の顔に関する客観的な知を持つことを許したのだった。写真は、主体ではなく客体のイメージとしての人間を明らかにするものであり、自分自身を自然の視点から見ることを可能にしたのだ。
これは、最初期の写真の存在論の一つの定式化である。
それではこの写真的自然主義のどんな点が、撮られるものと写真そのものとの間にある現実の連続性を定義するのだろうか。それは「正確な」物事の自然形態である。フランスの科学者であり政治家でもあったフランソワ・アラゴ(1786-1853)は、代議院での有名な演説で、画家ドラローシュの言葉を引用して、ダゲールの直近の発明を説明し擁護した。
このように、光の媒介によって現実の写真イメージに保存されるのは、感光板へ直に刻み込まれた外部の物体の自然な形態である。ある樹木の写真の輪郭は、ある距離や角度から見た実際の樹木のシルエットと細部に至るまでよく似ている。それは、画像の理論家であるジョン・ハイマンが、後に写真を「咬合形状」と呼ぶ理由を想像できるほどの正確さだ。「物体の咬合形状とは、哲学者たちが“見かけの形態”と呼んだもので、換言すれば、シルエットに従う輪郭である……例えば、斜めから見た円形の皿は、視界にたいして垂直な平面では、楕円形の領域として復元される(あるいは補われる)ことになる」(*3)。 こうした復元の形態は、物理的な物体の自然な性質とそれを理論通りに復元した写真イメージの性質とが、各項ごとに、正確に対応する可能性を示している。
この正確さは、写真に関する最初期の驚くべき理論が前提にしていたものだ。皮肉なことにボードレールでさえ(“芸術の謙虚な下僕”としての技術となるべき)写真の形態の正確な真実よりも、(芸術の物体としての)美しさを好むにもかかわらず、言及してしまっている。しかし、ボードレール(同時期のエリザベス・イーストレイク(*5 )も同様)は、自然の形態と写真の形態が完全に一致することに疑問を持ち始めてもいた。
自然主義者の写真にたいする信頼は、主として写真を知の道具として考えることに関係するが、実際には、少なくとも3つの側面から攻撃され、あっという間に崩れ去ることになるだろう。
まず第一に、事物の自然な形態が光によって写真に伝達されるという命題は、エピクロス派の物理学の近代的変形を採用したと暗示するもので、自然物は目や鏡が捕らえる客観的な像――エピクロス派が「シミュラクラ」と呼んだーーを、あらゆる空間方向へと拡散させたものとして考えられていた。写真が「自然の像を定着させる」手段であると考えることは、像は撮影される以前にすでに存在し、それゆえ、像はつねに光り輝く環境のなかで拡散しており、写真装置はその翼で単にそれらを拾い上げることを認可していると断じることだった。そうなると自然主義者は、レンズから「ある距離に」位置しているという定義のもと、物体の自然な形態を「即座に」捕らえると主張することはできない。そこでは、拡散する光は何らかの方法で事物の自然な形態を空間的に運び、写真装置に伝えなければならないはずだし、写真的なものの概念の外側では、彼らの知覚によってではなく、事物そのものによって生み出される像の自然な概念があるのだという見方を守らなければならない。つまり、光学の歴史から蔑ろにされてきた物理的な概念を復活させることが不可欠になる。すなわち、まるで小さなフィリグリー細工(金属製の透かし細工)かのように、事物の像は事物そのものから切り離され、周囲の空間に漂う像を時間の経過から引き剥がして、固定するというまったく新しい様式である。もちろん現代物理学のすべてが、このような光や像の表象のあり方に異を唱えている。
次に、自然主義者が直面した困難は、写真芸術の進化に関連するものだ。ピクトリアリズム(シュルレアリスムやソビエト・アートにおけるレイヨグラムへと繋がった最初の実験的操作でもある)は、所与の自然としての写真に打ち勝つ「撮影手法」をつくりたいという写真の美学における欲望を示した。ぼかしの効果、ゴムの使用、初のモンタージュ、像の重ね合わせなどはすべて、「ひとまとまりの形」でなおかつ客観的に伝えられた像としての自然な写真的現実があるという考えを弱める傾向があり、その代わりあらゆる写真行為において、構築されるか捉えられるかしたものと所与のものとの間に力関係があるという考えに賛意を示したのである。
最後の反論は、自然主義的な写真の存在論にとってもっとも深刻なもので、“復元の形態”の概念の失敗に関わるものだ。写真の内部においては、見られることによって事物それ自体が復元されるような自然の形態を持つ事物は存在し得ない。像から「それ自体で」切り取られるものなど何もないのだ。もし写真のなかに互いに異なる様々な実体を識別することができたとしても、その間の差異は、写真自体に刻まれているのではなく、その像に向けられている知覚と意識によって生じるものでなければならない。どんな写真も、すべての部分が存在論的な尊厳を等しく有する均質な表面であり、像の内部に差異は存在しないのである。
存在論的撤退II:現前
これにて写真の存在論の第二段階が始まり、もはや自然主義というより「現前主義」のもとで、20世紀における写真に関するあらゆる近代的な思考のパラダイムを生むことになる。写真の存在論は、次第に事物の自然で正確な形態や、写真のなかに現れる差異のある実体から離れ、統一感のある集合体に当てはめられた「現前」という、はるかに決定力の弱い用語を受け入れるようになった。もはや写真は物体の一次的な、あるいは二次的な性質(大きさ、形、色、質感など)でさえ証明するものではなく、「これ」が存在した、かつてそこにあったというシンプルな事実を証明するものでしかない。写真において何がリアルなのだろうか?それは客観的な性質を持つ実在のものというより、それらの消滅を超越するイメージによって延命されたものと言えるだろう。
近代の写真の存在論は、写真を人間の目と比べてアナログで完成された技術とする野心あふれる古典的な実在論と、写真を奇跡の世俗版とする、より控えめな(しかしおそらくより強烈な)実在論とを交換したのである。
ヴァルター・ベンヤミン、アンドレ・バザン、ロラン・バルトの代表的な論考には、事物の自然な形態を表象するものにはなれないが、それでもなお、復活という宗教的希望を美的情緒へと転化できる写真の力を信じたがっている欲望が見て取れる。この希望はメランコリーを帯びてしまっている。なぜならイメージのなかに保存されているという現前性は、写真によって救われたいかなる生者の死を防ぐことはできないからだ。生者は、何らかの形でイメージのなかに存在し続けるが、生きているままなのではない。それどころかそういった死は、アンドレ・バザンによってエンバーミング(防腐処理)に例えられるように、写真によって承認され予期されるものである。
もちろんバザンは自然主義者であることをやめず、写真の客観的性格を信じていたが、彼の存在論は、現前主義的な概念への明確な変節を示している。ここで写真と絵画とを峻別するものとは、われわれを「信じ込ませる」力を持っているかどうかだ。「われわれの批判的な気持ちがどのような異議を唱えようとも、われわれは巧妙に再・現前re-presentedされた実存を、つまり、時間的・空間的に存在させられたものを信じざるを得ない」(*6)。 現前主義の定説におけるフェティッシュな象徴、「宗教と写真の統合を実現した」トリノの聖骸布は、写真が本質的に生じるのは証明からだと示した。それは本当に存在したのだということを写真は証明する。機械的な証言者として、現前性の伝達を成し遂げ、もはや存在しないものの現前性を時間の破壊的な力から引き離し、エンバーミングし、そしてイメージのなかに保存するのである。
ロラン・バルトの『明るい部屋』の最後のページは、写真の現前主義の最良の例であり、集大成(と同時に最後の作品swan song)だ。それは、キリスト教の約束、聖体、肉体の復活を達成する写真装置の能力にたいする現代の強力な信仰を具現化している。そこでは死んだはずのバルトの母の何かが、彼女が写る写真においてまるで蘇生したかのようなのである。バルトは「消滅した存在の写真が、 星から遅れてやってくる光線のように、私に触れに来るのだ」(*8 )と記している、「それゆえ、いかに色あせていようと、「温室の写真」は、私にとって、その日、少女だった母から、その髪から、まなざしから、発せられていた光線の宝庫なのである」。
写真によって大切に保存されている輝く光線が、撮影されたもの自体から「発する」。幼少期の母の現前が、輝きとなり、感情的な面へと乗り移り、イメージを構成していたのだ。イメージはこれらの光線を復元する。あたかも愛しい人がイメージのなかでいまだ存在しているかのように、死んだ星かのように、その光線は死んだ後もずっと目に触れに来るのだ。しかし「発散」を魔術的な存在の伝達として理解しない限り、バルトの母が伝えた輝く光線は少女の物質的な現前性を伴ってはいないーーまったく逆である。よく言っても、結果のなかに因果があったりするように、光線の内に少女が存在したと考えるのが妥当だろう。それではここで言う「現前」(バルトが「隠喩的」でないことを確認するために主張している)を、どのような意味で理解するのがいいだろうか?
存在論的撤退 III:指標
写真の存在論の大きな後退は、あたかも現前の概念とその魔法的で連続性のあるコミュニケーションが論証に耐えられない陣地であると言わんばかりに続いてきた。
現前主義が写真的なものの「近代的な」イデオロギーとして機能する一方で、指標的なものが「現代的な」イデオロギーとなりつつある。指標論とは、チャールズ・サンダース・パースの記号論のカテゴリー、特に「指標(インデックス)」を再解釈したものである(ロザリンド・クラウスによる(*9)。その後このモデルは『L' Acte photographique』のフィリップ・デュボアの論文(*10) からジャン=クロード・ルマニーの論文へと伝播した)。指標論とはつまり「指標」それ自体が因果となるようなものとしての写真を構想することを意味している。パースにとって、3種類の記号(あるいは表意体)――イコン、インデックス、シンボルーーの区別は、記号とその対象との間の対応関係の違いによっている。イコン(たとえば木の絵)は「類似性」によってその対象に結び付けられ、シンボルは「約束や法」によって(木に類似していない「木」という言葉のような慣習によって)結び付けられ、インデックスは「因果性」によって結び付けられる。因果性においては、煙は火の結果であり、それは指示すると同時に裏切りもする。砂についた足跡は足の結果であり、それは形を明らかにする。
ロザリンド・クラウスは、写真ではなく1970 年代のアメリカ美術の特定の潮流を特徴づけるために指標論のカテゴリーを再利用し、撮影されたものの結果としての写真を想定可能にした。「写真とは、その原因を明らかにするとともに裏切る、結果である」とジャン=クロード・ルマニーは記している(*11)。
現前主義はこれまでの自然主義と直接対決するものではなく、指標論の立場もまた、現前主義と対決するものではなかった。それはむしろ非常に控えめな形で、その遺産の所有権を主張することさえしながら、シンプルな戦略的撤退として振る舞う。レンズの前に実在するものがイメージのなかでいまだに存在していると論証するには無理があると思われるほどの形で、指標論の立場から低下しつつある現前主義の野心を再検討し、介入しようとしているのだ。つまり写真においてリアルなものは、かつてあったものではなく、その「痕跡」だというのだ。
指標としての写真とは、過去のものであるがゆえに現実との接点を失った物理的な物体であり、今は消えてしまった光り輝く現実との印象的な出会いから「何か」を保存しているものだ。それは痕跡であり、もしそうならば輝く痕跡だろう。
われわれは、はっきりと現前主義と指標論の論理の違いを確認することができる。後者は、撮影された事物は何もイメージのなかに残ってはいないが、イメージはかつてそこにあったものの現実の指標である。写真において何がリアルかと言えば、それは現実にたいするある種の「結果」であることなのである。
リアルなものはあらゆる写真のなかに残されているが、そこには著しい距離がある。なぜなら人は、写真それ自体が示す結果を除いてアクセスすることができないからだ。とはいえ少なくとも、現実と写真の間の連続性は完全に断ち切られているわけではない(*12)。それは繋がり続けるのがやっとの形で、それでもなお繋がっている。
存在論的撤退 IV:光子の痕跡
残念なことに、写真の存在論の後退は果てしなく続くしかないようだ。慎重な実在論の命題でさえ、甚大な逆戻りに見舞われている。アンリ・ヴァン・ライアーの『Philosophie de la photographie』において、何も存在しないところに関連性や連続性を持ち込む魔術的な思考の最後の残滓として(正しく)攻撃されていることが分かる。アンリ・ヴァン・ライアーは、写真において再現前しているものは、写真装置の感光板には何も刻み込まれてはいなかったと念を押す。愛する者の顔は一切レンズに触れてはいなかったし、(比喩を除いて)フィルムに刻み込まれたことはなかった、と。ヴァン・ライアーはこうして、写真においてただ一つリアルだと言える、より正確な(しかし、より切り詰められた)バージョンの指標性を提案する。それはつまり、光子の痕跡である。ここでは、撮影されたものと写真との間の唯一の現実的かつ物質的な連続性は、束の間の現前と言えるような距離があるままで永遠に分離された状況によるものではなく、撮影された状況に影響を受け、感光面に衝突し、同時に写真のネガに保存されることによって物質的な痕跡を残す光の乗り物、光子によるものである。
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擁護し、囲い込もうとするほど、ますます遠ざかっていくことに気がついた写真における現実の擁護者は、情け容赦なく攻撃されることになるだろう。最近の論文でアンドレ・ギュンターは、光記録photonic recordingが起こる物理的プロセスに関する写真思想家たちの無知さについて物理学者ジャン=マルク・レヴィ=ルブロンが書いた、舌を巻く批評を引用する。
換言すれば、「ガラス板に入っていく光子は、ガラス板から出ていく光子ではない......物質の内部では光の構成要素が完全に更新されているのである」(*13)。
写真的な実在論の最小限の公式として光子の痕跡を挙げるアンリ・ヴァン・ライアーの擁護は、新たな攻撃に耐えることができない。というのも、若者たちの顔に接触した光子は、写真装置に接触した光子ではないし、レンズに入った光子でも、レンズから出ていった光子でもないからだ。
したがって、被写体に接触していたものは、物質的な形で写真には入り込まない。写真的なリアリティを、被写体と写真の間にある「連続性」と呼び、定義することで理解するならば、今日われわれは写真的なリアリティを何一つ規定することができないように思われる。
そして、写真の存在論がそのような具体的なリアリティを定義できなくなったのであれば、やはり写真は絵画のジャンルとしてしか考えられなくなるのだ。ここで最初の地点に立ち戻る。つまり、写真的なリアリティーにたいするわれわれの自然へと向ける態度のもとにある信頼は、もはやいかなる概念にも正しく立脚していないことになり、単に慣習に過ぎないということになる。この慣習は時間が過ぎるごとに摩耗され、(写真的なものにたいするわれわれの信頼を支えるような根拠ある言説は持ち得なくなっていくために)完全に消滅してしまうだろう。われわれの写真の概念とはつねにそうであったと思われると同時に、今われわれは、空虚の最果てに追い詰められているのである。
空虚の最果てで
この段階的な撤退の最終段階で、現在の写真の存在論は、現実の領域からの長期にわたる撤退を経験した後、崖っぷちに立たされた部隊のように、自然、現前、事物の痕跡、物質の痕跡、そして物質的な連続性を放棄していることに気がつく。
一つあり得る方法としては、飛び降りてしまうことだ。(いまだ写真と呼ばれているものにたいする生産と観念の現状において)絵画的なものと写真的なものとの間にある存在論的な差異を完全に放棄する。武器を捨て、写真の存在論的な差異が近代美学の幻想であり、写真はある技術的な装置によって――多かれ少なかれ他のすべての絵画的なジャンルと同様にーー表面に刻まれた線から成り立っていると認める。そうすれば、写真がいかに独特であるかを語る必要はなくなるだろう。今のところ写真における因果関係がもたらす何かを、表象されたものではなく、再現前を行う装置に帰属するものだと定義できないのだから。
しかしそうなると、われわれの表象における現実の主要な供給者として、写真的なものを信じることをやめる必要があるかもしれず、写真というマテリアルにたいする不合理な信仰をあらためなければならないかもしれない。これは人類の文化にとって痛みを伴う修正であることは間違いなく、敗北――全体としての近代性の敗北の苦い味を長く味わうことになるだろう。
もう一つの選択肢は、降伏を拒否することである。このような立場は、「現実主義者」であるわれわれを突き動かすと思われる写真の存在論の歴史が向かう空虚に背を向けて、あらゆるものに対抗し続けることを前提とする。
それでは、最後の捨て身の行動に出ようじゃないか。この実在論がまだ可能であることに賭けてみよう。どうすれば、支払うべき代償を明晰に意識することなく、最後の難攻不落の立場を確保するための進路を見つけられるだろうか?
実在論を守るためには、現在まで紐づけられてきた概念を犠牲にしなければならない。写真におけるリアルを維持するためには、写真の存在論が盲目的にしがみついていたものを完全に諦めなければならない。それはすなわち、事物の物質的な現前である。実際のところまさに写真の存在そのものが、実在論と唯物論の分断を招いているのだ。写真について現実主義者であり続けるために、われわれはようやく撮影されたものと写真の間にある「物質的なものではない」現実の連続性が存在することを認める必要があると理解し始めたのである。
物質なきリアル
写真の所与の現実とは、光の物質的な現前ではなく、物質の状態、特に光の状態、つまるところ「情報」の状態のことである。電荷が交換され、エネルギーが伝達され、そしてこのエネルギーの結果が、光子から光子へと受け渡される。写真とは、感光面と光粒子の束との遭遇から情報(物質の状態)を抽出し、今ここにある各光子の特異な現前を精密に抽出する技術装置なのである。
もう少し物質を放棄してみよう。この問題になっている粒子の束は、必ずしも「光子」の束とは限らない。走査型電子顕微鏡Scanning Electron Microscopeの進歩を考えてみると、光子によって決定される可視光の波長まで解像度を下げた科学写真のようなものを確認することができる。現在われわれは、物質的な物体が見える閾値よりもさらに小さなスケールで、物質の極小部分を写真のうちに収めることができる。このとき走査型電子顕微鏡は、光子の束と感光面の間の遭遇ではなく、撮影したい物質と相互作用する電子の束と測定器の間の遭遇を構造化することによって、写真撮影を模倣しているのである。
光の媒体として写真を定義する人であれば、1/10ナノメートル単位の細部を捉えることができる走査型電子顕微鏡を「写真」とはみなさないだろう。ここでは、画像は確かに可視性の閾値を下回り、光子のみで明らかにできる以上のものを写しているように思われるが、それでもなお、無限に小さくなっていく画像とこれまでの普通の写真のように関わりを持つ方法はある。つまりどんな写真も、(物質の状態の影響を受けた)粒子の束と感光面(認識面、計測面)との遭遇にもとづいて、情報の断片を抽出したものからなると考えればよい。長い間、これらの粒子は光子としてのみ考えられ、光とともにあった写真の本質と不可分に結びついているように思われた。写真は、今でも(そしてこれからも)光子的なものであると捉えられるだろうが、しかし走査型電子顕微鏡は、もっとも普遍的でもっとも正確な写真の定義が、必ずしも光子(光の乗り物)によるものだけではなく、むしろあらゆる種類の粒子によるものであり、(遭遇し合う物質に影響された)方向性のある流れによって平面上に切り出され、記録されるものだということを教えてくれている。
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フィルムであれデジタルであれ、レタッチされていようがいまいが、どんな種類の写真にも、実際には不可侵なリアルの中核kernelがあるのだが、それは物質ではなく関係(あるいは関係の連続)である。それは「今ここhic et nunc」の物質から観念化された情報の断片である。このように写真を判断するということは、(直近の知見と現代技術をめぐる状況において)われわれは、裏切られることのない信頼感を写真にたいして持つことができる、と確信することである。
このような唯物論なき実在論では、写真におけるリアルから消え去ったかのように思われるものは物質的な要素自体やそれらの現前からではなく、ある物質的な要素の間にある関係からのみ生じ、「先験的にa priori」写真を再統合するという初めての有益な結果をもたらす。フィルムからデジタルへの移行がもたらす存在論的な変容を訝しむより、写真は「知らず知らずのうちに」「つねに」デジタルであったと考えるべきだろう。写真はつねに情報を扱ってきたのであり、現前を扱ってきたのではない。19世紀や20世紀の写真装置は、情報というより何かリアルなものを写真に保存しているのだとわれわれに信じさせることができた。しかし、19世紀半ばから始まった写真の文化表象のうちにデジタルを取り込んだことを認める必要がある。これはわれわれの存在論にとって最初の勝利なのだ。もはやデジタルは写真の本質を(少なくとも部分的に)破壊するものと考える必要はなく、むしろ逆にその本質を際立たせるものだと考えなければならない。写真技術の歴史を、終わりなきどんでん返しの連続として、存在論的破局として、読み取ることも強いられてはいない。今日われわれがデジタル画像と呼ぶものは、すべての写真が潜在的にもつ性質を実現したものに過ぎず、それは、光から要素の間にある関係を引き出し、伝達・再生産することができるものなのである。
情報
ここでいう「情報」とは、複数の実体の物質的な存在の関係として扱い、観念化し、他の実体(写真の場合は他の光子)とともに再生産されるものを意味している。この観点からは、光の記録と音の記録の間にある存在論的な違いはない。1964年にボブ・ディランの楽曲を録音した際、スタジオ空間を駆け巡った音波がその存在そのものごとマスターテープに捉えられ保存されたと主張するならば、それは録音の魔法のイメージを生み出していることになる。事実上、声の録音の奇怪な比喩を概念として受け取れば、録音のリアリティーに失望し、騙される運命にあるだろう。録音プロセスについて考えると、どんな神秘性も消え失せるはずだ。
録音に関して存在論的に現実主義者であるということは、存在や物質を保存する以上に、事物の自然を保存することを求めないということである。1964年5月のある日にギターのコードを弾いたボブ・ディランの手の存在が、正確に楽曲の録音へと反映されることはないし、この動きによって生じた音波は、この録音によって不滅のものとなったのではない。空気の動きがマイクの振動板を同調させ、着実に機械的に同調させていくことで、音波そのものではなく音波の間にある関係を磁気テープに刻み込んでいくのである。ボブ・ディランの手と声から発せられた動きによる段階的な結果は、物理的な対象として保存されているが、この伝達において現実主義者であるということは、存在は決して保存されていないと考えることである。それどころか、声の物質的な存在は、声の結果を構成する物質的な要素の間にある関係として観念化される。それは、刻み込まれ、書き換えられ、記録された関係である。
技術的に蘇生を行うような録音はない。録音を、その原因を再現する結果として理解してはならない。ボブ・ディランのレコードを再生する際に、蓄音機のアームへ伝わるヴァイナル・ディスクの動作によって生じている音波は、1964年に録音スタジオを駆け巡った音波と同じものではない。物質的な存在が異なるのだ。異なる物質の音波ではあるのだが、それらの関係が、1964年のあの日にそれらが維持していた関係を(少なくとも部分的には)保存しているのだ。
事物の本質的な性質や、それらの存在、物質性を保存したり、復活させたりするような記録はない。それどころか、記録技術によってもたらされる困難に直面するなか現実主義者でいるための唯一の手段は、記録とは、つねに記録されたものの特定の性質を観念化する(物質的な存在を不在にする)ものであり、そして記録されたものの実体とは、(比喩を除いて)何の繋がりもない特異な物質的実体として提示され得る実体の間の関係(あるいは特定の関係)だけを保存するものであると認めることである。
記録の存在論について考えるには、声、身体、顔といったものの物質的な存在や今現在の保存にまつわるあらゆるフェティシズムや魔術的な信念を捨てなければならない。すべてのものは、他のものと同様に、つねに時間の経過に飲み込まれ、過去になるにつれてその存在の強度は次第に弱まっていく。生きているものは、記録されることで時間から切り離されることはない。しかし、いくつかのものが一緒になって合成されたある存在は、ある役者の演技を別の役者が同じ形で演じるように、他の存在として再現前するかもしれない。このように記録について考えることによってのみ、フェティシズムーーひいてはあらかじめ与えられた現実の否定へとつねにつながる録音への失望を避けることができるのである。記録とは、物質の記録ではなく、情報の記録である。
写真と音の記録は何らかの形で、実体間の関係の保存や、他の実体とともに意のままに再現可能なものとして近代的な情報のあり方を発明したのだ。そして記録によって明らかにされる近代的なリアルとは、実際のところ情報なのである。
記録する:出来事から物体へ変換する
(音や光の)記録の特徴は、音響の物質や発光の物質の保存にではなく、ある出来事が物体へと変化することによって生じる物質的な情報に起因するものである。記録することは、ある装置によって単一か複数の(音や光の)出来事を停止させることであり、そしてそこからある物体を作り出すことである。はっきりとさせよう。写真が捉えるものは、光の事象の集合体であり、粒子の束となった光子の通過である。粒子の束から関係を観念化することで、写真装置は事象を停止させ、何も起きないようにする。事象は、感光面で粒子の束と遭遇し、それ以後、時空の安定した部分である物体として現れる。事象が、言語上での動詞として表現できるものとするならば、物体は名詞に対応するものである(*15)。事象が「することto do」で、物体はすでになされた行為、だ。このように、物体は同一性を保つがゆえに識別可能であり、時間を通じて識別可能なものである。写真は、出来事が生じている過程において光の情報を観念化することで、現実の出来事を物体化する。しかし出来事から物体への変換は、存在論における変化に対応するものであって、物質的な変容ではない。世界を出来事と物体に分類することは、つねに可能である。写真は、記録の一形式として、「出来事を物体として扱うことを、まなざしにたいして義務づける機械」である。写真は、一度撮影されれば、出来事であることを完全に止めることはない。ここでわれわれは、写真を出来事のように、それゆえ時間の経過とともに変化する実体として考え続けることができるだろう。例えばリズ・デシーンズの作品(*16)には、黙示?revelationとしての時間に、開示?expositionとしての時間が混在するイメージによって生み出されている美的効果がある。それは鑑賞者の目の前で、刻一刻と進化し続けるイメージなのだ。どんな写真も出来事として、たとえ気づかれないほどだったとしても変化し続けることを止めない。現在よりも前に撮影された顔の写真は、出来事としてその時から始まったのではない。現在、それは現在から始まっているのだ。今日という日は、今日から始まっている。それは継続的な行為であり、かつて行われた行為ではない。写真は、出来事として認識できないものではなく、決して止まることのないプロセスであり、現在の瞬間の、現在の瞬間なのである。
しかしわれわれは、この手に持っている写真を、過去の出来事のリアルな証言として見ることができてしまう。実質的にわれわれは、写真を物体として、つまり耐久性があり、識別可能であり、そして時間の経過を通じて再・認識可能である同一の物体として捉えるようにさせられている。これはあらゆる記録の規則である。記録することとは、認識を出来事の世界から物体の世界へと移行させる装置を作り出すことである。記録されたものは、出来事として考えられるかもしれないが、そうなると過去の出来事を真に保持する能力は失われる。わたしが写真を出来事として見た時点で、過去の何かリアルな情報を保存することを止めてしまう。これは代償なのだ。そして技術装置としての写真は、わたしの認識装置が、出来事のなかのあるイメージをもはや出来事としてではなく、過去の光り輝くいくつかの出来事が客体化されたものとして見ることに許しを与えるのだ。
再現前させる:現在から何かを欠落させる
わたしの認識において、過去の出来事の情報から時を超える物体へと変換する機械としての写真(フォノグラフィーも同様)。それは、唯物論の復活ではなく、再現前することを妨げられない記録である。明らかに写真は、光の情報を「記録する」ことのみでは満足していない。生物と風景どちらの身体、姿形、態度が含まれるような情景を「再現前する」ものでもあるからだ。再現前について「欠落した何かを再現前すること」としてではなく、「現在の何かを欠落させること」と捉えるならば、写真はまさにそれを行っていると言えるだろう。実質的に写真は、物質に固有の存在感を欠落させることで成り立っている。写真は、物体の自然な性質、すなわちその存在感や物質性を正確に伝達することからは遠ざかり、それらを観念化する。それは、現実の「今ここhic et nunc」から「存在感」と「物質性」を欠落させる。写真は、物質自体から作られた、現実的な光の観念である。ここで写真には、再現前を実現するために存在感の一部を欠落させる技術的規範disciplineがあると考えればいいだろう。ピクトリアリズムは空間からその次元の一つを観念化し、三次元空間を擬似的なものとして扱うことから成り立っていたものだった。あらゆる絵画は、まず第一に表面の効果として現れているものが再現前しており、それによってわれわれの認識は、実際には三次元のものを二次元として扱うこと、つまり、物質から表面を観念化することを余儀なくされるのである。しかし写真の記録は、物質から表面を観念化するのではなく情報を観念化するという点で、存在論的に絵画とは区別される。絵画は物質からその次元の一つだけを引き出すが、写真は物質からその存在全体を抜き出すのである。存在したものすべてを欠落させるのだ。それは、素子と物質との間の関係を回収し、他の素子の助けを借りながら再生産されることによって保存される。物質において光の情報でないものはすべて、写真によって欠落させられるのだ。
どんな写真も何かを再現前させている。そこにあるものを欠落させるすべてのものは、合理的な法則の補完によって、同時にそこにないものを表象する。これは撮影される前に存在したものを再現前させているという意味ではない。写真は、撮影したものを捏造する。それ自体を「再現前する」ことには失敗する。つまり、物質的には存在しないものを目に見える形で提示することはできる。
写真の再現前を実現するためには、存在の核心にはつねに犠牲がある。なぜなら、この晴れた日の今ここにある物質はもう存在せず、それがイメージのなかには入っておらず、むしろイメージが今ここの何かを欠落させているのだから。このことは、イメージが存続する限りにおいて、イメージによって何かの不在が提示され続けることを止めない理由でもある。そしてこのことは、なぜわたしが写真のなかに記号以外のもの、観念的な情報を見ることができるのか、そしてなぜ観念的な情報がわたしにたいしてそこに存在しないものを見せているのかを説明する。
19世紀以来、写真が決して供給することをやめなかったのは、まさしくこういったことだ。つまり、存在から光を回収し、出来事を停止させ、記録し、そして物体に変形する情報であり、そして現実から物質性を欠落させ、物質的にはそこにない身体や顔や風景で満たされた情景を偶発的に見せてくれるものだ。この合理的な確信に基づく信頼を写真に与える者は、科学、芸術、報道あるいは親密な写真によって、欺かれたり騙されたりするリスクを負うことはない。長い撤退の果てで、写真のリアリティーの正しい定義を探し求める存在論は、この写真の概念にしがみつくことができるだろう。本当の写真とは、何だろうか?それは、事物の光における現実と物質性のもつれを解くための認識を教えてくれるものだ。それは、現代の再現前にとってある種の基盤となるもの、つまり物質の情報としての現実の姿形をあつらえてくれるものだ。仮に、光を用いない写真infra-luminous photographyにその座を引き継いだとしても、フォノグラフィーは音の要素のなかで、写真は光の要素のなかで、これらのことをもたらし続けてくれるだろう。写真は、(絵画がすでにそうしてきたように)空間の一次元を観念化するだけではなく、その物質性の全体を観念化するというイメージの新しい形式を、われわれにもたらしてくれているのだ。
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しかし、ここで「肯定」された現実と、写真によって「否定」された物質を伴う現実とを混同しようとすれば、現代の再現前という不安定な建築物はすべて急速に崩壊し、前近代のピクトリアリズムのレベルにまで落ち込んでしまうだろう。写真にたいして過剰で間違ったものを要求したために、日常的に認識している点や線、面といったものと写真との間にある区別を、われわれはもはや認めることはないだろう。これは美学的な悲劇であるし、かつての近代性すべてをなかったことにしてしまうのは、甚大な判断ミス以外の何物でもない。近代に入ったときにわれわれは写真を強く信じすぎてしまったのだろうし、そこから出るときにわれわれは写真を弱く信じすぎてしまった。これからもわれわれは写真が伝えてくれる現実にたいして、正しく等しい認識が可能であると証明できないままでいるだろう。
写真ができること以上のことも以下のことも、われわれはどんな写真にたいしても求めないことにしよう。写真は、自然界の技術的な奇跡でもなければ、単純に構築され操作可能なシンボルでもないのだ。最後に、撮影されたものすべてを、こんなふうに捉えるように努めるとしよう。つまり、物質を情報として留め、目に見えるものとし、そして今ここに見出されるすべての現実を空っぽにする、物質の確固たる不在として。
トリスタン・ガルシアについては、この解説など。
文章中に登場する単語は、必ずしも学術的な用語と対応するものではなく、翻訳者の理解とDeepLの力によって選ばれています。誤訳があれば(絶対にある)、ご指摘ください。
各注釈は元記事を参照してください。元記事はフランス語から英語へと要約・翻訳されたものです。
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