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再雇用前に会社を辞めました! -181-

<シニア新入社員奮闘記>
こんにちは、ケロヨンです。
 先回は日航123便事件の話を書いてまたまた数回脱線してしまったけど、今回は本来の副題に戻ろうかな。
俺は現在64歳で来年の3月には65歳になる。
現在企業に義務付けられている雇用年齢は65歳までだから、俺が新卒で就職した商社に再雇用でそのまま働いていたとしても来年3月末には強制的に解雇される訳だ。現在俺の同期の連中が次々と退職していて、中には再就職先や働き口を探している奴もいるんだけど、身体的にきつい仕事しか無いので途方に暮れているよ。
だから現在の俺のように死ぬまで働く事の出来る環境を手に入れる為にどんな事をいつからやれば良いか?を経験を基に書いて行こうかな。
 シニア奮闘記に戻るには今現在どうして俺が64歳にして2社の仕事に付けているのか?を今までの繰り返しになるけど書かないといけないよね。
 俺は現在雇用契約しているメーカーのT社と業務委託契約している人材派遣会社のB社で仕事をしているけど、辿り着くまで本当に苦労したよね。
 俺が大学卒業したのは日本が高度成長時代が終わって就職難と言われた1970年代後半を過ぎて日本に景気が戻って来た1980年代前半だった。
だから新卒で大手の総合商社に就職出来たんだが、一旦38歳の時に生命保険会社に転職したものの2004年44歳の時に商社に出戻った。
 当然現在と違ってまだまだ雇用流動性なんて皆無の頃だから出戻る時には当時の副社長から「一度会社を辞めた奴を戻すなんて持ってのほか!」と大反対にあったけど、元上司だった当時の社長のお陰で戻る事が出来た。
 俺の人生はこの時から運が付いていたんだと思う。
2005年後半から海外駐在し2009年に東京本社に戻ったものの2011年2月にまた海外駐在に行けと言われて赴任した途端に東日本大震災が起こった。
1995年の阪神・淡路大震災の時も海外駐在中(この時は嫁さんと子供3人も一緒に海外に居た)だったので、大きな災害が日本で起きた時にはいつも海外に居た事になる。2013年5月にまた東京本社に戻ったんだけど、今までとは全く毛色の違うプロジェクトをやる事になり、53歳にして一からプロジェクトを学びながら遂行すると言う、とんでもない環境に置かれた。でも今となってはこの時の苦しかった経験が今凄く役に立っているんだよね。
 2019年2月末で総合商社を退職する事になったんだけど、これは前半のブログにも書いたように年下の上司からの嫌がらせ(苛めとかパワハラと言うよりは嫌がらせと言う表現がしっくり来るかな)が主因で58歳11ヶ月の定年退職前に会社を辞めた。2019年3月から無職になったんで雇用保険の失業手当を申請し、6月から9月までの4か月間失業手当金を貰った。
 2019年6月位から就職活動していたので7月、8月でやっと3社程度面接してくれて、その内の1社のS社に2019年9月から雇用してもらった。
 この時の様子もブログの前半に書かれているのでここでは省くけどS社には2022年7月末までお世話になった。
 ここまでの経験で俺が分かった事は就活は早ければ早い方が良い、と言う事と日本国内で日本の企業に就職したいのなら星の数ほど会社は有るけど的を絞って徹底的に企業研究して置く事。
 ネットでそこの企業に働いてる人や辞めた人が評価を投稿しているサイトが有るけど、それは良くチェックしておいた方が良いと思うよ。
 後は気になる会社が有ったら必ずHPはチェックすると思うけど、その会社の社長が「ご挨拶」とか書いている場合必ずその内容を見て置く事。
会社と言うのはどうしても経営しているトップの色合いが濃く出て来るので社長がどんな事を考えて会社を経営しているのか?垣間見える「ご挨拶」の文章は大変貴重だと俺は思うよ。
 話は飛ぶけど、俺のように定年間近で就活するのは絶対にやめた方が良いよ。何故なら殆どの企業は面接してくれないから。
 60歳で定年退職(最近は65歳定年の会社もほんの少し出て来てはいるけど)して働く必要が無い方はする必要無いけど60歳以降、65歳以降も働き続けたいと思っている人は少しでも早く就活をした方が良いと思う。
何故なのか?はこの回の続きと共に次回書こうかな。

企業研究は大事だよね!特に社長のヴィジョン!

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