2019年1月5日 特技

いきなりだが、聞かれて困る質問ベスト3くらいに入る質問、「何が特技・得意ですか?」。高校・大学受験の面接用に作っておいた解答用の特技はあった(と思う)ので答えれたが、入学した後の自己紹介のときや友達の会話の中でこの質問をされると困ってしまう。小中高、どのときも成績は中の上か上の下あたり、運動神経もそこまで悪くないので基礎的なことはできた。絵を描くのも好きなので描いていたが立派な賞を取れるほどでもなく趣味程度。これといって秀でてる部分が特にないのだ。

小さいころは「特技は?」と尋ねられれば「絵を描くこと」と答えていた気がする。大きくなるにつれて周りと比較することを覚えた。友達は絵が上手な子が何人もいた。周りを見てると自分の特技としていたものがなんだかそうじゃないような気がしてきて、特技と言えなくなった。昔は自由帳を広げ、みんなと絵を描き、見られることに抵抗などなかったが、比較してしまうようになった私は人が見てる前で絵を描くことが恥ずかしくなってできなくなった。あの頃は堂々と言えた特技を、今はもう言えない。

だが最近自分が気づいていないだけで特技と言えるものはあるのではないかと思えるようになった。というのも、友達がきっかけだった。友達は文章を書くことや内容を理解して整理することがとても上手だったので私は羨ましいというか憧れ的な感情を持っていた。だが当の本人は才能を否定して自分のことをあまり認めていないように感じた。褒められて謙遜かな?とも思ったし、それをする気持ちもわかる、が、堂々としていい程に上手だと思っていたので複雑な気持ちになった。私にその才能があれば今noteでブイブイ言わせていたと思う。

自分では気づいていないだけで他人からしたら輝かしいものを人それぞれ持ち合わせているのではないかと思う。おそらく、本人がこなしていることは当たり前すぎて特技なんて風に考えていないのだと思う。私は効率的に仕事とか作業をやりたいので作業を繰り返すうちに効率的な流れを作っているので同じ作業をしているはずなのに誰よりも早く終わって「何か手順省いた・・・?」と不安になることがしばしば。私は普通にやっていることだが他人から見たらもしかしたら「すげー」となっているかも、しれない。

多分気づいてないだけ。だから友達や先生とか褒めてもらえたことを素直に受け止めよう運動を時々実施している。褒められた=際立って良い部分と思ったから!だが、褒めてもらっても癖で「そんなことないよ~」と言ってしまいがちなので治したい。特に付き合いが長い人ほど信じたい。初対面の方には会話のつなぎとして相手を褒めるを使いがち(褒められて悪い気せんやん!?)なので、そういうやり取りの減った関係のときに褒められたことは自分の秀でてる部分なのかなと思いたい・・・。

長々と書いてしまった・・・。私もこれといった特技を探している最中である。「特技は何?」と質問されてパッと答えの出せるようになるまでまだまだ時間はかかるだろうけど見つけたいと思う。

今日は私の思うnoteらしいことを書いてみたけど綺麗にまとまらなかった気がするので語弊生んでたり失礼なこと言ってたらごめんなさい!!終わり!!


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