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医局を辞めたときのあいさつ

2023年3月で私は11年間在籍した某大学の口腔外科を退局しました。その際に長年溜めていた気持ちをお伝えしました。よかったかどうかはわからないですが、ここに記録として残しておきます。

私が2012年に研修医としてこの医局に入り、丸々11年が経とうとしています。いろいろな面でお世話になり、本当にありがとうございました。ここからお話することは、すぐに辞めようと思ったけど、だらだらと10年以上在籍してしまった、一医局員のひとりごとです。不快に思われる方もいるかと思いますが、ご容赦ください。

この医局を選んだ理由

この医局を選んだ理由は癌の手術がやりたいとかやりたい研究があるとかそういったたいそうなものではないです。実習で嫌な思いをしなかったことと学生勧誘の飲み会がもうひとつの口腔外科より楽しかったことくらいで積極的な理由はありません。

研修医

研修医になって2日目に長時間のオペがありました。研修医のオリエンテーションのあと、とりあえず病棟担当になったとのことで、何もわからないまま病棟に行き、そのままオペ室で翌朝3時くらいまで立ちっぱなし。夜に注文した宅配のスープカレー。食べたいわけじゃないのに自己負担1,000円以上。貧乏なので辛かったです。深夜に冷たくなったスープカレーを食べ、不味かった記憶があります。せめて何をやっているかと時間がかかることをしているということを教えてくれればよかったのにと感じました。

研修医のとき、土日祝日もちろん給料は出ません。初めて休ませてもらえたのが海の日でした。3か月以上休みがないのに手取り15万円。ブラック企業にも程があると感じ、早く辞めたかったです。半年経ち、病棟から外来担当になりました。外来での仕事は患者さんと1対1で関われるので楽しかったです。何より、仕事の終わる時刻がわかり、お休みがあるのがうれしかったです。研修医を終えたら大学院に行くつもりもなく、就職するつもりで就職先もほぼ決まっていましたが、1月くらいのタイミングで医員にならないかとのお話をいただきました。めったにないことと思いありがたいと思いつつ、半分は気まぐれで受けることにしました。

医局での行事など

手稲山登山、夏に行きました。登山に慣れてないから、私はすごくゆっくり登りました。そうしたらみんなスタスタ歩いていってしまう。だれも前に歩いていない中、登り切りました。そうしたら、頂上にはだれもいない。どうやら前を歩いていた人たちは道を間違えたらしい。このことに関してはなんか笑えました。

御用納めの鍋の話。大学にいる間は毎年鍋を作りました。別に料理するのは嫌いじゃないけど、毎年こいつに作らせておけばいいじゃん的な感じがちょっと嫌でした。「いい奥さんになれるね」と言われたこともありましたが、それも嫌でした。

某先生からのセクハラ、気持ち悪い。自分から他人に言いふらすあたりがさらに気持ち悪い。既婚者のおっさんに興味ないです。若い男のほうがいいんだろと捨て台詞を吐かれたのも覚えています。確かに私はおっさんより若い男性のほうが好きです。
(セクハラの件は実際は結局話さなかった)

バレンタインデーのチョコレートの買い出し。女性医局員が少なかったせいか何年も買いにいきました。毎回ひとりくらいずぼらな人がいて、立て替えたお金を返してくれないことがありました。めんどくさいし、買ってきたチョコレートなどのお菓子を寸評されるのも嫌だったので、私がいなくなってからは無くなっていればいいなと思う文化でした。


大学院

医局から大学院行けと言われたから行きました。お金がなかったので、先ほど申し上げた通り医員として2年間働いてからいきました。そのせいで収入が増え、無利子の1種奨学金が取れなくなりました。がんばれば奨学金免除になるよと言われましたが、免除になるのは1種だけで、2種は違っていました。だから、奨学金はもらいませんでした。大学時代の奨学金がすでに数百万円あったのももらわなかった理由のひとつかもしれないです。それなのに奨学金免除になるかもしれないからがんばれと言われました。その都度奨学金をもらってない旨を伝えましたが、すぐに忘れられました。苦痛でした。最初に研究先として行った某所では放置されました。これがさらなる苦痛でした。その後臨床研究で学位を取りました。他の大学院生と比較され、たいしたことやってないだろう扱いをされ、すごく泣きました。お世話になった先生方にはすごく感謝していますが、大学院卒業して、博士号を得たことに自分として意味があったか自問自答の日々です。大学院時代は無給で働いていた思い出しかないです。

大学院生のときの診療の話(予診当番、歯科心身症)→省略


長期出張

長期出張①の話。着任して早々、上司に世間話的に「今日は疲れましたね」と言いました。すると、「疲れるようなことしてないだろ」とキレられました。また上司より早く帰宅していたら、「こんな状態だったら大学に戻すよう交渉するからな」とパワハラ発言をされました。仕事が遅くて毎日長時間残業するくらいなら、時間内に終われるよう努力をしたり、こちらに仕事をうまく振ったりするよう工夫をすればよいのにと感じました。
①での仕事内容は比較的充実しており、楽しかったです。勉強になることが多かったです。給料がよかったからいい思い出になっているのかもしれないですが。実際は男性関係でメンタルは死んでいたし、歯科のスタッフ内の人間関係もつらかったです。「○○が私の悪口を言っていた」とかそういう感じの中学生女子みたいなやつがありました。衛生士だけでなく、上司にも言われました。定期的にいざこざが勃発していました。

長期出張②の話。週3日勤務、17時には帰れる、スタッフ同士の揉めごとなしで快適でした。歯科医師人生で初めて人間らしい生活ができるようになりました。有給休暇を取得しても嫌な顔をされなかったです。コロナ禍でしたが、旅行にも行けるようになりました。ただ、長期出張のくせに正社員ではなくパート扱いなので、勤務のない日はバイトに行くことになりました。とりあえず金曜日と日曜日の休みを確保しましたが、医局から金曜日もバイトに行かないかと連絡があった際は発狂しそうになりました。医局の中にいる人で回すはずのバイトを長期出張者に振るなよと感じました。

②での仕事内容は口腔外科的なことはほぼなし。90%以上一般歯科。もう一生全麻下での手術はしないだろうなと悲しくなりました。ただでさえ自分がやりたいことがわからなかったのにさらにわからなくなりました。患者は近隣住民から他科入院患者までおり、年齢層高めで、わがままな人が多い。病院の性質的に車いす患者が多い。障害者施設の患者は一部暴れてたいへんだったが、時間通りに来院する、キャンセルの連絡がちゃんとあるという安心感かやりやすかったです。

②での月に1回の教授診療について。この2年間私が悩んでいたことです。ここで詳しく申し上げることではないと思っているので、濁しておきます。

今後

就職について。4月から某市の歯科で院長として働くことになりました。大学院生の頃から◯◯会系列の歯科医院でアルバイトをしていました。①からこちらに戻り、再度お世話になることになりました。昨年の夏頃にお話をいただきました。正直悩みました。こちらでもう少しがんばり、口腔外科学会の専門医を取得し、将来的にはどうしようかなと考えていたからです。この件について昨年9月に医局と話し合いの場を設けていただきました。このときに「②は再来年度から教授が退官後働く場所(それまであたためておいてね的な)」と初めて知りました。また、専門医を取りたかったと伝えたら教授から「認定医は取ったんだっけ?」と聞かれ、すごくショックを受けました。認定医は5年以上前に取得しており、1回目の更新を行っていました。もうどうでもよくなりました。キャリア云々より安定して収入を得られる職につくことにしました。同時期に結婚することになり、あっちやこっちに引っ越すわけにもいかないというのもひとつの理由だと思います。この数年で長期出張に伴う引っ越しを繰り返して、体力的にも費用的にも疲れました。医局費(年間18〜24万円)を払うのも飽きました。

以上、私が退局するにあたり、あいさつとして申し上げたかったことです。本当はこれの倍以上伝えたいことはありますが、けんか別れにしたくないのでこれくらいにしておきます。完全版をご覧になりたい方は、近日中に有料noteにアップしようと思いますので、そちらを購入してください。冗談ですが😅
あと、若手の先生に言いたいことは〜などは特にありません。私は偉い人間ではないので。
11年間本当にありがとうございました!!

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