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旅地理日記/千葉県館山市 考え編

今の僕が、もしここで何かやるとしたら、「会計」の勉強会かな。

あとはやっぱり、文化文明で見ていくのと経済から見ていくのと、違うんだなと思った。地域を考えるときに、僕は経済で考えるよりも、地理歴史や、様子=考え方、から見たほうがわかりやすい。

それと旧中心地の、サイズとか濃さがそれほどでもないと、新興エリアに上書きされちゃうところがあるのだろう。


まち全体的に

地域の経済中心地だけどコンパクトだと思った。経済は陸路で届きにくいのだろうけど、歴史上はオープンな土地柄だと思う。それで。

千葉県の内房地域って、リゾートな気質があると思う。館山はリゾート地なのだろう。ゆるく、きれいな海と、おしゃれさと、避暑ひしょ避寒地ひかんち。それでいて、地道っぽくちゃんとした、故郷ふるさとっぽさを感じるところなのかもしれない。つまりリゾートと暮らしの日常と重なっている。


たぶん館山の秋はすずしい。ヒートアイランドが暑いだけかもしれないけど。ゆるみにくる人がやってくる傾向だと思う。また逆に、なんというか、半ドンの風景がまだ残っている気がする。

でも政治的には、リゾート志向なのかどうか。というのも外貨がリゾートを作っているようにも見えたから。

あと土地の人はそれほどリゾートと思っていないかも。それか季節で気持ちが切り替わるとか。だってそんな毎日マリンスポーツや釣りばかりしないだろうし。


館山で考えた

進む町

国府こくふ城下じょうか、鉄道駅、ロードサイド、新興地しんこうちと、経済中心地が書き換えられてきたのではと思う。

小さな町で、歴史的に真面目でも、切り替えの軽い、素朴な気質が強いかもしれない。硬い意味での真面目さや深刻さはない気がする。

不真面目ということではなく、素朴さとか、ちゃんととかだろうか。性格の重い軽いでいうところの軽さがあるような気がする。

しょうがないからさ、やっちゃうしかないよね、的な。そんなノリがあるのかもしれない。それで地理的に、自然とリゾート的なものが生成されていくのかもしれない。


もしかしたら新興エリアができて、清々せいせいしてリゾート思考になれたのか?とか思った。逆にしぶとくないから一つも食らわないような気がする。

「ま、やるか」みたいな切り替えの早さというか。全体のやる気というよりは、個々でやってる感。


つまり館山の一定の地区は、新しく生まれようとしている気があるように思える。一部エリアは、「背広社会からの脱却」みたいなタイトルをつけられる。

そう思うと、経済活性化というよりかは地元の気分を取り戻そうみたいな。そういった動きは、このくらい小型な町だと見た目にわかりやすいのかもと思った。

逆に都市部は平均値の変化が一気に起きなくて、気付きにくいと思う。小さくて、エリアの差がはっきりする館山は、脱平成的な動きが初期から見えやすい、のかもしれない。


イタリアン、フレンチ、おしゃれなカフェとか、そういうのがすたれた(ごめん)街にある。コワーキングスペースもホステルもあるし、こんなコンパクトなのに、こんなに故郷ふるさとっぽい空気なのに、ある。


あと見たかんじ、焼肉屋は多いと思う。寿司屋もなくはないが、スーパーの魚売り場を考えると少ない。あと中華もそうかもしれないけど、町の洋食屋さんとかそういうあたりは、喫茶店や居酒屋、定食屋なんかのハイブリッドな気がする。

「和定食屋さん」みたいなのが欲しいなあ。魚が食べれるような。定食の手軽感。酒!とか、割烹かっぽう感じゃなくて。「なんだかんだサラダがおいしい店はいい」みたいなノリで、軽い気持ちで魚が食べれるという。


個人事業が先行していっているところを見て、例えるなら、ゲリラのようだと思った。活性化を考えるときの、1パターンになると思う。

大頭ボスざるたちが気に入らないことを進めるのは超難しかったとしても、気に障らなければ勝手にやれる。その手のスモールビジネスをやっちゃえばと。

一つの号令によって、個人店が生まれるようになるわけではないだろう。それはきっと大型開発になる。

個人店が生まれる雰囲気のある町は、いくつもの頭を持っているような状態だろう。攻め手の時に頭(ヘッド)がいくつもあるというか。

時代に対応する町としては、これは強みだなと思った。責任者が多い構成でもある。

こういうのって勢いが止まらないよね。頭がいくつも存在するから。いくつか頭が消えても変化の動きは死なない。これは農村とは攻守の位置が逆な気がする。

館山は、自分を持った人たち、これじゃダメだと思えるタイプが多いのかもしれない。町の活性は、行政や大きな動きがリードするだけじゃないと思った。


ただの町

ここで普段の生活を考えてみた。日ごろ使うものは、ひと通り近所で手にはいりそうだし、特にこの辺りだけでも生きていけそうだ。

この町には、別に普通にあると思う。「地方だけど田舎じゃない」と思っておいたほうが素直かもしれない。


景色的に新しさが少ないだけだと思った。部分的にはあっても、道を遠くまで眺めたときにすごく低刺激。

「新しくない」見た目がダメに見えてしまう今の僕たちも問題だ。本当は新しいものなんてない。なのに新しくないと思う僕らはなんなのだろう。

今の新しいとか若者っぽいとかって、ぜんぜん豪華風じゃない。なんか弱いんだよな。派手柄じゃなくなってパステル調になったとか、そんな雰囲気。だからセピア的なものもおっけいなのかもしれない。

なんというか初めから古材のような。昭和のやつをペンキ塗り直して壁紙貼ったらいいよーみたいなノリ。リノベーションだな。

既存の動きはとにかく新築したがるんでさ。全て新築じゃなくてもどうでもいいのだけど。公共事業の消化が宅地に向いているのだろう。まあいいや。


それとこれだけ人々が車に乗っているのに、旧市街地の道沿いのお店に駐車場がない。対象は歩きの人がほとんどになるような気がする。どうなのだろう。

あとは外から来るところには来る、勝手に。これる時、来たい時には来る。客室があれば。と思った。


停滞する町

しかし、ほんとうに仕事の席が少なそうなので、自分ではじめる以外はここに定着できないのかもだけど。

この土地でどこかに勤めるのなら、農林水産業や町工場、じゃなきゃ公務員なきがした。あと何処かの会社に勤めるとしてもどこにあるのかなと。

高校生だとか、バイトするならどうするのかなと。そんなに雇用あるかなと。まだ学生なら、勉強をしたらいいけども。ちょっとどうなのだろうと思ってしまった。


大きな街まで行くとしたらどこなんだろう。なんなら高速バスで千葉市か東京:銀座だとかかもしれない。行っちゃえばナンでもないかもだけど、ちょと大袈裟といえばそうだし。

高速バス、アクアライアンで東京駅までそう遠くないけど、むしろ老人や学生の足はね、、、、公共交通機関。館山も電車の輸送が減ったみたい。

活性化的な目線でみてしまうと、経済的にはまだ、生活のゆとりなインフラづくりとかに向ける余裕はないのかもしれないとか思ってしまう。

いや、採算がどうのと切り詰めるこの時代の問題なのだろうな。そのくせ余計な事業は止まらないっていう。


飲食店で過ごす以外では、気が晴れるような、のんびり過ごせるところって、海岸しかないかもだ。やっぱり、「海だー!」ってところがスペシャルなのだろうな。ないんじゃなくて、過ごすのなら海でいいのだろう。

ただ観光客目線で言うと、観光の交通がほしい。または「海だー!」じゃなく、「海辺の街で」というつもりで来たらいいのだろうな。


町と心理

今回思ったことは、天気が悪いとホント困る。時期的な影響もあり、たくさんの店がやっているわけじゃなかったし。考えてしまった。

住んだとして、友達とかがいないと死ぬほどつまらないところかもだ。気心知れた仲間だとか、ファミリーがいないと苦しいかもしれない。いや、小都市などではどこもそうなのかもしれないけど。

この町で孤独だったらどうやって人の笑顔と出会うだろう?僕もこの問題はあるけれど、飲食店の店員さんに愛想よくしてたら、今日のところはなんとかなる。ここだと、馴染みの店を見つけるしかないかもだ。

地方の生活は、経済や文化だけでなく、一人一人の社交性や、町の人の多様な感性による受け入れも、めちゃくちゃ重要だと思った。


活性化とかを考えた

地方再生とか地域活性化でうまくいかない中に、何かしら変化への抵抗があってというパターンは少なくないのではと思う。

活性化とはいえ、デベロッパーがやっていたことを俺コンサルがやるぜみたいな形、平成式の洗い直しみたいなものは、合うところもあるだろうけどね。

抵抗感高いところもあるよなぁと思う。それだとやりだしてもゴールまでいかないでしょ。

土地によって相性はあると思うが、ゲリラ的な意識、ちっちゃくやっちゃえばみたいな感じもアリだと思う。

なんだろう、デザイン的な感覚で仕組みとかじゃなく、会計知識があれば、みたいな。資産が小さくてもやりやすいものは何かとか、そういったもの。


あとは、ただただ、医療食料学校がきちんとあればいいだけみたいに感じた。もちろん場所にもよるだろうけど。

楽しさとか、よその人たちから好かれたいとかは、普段の生活をやって余裕がないとできないと思った。

気晴らしなど、ある程度横移動でなんとかできるなら、街も町人もやっていける。ハブになる町にきどったエリアがあったら相乗的な効果があるんじゃないかと思った。

医療も公共交通機関も、あんまり採算をいっちゃよくないね。

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