成体と聖人

たいへんおしゃれなカフェで、ただの暇つぶしにしか見えない人がいました。実際には僕も含めてまず全員暇つぶしなのですが。

僕などは近くに来たからといっても、カフェ読書をしにきているわけです。周りではオシャレ気分を求めるなどの目的を持って、少なくともそれを兼ねて、そうしているように感じました。

「なぜカフェで過ごすか?」「どのような私でいたいのか?」 ただの暇つぶしに(過度に、人造的な、現代性の、)理由をつけなければ居れないという僕たちに気がつきました。そんなことを考えていたら結局、「情報」とは、「暇つぶしに理由付け」するものがほとんどだなと思いました。



・他者の影響

僕たちは他者の意向の外にいくことが難しい。ましてこんな行動のようなものは、健康とか仕事とかそういう理由で動くわけでないのだし、イメージをみてしまって、ついそうしてしまう。

情報と行動が直結していることは、「ご飯が早く美味しく炊けるからこれがいいかな」などと物が間に入り込むことよりも、「無」なものに理由をつける。不毛というと意地が悪いですけど、「夢(む)」ですよね。

そう考えると物の消費よりもコトの消費(への提案情報)の方が個体的な自由とか尊厳に関わることとか、問題がありそうな気もしてきます。中毒させるものであるのなら毒物でしょうから。

僕らはきっと、アドレナリンとかドーパミンとかを出したいのでしょうね。正義が悪をやっつけるというブランドストーリをみたら、大人用のアドレナリン番組なのでしょう。

現実的なことで、もう少し自発なところで、それをしてもいいわけですが。

提案とか、どのようにこれは良いのかとかだけでなく、ブランドイメージやブランドストーリー、あなただけの(???)ライフスタイルの実現。そういった情報。素朴フィールドに引き摺り下ろすと、「売りたいから口を使う」わけです。いいイメージもつまり、商談ですね、多くの情報は。


・コミュ障を産むコミュニケーション

コミュニケーションは相手も含まれるけど、論理になるときは一旦そこは外してしまい、順番制になってしまいます。本当は同時にしているし、双方向だけど、順番でするようなものに思えてしまう。正直にいうと、自分がそうしたいことを押そうとする人の、相手を説得するような仕方に見えてきます。

よくみられるコミュニケーション論は、どうしたら伝わるか(どう見られたいか)を追求するのが動機になっているように思います。伝える側の精度を問題にしていて、受信者側の捉え方や捉えを向上させるようなことは初動ではない。自己責任ということで二の次なのですかね? とするとそんな冷たい無情な態度にはコミュニケーションの心がないように思えますけど。ともかく優れた者は得をするという、得する側がいる話しになってしまう可能性がある。これがメリトクラシー批判ですね。

という構成が、コミュニケーション論を逆から見た時のもの、メディア論側にある話です。そんなコミュニケーション論は大人の事情の中にある、というわけです。

「ただの暇つぶし」なんて、大人になってしまうとなかなかできるものではない。ややもすると遊びでも理由や目的のために負荷をかけて心理的に追い込んでしまう。

(メディア論というのはギョーカイの人ではなくて、どちらかというとカウンター側とか、シンプルにアウトサイドから眺める人です)


・変われる社会

「考えること」「哲学」「学問」とは。頭のよさよりもはるかに重要なものがあると思うんです。「その外側から眺めること」です。

これができたら、頭の出来は、自分勝手でなければいいだけだと思います。この脱自分勝手というのも、「自分の外から自分を眺めることができるようになったかどうか」です。

文化ミームを持つ動物も、成体になる前にこの自分の外から自分を眺めることをしていると思われます。そうでないとミームが生まれない。得なことをされたいだけでは生きるための社会的行為が引き継がれないからです。

好き嫌いがあってよいけれどその感情に支配されてしまったらいけないし、損得が理解できるのはよいけれどその感情に支配されてしまったらいけない。夢や理想を思い浮かべた時でも、現実を無視しては企画倒れ製造機になる。

情報を受け取っていくばかりの社会で提案のまま動いているだけでは、社会の外を知らない社会になってしまい、社会もまた成体にならない。分断とか戦争とかのグローバル社会になってしまう。もうなってましたね。

もういくらか情報くんが静かになってくれないとまずいのですが、情報用の環境は拡大するばかりです。すると倫理面での規制が必要になるのかもしれませんが、そういうのはこれからですね。「ニューヨークメディア規制」などを調べると動きはあるようですけど。


・生

「ただの暇つぶし」って、人生の中にも休憩をというようなもの。僕らも気持ちよく生きたいですから。あの人は頭に振り回されない身を持つ宗教聖人に思えてきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?