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旅地理日記/千葉県館山市 2日目の巻:下

館山に関して思ったこと。昨日の話と重なるのだけど。


街の廃れというけど、新興のエリアはあって、人の動きはある。でも地元企業じゃないなら、仕事代やバイト代を稼ぐための職場なわけだ。その点で地元の経済や文化と考えるとき、新興エリアはときにノーカウントにして考える必要もあるのだと思う。

とはいえ、生活で使うものは一通り近所で手に入りそうだし、特にこの辺りだけでも生きていけそうだ。なんというかな「地方だけど田舎じゃない」と思っておいたほうが素直かもしれない。


だけど狭い範囲内で、地域差がある。一見すると、旧市街地が新興地に持っていかれてしまって、みたいに思えなくもない。そうなのかもしれないし、そうみる地元の人もそれなりにいるとは思うけど、どうもそんな紋切り型な見方とは別のものもあると思う。

もっと大きく、どこに行っても共通する動きみたいなものがあると思う。いうならナンというか、平成的な開発や進歩の感覚、平成化が続いていくのを拒む動きがあると感じる。


館山の一定の地区は、新しく生まれようとしている気があるように思える。経済活性化というよりかは地元の気分を取り戻そうみたいな。

大型モールや、大型チェーン店などはいかにも平成的な存在で、平成のモータリゼーションといった風だ。また個人店でも、単価の高い豪華な成金な感じに対抗する感覚が、今時な価値観に生まれていると思う。

大衆的な、盛れるなら盛りたい感じとは別路線で、庶民的な素朴さが落ち着くという風がきていると思う。

勢力的にはまだまだだとしても、これから伸びてくるだろう感覚と、もうマックスを越したであろう感覚が、おしくらまんじゅうしているのだろう。

そういった動きが、このくらい小型な町だと見た目にわかりやすいのかもと思った。逆に都市部は平均値の変化が一気に起きず、気付きにくいと思う。小さくてエリアの違いがはっきりする館山は、脱平成的な動きが初期から見えやすい、と僕は思った。


つまり今現在の21世紀感覚は、昭和感と反平成感だ。逆にいうと平成的なものはダサさの濃度がこれから増してくるのではと。ゴリゴリビジネスで福々しい顔をしてみせる店舗よりも、ゆるゆる経営で、上手なのではなく軽さというか、まぁやるかぁみたいな始まりや、ただやってるよ、みたいな感じのゆるさが、これからぽく思えて仕方がない。

ヒトは中長期的にものを想像すると何か不安になるものだと思う。昭和の深刻さってこの先の生活はどうか、みたいなものがあったと思う。平成の場合は、未来感が深刻になってすごく刹那的になった感がある。エンゲル係数とかも聞かなくなったし。

別の言い方をすると、Xジェネレーション的なものが終わるように思う。この時代は何か大事なものの底が抜けてしまった感じがして仕方がないのだが、それが通用しなくなってくるのなら、歓迎だ。でも通用しなくなるとかじゃなく、古っぽくなる程度なのだろうけど。


バブルから世紀末を見てきて、今の新しいとか若者っぽいとかって、ぜんぜん豪華風じゃない。なんか弱いんだよな。派手柄じゃなくなってパステル調になったとか、そんな雰囲気。

だからセピア的なものもおっけいなのかもしれない。なんというか初めから古材のような。昭和のやつをペンキ塗り直して壁紙貼ったらいいよーみたいなノリ。

平成だったら全てこだわって人と違うなにかで見栄を張って、俺は人と違うといった感じだったが。そういう感じはだんだんとどうでもよくなってくる。平成か昭和かといったら昭和になってくる。かなと。


あと書いていなかったと思うので書いておくと、千葉県の内房地域って、リゾートな気質があると思う。金谷が玄関口で、保田は高級別荘地。岩井が臨海合宿場。なので、ゆるみにくる人がやってくる傾向だと思う。

硬い意味での真面目さや深刻さはない気がする。不真面目ということではなく、素朴にちゃんと、とかだろうか。

性格の重い軽いでいうところの軽さが感じられる。それなりに、しょうがないからさ、やっちゃうしかないよね、的な。そんなノリがあるのかもしれない。


館山の駅周辺を歩いていて、なにか一つの力が動いているというよりも、いくつもの頭を持っているような気がする。責任者が多い的な。こういうのって勢いが止まらないよね。新興地が仮にやっつけにきたとしてもやっつけようがないタイプ。頭がいくつも存在するから。いくつか頭が消えても変化の動きは死なない。

大衆の「みんな」感と違い、庶民は個々の粒があって、「我々」一人一人の集合体。餅とおにぎりみたいな違いがある。庶民は個人の実力が高いんだよなと、ここでも思った。


地方再生とか地域活性化でうまくいかない中に、何かしらの抵抗があってというパターンは少なくないのではと思う。直接関わったことがないので想像だが。

上記の話がマトを得ているのだとしたら、平成的なでかくまとまろうとするやり方に抵抗しているのかもしれない。やはり活性化とはいえ、開発的というか平成手法の続きみたいな、デベロッパーがやっていたことを俺コンサルがやるぜみたいな形は、合うところもあるだろうけど、抵抗感高いところもあるよなぁと思う。

昭和なゲリラ意識で行けばいいんじゃないかと。地方コンサルとか、ちょっとおかしな人の声がでかいし、もうそれじゃダメなんじゃないのかな。いや、行政を説得するのにはぴったりだと思うけど。行政がリードするだけじゃないと、ここ館山で思った。

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