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旅地理日記/静岡県三島市 考え編

全体的な感想

まちづくりには水辺を生かすといいかもしれない。町だけでなく農村地域なども。どう生かすかとか、どういった要素を考えていかなければならないのかはわからない。川岸や湖畔に洒落たお店を並べるとか、緑地公園整備とか、児童公園の池版とか、農地でも小川の横を何かにする。サイクリングコースとか、こじんまりしたなにかがいいなあ。

高齢化だとか、町の若返りだとかっていうんで、それが街が衰退する原因にあげられていると思う。でも別の見方をすると、開発などの影響を受けなければ根付いたものはけっこう生き残るということだと思う。「開発できない」問題と混ざりやすいのではと思う。そこはまた別だし、むしろ町の規模によっては、「開発」からもっともっと離れた方がいいのではと思う。

結局、用があって買い物をするのって、実はそれほど量も幅もない。日常的には食べ物だけだ。後のものは月単位だったり年単位だったり、たまたまだったり人それぞれだったり。だから地域の経済ハブになる街が移動圏内にあるのなら、おしゃれ感とか若者に受けたくて頑張るよりも、食事の買い物や医療、学校など、拠点に適した見方をして行った方がいいのではないか。おしゃれな学校かあ、ありかなあ。

歴史あることは想像以上に強い。せめて歴史を感覚的に理解して、次代の町を想像しないと、ひと世代で廃れるのを繰り返してしまうだけにならないか心配する。

景色のよいところは暮らし心地がいい。というか逆で、景色を悪くしていなければ景色はよい。田舎の良い景色は、悪い景色をやめさせた結果じゃない。

ご飯の炊き方をあらためるだけで、食事の輪郭線が明らかによくなる。こういったところで印象がよくできるのならやった方がいいと思うし、地方ならなおさら、米の力や魅力は大事だと思う。

寺社や墓地を手入れしていく活動は地味に効くと思う。


日記から考えを取り出したもの

初日

街中に綺麗な川があるって素敵。

よく思うんだけど、古いお店ってそんなには潰れない。ただ高齢で店をたたむとか、開発でなくなるとか、そういったことで新しく変わっていくパターンが多い気がする。逆にいうと潰れない店だったわけで、地域に使われているとか、飲食店なら実力がある店だとか、そういうことだと思う。

時代の流れでそういうお店がなくなる傾向は寂しいし、その街の印象から歴史的な落ち着きや、人生の道のりみたいなものが消えてしまうのが悲しい。
しかし新しくお店ができて、品のある通りになるのなら仕方がないし、変わるのだったらそれもいい。要するに、品のある新しさになってほしい。消費とか豪華とか贅沢とかな、「more」なものではなくて。まあ個人の思い。

三島は街が先にできたのだろう。路線は元の街を取り巻くように、庶民住宅街を通っていく。多分だけど、元の街と新興の居住区の隙を通っていく。
交通網より先に街がある。そこで想像すると、用があっていくのが街で、遊び場として出来上がってきたわけじゃない。布団屋とか履物屋とか、欠かせないものを手に入れるタイプだったと思う。

ターミナル駅周辺は、必要ごととはまた違った、経済の活性化のためにやってきた分があると思う。そのため騒がしい街に仕上がっていくのだろう。盛り上がっているから行くとか、そういう要素は濃いかもしれない。
それと歴史あるまちは水が沸いているところが多いかもしれないと思った。


2日目

だいたい昔のお墓って見晴らしよいところにある。でもお墓の下段に家が建って、死者からの景観を塞いでしまった。ま悪気はないのだろうけど、過去と現在ってなかなかうまく噛み合わないものだ。

三島にきて思うんだけど、中華系は強いなと感じる。いい悪いではなしに、身近だと新興の?台湾中華が多い。量が多くて僕には大変なのだが、そういう感じとは違う。昭和な、町中華というやつだろうか。そういう系がしっかり根付いていると思う。

途中は田んぼが多い。それに川が多い。山が二方に見えて遠くまで見渡せる。こういう景色でまあまあたくさん人が住んでいるんだから、なんか考えてしまう。いいなぁ。雄大さと、看板のなさなのだろうか。すごくすっきりした気分だ。

米は目安にしやすいと思うが、今回行ったお店はどこもしっかりしていて、腕があると思った。

3日目

余計なことを言うと、評判のエリアには、それとも評判を生むところからもあるかもだが、そうすると経済マンはガンガン開発したがって入ってくるものだなと思った。

だいたい水辺の街って絵になりやすいかもだ。岸に面した飲食店のテラスなんて、それだけで雰囲気勝てるよね。

墓石に明治の元号もあって、明治期前の街の範囲が想像できた。だいたい街の周囲にできるのだと思う。明治以降など、町が広がったから、町中にあるのだと思う。

明治になって電車や馬車、車が走るようになり、新規に道を作るパターンがあると思う。その時にここでは、既存の道と既存の街並みの裏手に道ができた、または拡大されたのではと予想した。

つまり大社前の車通りは後からできたのではと。根拠はないけど、そうかなと想像した。

ところで、この辺は駅の近くなのだが、つまり中心地から見たら後からできたエリアだ。それで飲み屋とかが多い。所々若い店もある。が、駅裏だとか、中心の通りや水辺を外れると、かなりシャッターが閉まっている。

さすがに中心地は、歴史の厚みというか、文化ができている地というか。距離は近いのだけど、人生の動線のようなものは案外そういうものらしい。

食文化というか味は、当地の水に比例する何かがあると思っている。なかなか判定は難しいのだけど、水が甘いと甘口、水が辛いと辛口、な傾向を感じる。醤油も酒もだ。

三島で湧き水は飲んでいないけど、これだけ湧水があるのだし、富士山からの地下水でしょ。いい水だと仮定してしまって。だから食べ物が文化的においしいのだろうと自分用に思っておく。

川、水が湧くところに町が生まれて文化ができる。これだけ水が湧くのだから、食も比例して感覚が洗練されている。そんな想像をしている。それにしても安定して美味しい街。普通なものがおいしくてうれしい。

都内だとかはね、派手な味にしないと、人々の舌をつかみにくいのかもしれない。それで競争もあってで、それに慣れたら、日本の食べ物の舌の基準値ではなくなると思う。

まぁしかし、1店舗の評価だけで見ていくと、競争だとか「売らんかな」だとかが過剰になると思う。何か僕の考えとはずれるので、違和感がある。僕は地域のレベルとか、庶民的な味のレベルとか、そういった文化的な雰囲気の方がはるかに気になる。

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