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精神は実在するのか-ヒュームの実在論-

西洋近代哲学史において、何が「実在(客観的に存在)」するのかについての議論は盛んにおこなわれました。大陸では合理論が、イギリスでは経験論がそれぞれ発展し、最終的にカントによって統合された、ということを知っている人は多いでしょう。しかし、ここで統合されたとされるのは、理性の役割や能力に対する見解(認識論)であり、理性を含む精神(意識)や神の「実在」に対する見解(実在論)は統合されていない、と私は考えます。

実際、カントは、何が実在するかを考える(実在論を考える)ためには、考える主体たる理性がどこまで認識する能力を有しているかを考える(認識論を考える)必要があると主張しました。つまり、実在論は認識論が確立された以降に検討可能であるとしたわけです。カント以降、認識論が台頭し、実在論を含む存在論は歴史の舞台からしばらく消え去ることとなりました。

尚、実在論というと中世の普遍論争を想起させるかもしれませんが、ここで議論する題材は、普遍概念というよりは、一般的にイギリス経験論や大陸合理論の中に含まれている精神や神の実在についてです。

当然、実在論も認識論と同様、合理論と経験論に含まれているため、大陸では理性を信頼する方向へ、イギリスは理性を疑う方向へと分かれて発展していきました。

今回は、大陸論にある実在論を軽く紹介した後、私が個人的に気に入っている、イギリス経験論の系譜を引いたヒュームの実在論についてまとめたいと思います。


〇大陸の実在論

そもそも、キリスト教が信仰が強い時代には、神がこの世を作ったのだから、この世のすべては実在するに決まっているという考え方が主流でした。西洋で実在論が盛んになるのは、デカルト以後の話です。デカルトは、「我思う、故に我あり。」で知られるように、この世のすべての実在を疑いつくした結果、自分の精神の実在だけは疑いようがないと結論付けました。デカルトはその後、精神、神、物体は実在するとし、その後の実在論にも影響を与えました。

その後も、スピノザの汎神論や、ライプニッツの予定調和説など、大陸において神は絶対的な実在として尊重され続けました。その神の贈り物たる理性に絶対的な信頼を置いていたため、理性(というよりは自由意志)の実在を疑うということはほとんどなされませんでした。(予定調和説と理性の実在は矛盾しているように見えますが、神学上この矛盾は解消されているらしいです。今回はそこが本題ではないためカットしますが…)


〇ヒューム

ヒュームは、あらゆる物の存在を疑った結果、世の中に「実在」すると証明できるのは経験(知覚の束)だけであると主張しました。もともとイギリスはキリスト教の影響力が大陸に比べて弱かったため、神の存在証明をしようとする人は少なかったのですが、ヒュームが合理論者やバークリーら他の経験論者と異なっているのは、精神すら存在を証明できないと主張した点です。

「我思う、故に我あり。」という言葉には確かに説得力がありましたが、思う主体である「我」は、本当に継続的な「実在」たりうるのでしょうか。現代風に言えば、「我」(=精神)とは、脳や神経系の化学反応が起こる場所にすぎず、単なる現象に分解できるのでは?ということです。ヒュームはこのように考え、私たちが精神としているものは単なる化学反応による錯覚で、本当に実在(客観的に存在)しているとは言えない、と主張しました。

ヒュームはさらに、因果関係の存在すら疑います。普段私たちが因果とみなしているものは、二つの連続して起こった事象に過ぎないと主張したわけです。なぜなら、因果関係は知覚できないから(ヒューム風に言えば、根本印象ではないから)。

ヒュームの考えをまとめると
・因果関係の実在を否定
・精神の実在も否定、あるのは経験(知覚の束)のみ

となります。

実は、ヒュームの考えはインド哲学と似通った部分もある上、現代の科学の「脳、神経=精神」の考えとも親和性があります。徐々に再評価が進んでいる人物です。

いずれにせよ、この徹底した懐疑主義が大陸論に偏ったカントを「独断のまどろみ」から解放したわけですから、歴史的意義は大きいでしょう。

拙い文章でしたが、最後までご覧いただきありがとうございます。


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