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「理性vs欲求」の構図に異議を唱えてみる

○「理性vs欲求」ではなく、「欲求vs欲求」?

私たちはしばしば、理性と欲求を対立させて考えます。例えば、ケーキを食べたい欲求と食べたら太ってしまうから駄目だという理性、がなどが例として挙げられますね。

しかし、本当にそうでしょうか?私は、欲求と対立しているのは理性ではなく、もう一つの欲求だと思うのです。

先程の例で説明しましょう。この仮説に従えば、ケーキを食べたい欲求と対立しているのは、食べたら太ってしまうという理性の働きによって生まれた、「太りたくない」と思う別の欲求だ、と言えます。(他にも、勉強サボって遊びたい⇔しっかり勉強して受かりたい、など無数に例はありますね。)

現在の欲求に対立し得る、未来に予想される欲求は、予測する理性によって現在感じることが出来るので、理性と欲求が対立しているように見えてしまうのだと思います。(あくまで仮説ですが。)


「理性vs欲求」ではなく、「欲求vs(未来生じると予想できる)もう一つの欲求」と考えた方がしっくり来ませんか?

○人間の本性は欲求?

この仮説に従えば、行動選択の際の理性は、「未来生じ得る欲求を予測する機能」に過ぎないと言うことになります。そして、私達の行動選択は、単なる「どの欲求を優先するか」の選択、ということにもなりますね。

人間の行動原理が欲求ただ一つによって決定されるなら、人間の本性は善や悪のようなパッケージに入れられるのではなく、欲求であると結論づけることが出来るのではないでしょうか?

以上です。拙い文章をご覧いただきありがとうございました。




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